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我が侭を聞いて

我が侭を聞いて








眠い・・・・・

ここ数日あまり眠気がなかったのに今日に限って眠い。
何かに誘われているかのようだ。

クラウドは暫く自分のベッドの上で寝返りを打っていたが、耐え切れずにまどろみだす。


―――そういや、もうすぐあんたの誕生日だな・・・。

目を閉じれば思い出す、彼女の柔らかな微笑み。
もう二度と触れることは出来ず・・・・。

そしてまた、二度と彼女が年をとることはない・・・・。

そう考えれば、自分も年を取ったものだ。

彼女は生まれてわずか二十二年でこの世を去った。
そして自分は彼女の守った大地でのうのうと、特に意味もなく生き続けている。

生きることは恐くなくなった。
この年になれば大して執着することもないかもしれない・・・まあそこまで年を取ったわけではないが。

若い頃は生きるのがただ恐かった、母を守れず、友を殺させ、何よりも・・・彼女を―――。

そんな自分が生きていていいものか。
自責の念に駆られ、しかし死ぬ勇気もなく。ただ怯え、社会との断絶を選んだ。

だがやがて、自分は単なる腰抜けで、人畜無害な人物であり、世間から忘れ去られた一固体なのだと、そう確信したとき、彼はこの世の何者でもなくなった。

言うなれば、風。この世界がどうなろうとも、ただ流されるままに。
自分はただ息をし、食い、飲み、眠り・・・それだけを繰り返してやがて死んでいく。

全ての裁きは彼らが―――母が、ザックスが、そして彼女が下すであろう。
自分はただそれに従えばいいのだ。

死ねというなら死を。生というなら生を。



ベッドの上には金髪の男が眠っていた。

年の頃は50か60か。
昔は見事であっただろう金髪には白髪が混じり、北欧系を感じさせる色白の肌にはしわが刻まれていた。

だが眠っている間でもぎゅっと結ばれた唇や、小難しそうな表情を形作る顔はどこかあどけなく、彼を20も30も若く見せた。











―――クラウドはまどろみに身を任せていたが、暫くして誰かが声をかけてくることに気付いた。

その声は段々と大きく、明瞭になってくるのだが、彼は目を覚ませないでいた。


―――誰だ?

頭の中で意味もなく問いかける。
そうやって自分で愚かだと考える。

夢なのに・・・ほっとけばいつかは夢から覚めるのに、誰に問いかけているんだ、自分は。

だが彼の意に反して応えはあった。


―――ね、わたしだよ・・・。


その声には聞き覚えがあった。

―――久しぶり、ね。覚えてる?

覚えてるも何も・・・その声を忘れた日はないというのに。


―――エアリスか?

―――わ、覚えてれくれたんだ!嬉しいな。

―――どこにいるんだ?姿を見せてくれ。

―――うーん。今はまだ見せられない!

―――は?



声だけの彼女は暫く考えるフリをした。
やがて名案を考え付いたようにぽんと手を打った。
・ ・・正確にはそのような音が聞こえた。


―――ね、もうすぐわたしの誕生日なんだよ、知ってる?

―――ああ。

―――じゃあプレゼント頂戴。

―――あいにくだが、俺は何も持っていない。

―――持ってるよ。

―――残念だけど、俺が持ってるのはバスター・ソードと、小額の金と、あとこの掘立小屋みたいな家だけだ。他には何も・・・

―――クラウド・・・は?

―――は?

―――クラウドを私に頂戴。


クラウドは思考を巡らせた。欲しいということは、自分を向こうの世界に連れて行きたいということだろうか。まあ、この世界には向こうの世界はなく、ただ星 と一つになるという恩恵を得るだけだが。

―――そんなもんどうしようっていうんだ。

―――ねえ、いいから、私に頂戴!

―――あんたも物好きだな。まあいいさ。好きにしろよ。


だいたい、ほとんど俺はあんたのものみたいなものだ。



そう思った瞬間、瞼の裏が焼けんばかりに白く光った。
それは彼が意識を散乱させるには十分だった。







胸板に柔らかいものがあたった。
暖かく柔らかく、そんな感触のものはここ暫く感じていない。

思い当たるものといえば、三十年か四十年ほど前に、彼女を抱き締めた・・・その感触にそっくりだった。


そんなわけがあるはずもないと自嘲して、彼はまたまどろもうとした。

だがすぐに意識が覚醒する。
嗅ぎ覚えのある香りが鼻をくすぐった。
花のような・・・甘い紅茶のような・・・そんな香りが。


「―――?」

彼はゆっくりと目を開けた。

視界に入ってきたのはまだ薄暗い室内だった。
もうすぐ太陽が昇ってくるだろう。

そこは間違いなく彼の家だった。

だが雰囲気が違う。全く違う。

部屋の中央にある、質素なテーブルには白いテーブルクロスがかけられ花の入った花瓶が上にのっている。

次に目に付いたのは壁紙だった。
無機質な白い壁紙だったはずなのに・・・なんだこれは、花柄というか、薔薇柄だ。

驚いて上を見あげると無骨な白熱灯はなく、なにやら立派な電灯があった。

見慣れない家具もあった。
リネンがあり、そのうえに化粧品が並んでいる。
本棚まである。なにやら女性向けの本やら雑誌がしまわれている。
しかもなにか・・・・ティディベアと思しきものがそこらに置いてある。
そして部屋に充満した甘い香り。
彼女と似た・・・しかし違う香り。彼がさっき感じたとは違う香り。

ないものもあった。
使っていないがキッチンがない。
この部屋から見えるはずの風呂への扉がない。

どうなっているんだ?



やがて彼は腕に何か重量感のあるものがしまわれているのに気付いて驚く。

それは先ほどの香りがした。暖かくて柔らかい。
指に絡んでいるのはしっとりとした髪の毛だ。

これは―――体が覚えている・・・・。



「エア・・・リス?」

腕の中のものを見ようとしたが彼女は顔を自分の胸に埋(うず)めて寝入ってしまっている。

先ほど感じた甘い香りの原因はこれか。
暖かくて柔らかいのも。これが原因か。
指に絡んでいるのは、茶色の巻き毛か。



エアリス・・・・・・・・。







「ねえ、クラウド」

「・・・・・・なんだ」

「なんでいっつも私の髪の毛触ってるの?」

「いやか?」

「いや・・・じゃないけど・・・だんだん・・・恥ずかしくなってきて・・・」


彼女とベッドを共にすると、普段はやらないのだが、抱きしめた彼女の背を流れる豊かな栗毛を指に絡めて弄ってしまった。





「エアリス・・・・・・」

「・・・指先がちりちりする・・・口の中はからからだ・・・・目の奥が熱いんだ・・・・」

あのときも、手に絡んだのは血の滴る巻き毛だった。





「エアリス・・・・・?」


再び声をかけるも、エアリスの反応は無い。
それが一瞬だけ彼女を失ったときのあの静けさを思い出させた。

驚いてその体を抱き締めれば、やはり最初に感じたとおり、彼女の体は温かく、合わせた胸からは小鳥のように小さな鼓動が感じられた。

よかった・・・

安堵の溜息が漏れる。
クラウドはエアリスの体を抱えなおした。

温かい・・・

彼にとって久しぶりの人肌は、何よりも愛した彼女のものだった。
温かくてすべすべしていて・・・彼女は変わっていない。そう。

時は止まって彼女は1人あの時のままだ。


抱き締めた彼女の背中越しに、クラウドは自分の手を見とめた。
骨筋張って、皮膚が痩せて血管が浮き出ている。
色も若い頃はもっと白かったはずだが、今ではもうくすんでしまっている。

それに引き換え・・・彼女はなんと美しいままなのだろうか。
雪にように白い肌。閉じられた睫は影を落とし、ほつれた髪のその一筋に、若い頃と同じ様に心乱される。

ソルジャーとして彼女を守ってきたころ、旅の合間に、少しの休憩の間に、夜、寝るときに。そんな一時一時に彼女を垣間見た。
彼女はどこまでも崇高な聖女のようで、愚かな自分はその姿を見るたびに、恐れおののく。

一体誰が彼女を運命から解放(ときはな)しえようか。
大地の聖女の彼女さえ、自分自身の運命を変えられなかったと言うのに。

自分が?
そんなことを望むのは愚かしいことだ。


だが・・・だが彼女は、エアリスは。

地べたから見上げるばかりの自分の所に、そう天の羽衣を脱ぎ捨てて、雲のはざまをくぐり抜けて、腕の中へと降りて来た。





初めて彼女を抱いた夜は、嬉しさ半分、恐ろしさ半分といったところだろうか。


「ね、クラウド緊張してる?」

「・・・・・」

「やっぱり。眉間にしわが寄ってるよ」

「・・・・・・」

「クラウドくーん?」

あほらしいぐらい緊張して、ガチガチで。彼女を満足させてあげることが出来たかどうかは甚だ怪しい。

だが彼女は、億劫になってなかなか話し出せない自分にやきもきした様子も見せず、こう言って笑ったのだ。

「なんでそんなこと気にするの?わたしは・・・わたしはクラウドと一つになれたことが嬉しいのよ。クラウドは?目を閉じて何を思う?」

正直、あのとき内心自分は狂わんばかりに感動していた。

彼女が腕の中にいて、同じベッドの中にいて、そうして彼女は自分にぴったりと寄り添い胸に顔を埋めている。

温かく、すべらかで、朱に染まった頬が愛らしく・・・・・・・。








「エアリス・・・・起きろ」

クラウドは逡巡を断ち切り、この穏やかな気持ちの中で埋もれていたい気持ちを外に押し出した。

エアリスの体を揺るするとやがて反応が返ってきた。

「・・・・・・・ん」

エアリスが眠そうに体をゆする。
そうしている間に瞼がぴくぴくと動き、睫がゆっくりと縁を開けた。

「クラウド・・・おはよう・・・・・」

眠そうに瞼を擦る。

「まだ五時だよ。もう少し眠ろう?ね、昨日の夜にスープの仕込みをしたから・・・美味しいスープを・・・朝食・・・・に・・」

そう言ってまたうつらうつらし始める。

だがクラウドは許さずエアリスを起こした。

「何を言っている。エアリス、俺に一体何をしたんだ?」

「・・・何をって・・・・?」

「ごまかすな・・・死んだはずのあんたが何で俺と同じベッドの上にいる」

エアリスが少し傷ついたような顔をした。

「ひどい・・・どうしたのクラウド。寝ぼけてるの?」

「寝ぼけてなんかいないさ」

「寝ぼけてるよ。ねえ、もうちょっと寝よ?今日は家族でピクニックに行く予定でしょ?だから・・・・」


そう言ってエアリスはクラウドに口付けた。

そうしてすぐにまた彼の記憶にあるのと同じ愛らしい寝顔で、可愛い寝息を立て始める。


「――――ッ」

キスの効果だろうか、激しい睡魔がクラウドを襲った。

それを振りきってエアリスの肩に手を置こうとしたが、腕がまるで痺れているようで、びくともしない。エアリスの腰に回されたまま、その定位置にあるまま だった。

抗うもしかし次の瞬間、クラウドを眠りがさらっていった。







「ね、起きて・・・・・」

優しい声がする。

「早く起きないと・・・・・・が怒っちゃうよ」

だれだって・・・・?

「今日はピクニックに行くんでしょ」

ああ、そうだった。

「スコールがもうご飯食べ終わっちゃったよ」

スコール・・・・・・ああ、俺の息子か。



ゆっくりと瞼を開けると、そこには住み慣れた暖かい我が家があった。

壁紙はシックな薔薇の模様。近くにある中央のデスクにはレースのテーブルクロス。本棚には女性用の雑誌やら本があって・・・・・。

開け放たれたドアの向こうから、美味そうなスープの香りが漂う。
そう言えば昨日、エアリスが張り切って下ごしらえをしていたか。

それにこんがり焼かれたトーストと、かりかりベーコン。皮のぷっつりした肉汁たっぷりのウインナー。スクランブルエッグに、新鮮なサラダ。果物はいつもオ レンジとりんご。それに紅茶の甘い香りとコーヒーの香ばしい香り。
それらが混じって彼の食欲をそそる。

彼と妻の寝室から通じるドアは一つだけで、それはリビングに繋がっている。

清潔なリビングはエアリスのセンスがふんだんに採用されていて、居心地がいい。

寝室に香る甘いアロマキャンドルの香りに別れを告げ、クラウドはリビングに入る。


「あ、クラウドやっと起きたのね、おねぼうさん!」

「おねぼーさん・・・・」

スコールが相変わらず何を考えているのか分からない顔でぼんやりと母親に同調する。
息子のスコールは今年4歳になる。
エアリスに似て茶色・・・というよりダークブラウンの少しくせッ毛の髪を持ち、他は顔のパーツから何から何まで至るまでクラウドを模倣したような、いわゆ る美少年だ。

そう・・・残念ながら目つきの悪さは愚か、性格まで似てる。エアリスを母親に持つせいか、父親ほど消極的でないものの、どこまでも冷めているのはそっくり だった。


「パパ・・・・はりねずみ・・・」

思ったことをずけずけ言うのもそっくりだ。


一発焼きを入れてやろうかと思ったが、エアリスがわき目でこちらをちらりと見たので止めた。

「早く食べてよ〜、片付かないんだから」

そう言ってエアリスはクラウドに温かなスープを差し出す。

そのスープは文字通り死ぬほど美味かった。
それだけではない、エアリスの作る料理は・・・トースト一枚でさえこの世のものとは思えないほど美味かった。


「ね、美味しい?」


エアリスが柔らかく微笑んでクラウドに問う。
クラウドは何だかこそばゆい思いで頷いた。言葉ひとつないのだが、エアリスはそれに満足したらしく、にっこりと微笑んでスコールの着替えを手伝いだした。


「スコール・・・?なあに、その服がいいの?でもママこっちの方がいいと思うなぁ」

エアリスが選んだ服を睨んで、更に自分の好きな服を抱き締めて、スコールがいやいやをする。


エアリスが選んだのは、女の子よりも可愛い息子に世の中一般の人が着せたくなるような白いボンボンの付いた水色の服だった。

しかしスコールが選んだのは黒いジャケットにファーが付いた男前の服だった。
ちなみにこれを選んでスコールに買い与えたのはクラウドである。
好みが一緒なのは父子の間にとってよいことである・・・たぶん。



「それ・・・女の子みたい」

ぼそりという息子の言葉にショックを受けたのかエアリスはおとなしくなった。

内心では4歳なんて男でも女でも変わらない、と思うクラウドも、今の息子の言葉に同感であった。


「もう!なんでそんな服買っちゃうの、クラウド!学校に行くまでは男の子でも女の子の服着せるって私、言ったのに!それでも100歩譲って男の子の服にし たのに!」

これが女の子だったらピンクよ!とエアリスが騒ぐ。


その母親を尻目に、スコールは自分で着替えを済ませていく。
そしてとことことクラウドの前にやってきて、ウインナーをせがんだ。

「スコール、たまには母さんの選んだ服を着てやれ」

スコールの小さな口に特大ウインナーをねじこみながら言う。

「やだ・・・。“他人に合わせる必要はない”ってパパいつも言ってる」

もごもご口を動かしながらスコールが言う。

その横でエアリスがすねていた。






ピクニックは心地よかった。

空気は澄んでいるし、今日は天気がよくて木漏れ日が暖かだったし、来た場所も絶景だった。


スコールと一緒にサッカーをした。

運動神経のいい息子は足も速いし同年齢の子供とは比べ物にならないほどボールの扱いが上手い。
サッカーには関係はないが、あの年で後方三回転半ひねりもできる。

キャッチボールやぷち野球をした。

ぼてぼてのゴロボールがやってくるかと思えば父親の自分のはるか頭上を越えていく特大ホームランだった。
届かないだろうと思って3メートルほどの距離でキャッチボールをしたら、剛速球が飛んできた。


エアリスとスコールの連合チーム対クラウドでバドミントンをした。

エアリスもバドミントンならそこそこできる。
スコールにスマッシュをしてとせがまれたのでやったら、ラケットが折れた。


ランチボックスの中身は子供のご馳走で一杯だった。

やはり美味い。食べれば食べるほど食欲がわくほど。

スコールがいつもより食べた。

エアリスに言わせると、スコールは運動が出来すぎるから同い年の子と遊んでも満足できないらしい。

なるほど、自分と思う存分運動したから腹が減ったと言うわけだ。


しかし、エアリスの持ってきたバッグは四次元ポケットかと思うぐらい、ランチボックスが次から次へと出てくる。

しかも全部違うものが入っていて、どれもこれも同じくらい美味い。

三人で全部たいらげた。







帰りの車の中で、スコールがあどけない寝顔を披露した。
エアリスの膝に頭を乗せてぐっすり寝入っている。

エアリスが目を細めてスコールの頭を撫でる。
オレンジ色の夕日が妻と息子を照らした。







「ごくろうさま、スコール見たことがないほど楽しそうな顔してた」

夜、息子はとっくのとうに寝込んだ時間。

「そうか・・・・」

そう言われて嬉しく無いわけもなく、クラウドは照れたように頭をかいた。

エアリスがベッドに腰掛ける。
エアリスが覆いかぶさるようにしてクラウドにキスしてきた。

クラウドは誘われるままに、妻との口付けを堪能する。

本当にエアリスの瞳は綺麗だ。
宝石のような翡翠色で、きらきら輝いている。
今も自分の顔が双瞳に映って・・・・・・・


映って・・・・・・・・・・・・・・・?


なんだ、この違和感は。



映っているのは間違いなく俺で―――――

二十代半ばの父親で・・・・・

北欧系の自分では好かない抜けるような白い肌で・・・・・

瞳は不思議な蒼で・・・・・・・・


「どうしたの・・・・?」

エアリスが不思議そうに問うてきた。
クラウドは言い訳するようにかぶりを振った。

「いや・・・その・・・なんだか違和感が」

エアリスの瞳が悲しげに曇る。

「クラウド、朝から変だよ?クラウドはクラウド・・・私の自慢の旦那さんで・・・・・・」

スコールのお父さんで・・・・・


私達はこれからもずっと一緒で・・・・・


そうでしょ・・・・・・?



―――彼女の声は惑溺性の強い酒のようだ

溺れていって思考が麻痺する。



エアリスの手が自分の太腿からわき腹、胸部へと伝ってくる。

繊細な手使いに興奮する。


もう一度口付けされた。

彼女の舌が、唇を割り、歯茎をなぞり、やがて自分の舌を絡め取る。

溺れていく、溺れていく



「ね・・・、して・・・?」

可愛らしく小首を下げ、おねだりするのは昔から変わらないか・・・・

昔?

彼女と出会って10年を数えるにはまだ遠い。



だが・・・・・・


思考は欲望に支配される。

彼女の吐息は麻薬のようだ。

一瞬で思考がストップする



「おねがい・・・・」



もう何も考えられない・・・・・・・・








「う・・・」

小さく呻いてクラウドは目を覚ました。軽く力を入れて体を起こそうとしたが、「軽く」では体が持ち上がらない。

だんだん意識がしっかりしてくるにつれて、腹が妙に重いのに気付いた。不思議に思って、首を起こし下を見やれば、布団がぽっこり−−−人型に、膨らんでい るのがわかった。

寝呆けている頭でも大体予想が付く。
そっと布団をめくれば、案の定、くの字に体を折り曲げたエアリスが、自分の腹を枕に眠っていた。

なぜ、そんなところで寝ているのか、まあ、思いあたる節もある。だが疲れてぐっすり眠っている彼女を起こすのは、気が引けた。腹が重いのはあんまりうれし くないが、彼女が起きだす頃までは我慢できるだろう。


寒いので、布団を戻しながら(エアリスが窒息しないといいのだが)、クラウドはぼぉっと天井を見上げた。
部屋が暗いせいか、真っ暗闇が上から迫ってきているように感じる。 もう一眠りしよう。それでまた起きたら熱いシャワーを浴びよう。そう思って、反射的にバス・ルームのドアを振り返る。

「あ・・・・・・?」


きりり、と頭が痛んだ。 しかも見つめる先にドアはなく、壁があるだけだ。
おかしい

そう感じて、壁を凝視する。だがそんな自分のほうがおかしいことに気付く。


ないものは無いさ

どうかしてる








目が覚めた。布団を捲るとエアリスがいない。

ふと時計を見やると、もう十二時近かった。

あんまり眠くなかったのになんでここまで眠ってしまったんだろう。
まあ、いい。さっさと風呂にでも入ろう。

クラウドは寝室のドアを開けた。
そこには妻の姿も息子の姿もなく、テーブルの上にラップがかけられた朝食が置いてあった。

その傍には手紙が添えられていた。


「ちょっとティファとお茶しに行きます。昼ごはんは買ってくるね」


なるほど、だったら家を出て行くときに自分も起こしてくれればよかったのに。

スコールは・・・・・・


ああ、そうだ。
あいつはまだ幼稚園か。

そういえばエアリスが言っていたな。
幼稚園で女子生徒二人がスコールをめぐって争って問題になったとか。
たしかリノアとセルフィ?

それであの時はエアリスが呼び出されて・・・。

それで肝心のスコールは二人に目もくれないでさっさと送迎バスに乗り込んでいたとか。

わが子ながらしたたかなやつである。



クラウドはシャワーを浴びた。
たっぷりかいた汗は既に乾いていた。




バス・ルームから出て、クラウドは上気した肌をタオルで拭いた。
自然と、目が鏡を探して彷徨う。

しかし不自然なことに鏡がない。
鏡を探してクラウドはバス・ルームに戻った。

だがそこにも鏡はない。
タイルが無機質に存在しているだけで、本来鏡があるであろう場所には何もなかった。

クラウドは頭をかしげた。

何でバス・ルームに鏡がない?
自分はともかくエアリスは絶対に必要だろうに。

おかしい・・・・。


鏡が気になって用意された朝食に手がつけられない。
不思議なことに、鏡がない、ただそれだけの事実がクラウドを悩ませた。
頭が痛い。きりきりする。


他に鏡は・・・・・・?



リビングに鏡はない。

スコールの部屋に鏡らしきものはない。

だが寝室にはあるはずだ。
あそこにはエアリスのリネンの類が置いてある。
鏡がないはずがない。


クラウドはエアリスの引き出しを開けて化粧箱を取り出し、中を探った。

コンパクトな鏡の一つや二つ・・・あるはずだ。


だが・・・・

ない。


そんなばかな。



何故鏡がない?

ふと、窓のガラスが頭に浮かんだ。

ガラス・・・鏡の代わりになるかもしれない。

何でもいい。写るものが必要だ。

急ぎ足で窓にたどり着くと、クラウドは自分を見ようとして顔を近づけた。

だがそれは叶わなかった。

「曇り……ガラス……?」

自分の影のようなものがぼんやりと映るだけで、自分の姿は見えない。


なんでだ・・・・?


どうすればいい?






何か映りそうなものを探して家を彷徨う。

しかし写るものは何一つ見つけられず、やがてリビングにたどり着く。


そのとき、用意されたまま手付かずの朝食が目に留まった。

朝食・・・朝食
・ ・・昨日はスープ・・・・スプーン!!



クラウドは食器棚の引き出しを開けた。

スプーン・・・・・・
かちゃかちゃと食器類がせわしい音を立てる。

クラウドはそれらを床に放り投げる勢いでスプーンを探した。

フォーク、違う。

ナイフ・・・違う。

お土産の箸・・・・・・違う違う!


・・・あった!


だが・・・


「・・・・・・木のスプーン、か」


確かに昨日使ったのは木のスプーンだった。

なんで、この家には姿が映るものが何もない?

ふと、クラウドはエアリスの瞳を思い出した。
透き通るようで、綺麗で、きらきらして、覗き込むと自分の顔が中に見えて。。。。あの時・・・・・自分は・・・・・・


「・・・・・っう」

激しい頭痛。それがクラウドを襲う。

なんでだ?何か見ようと、自分の姿を見ようと・・・・そうするたびに頭痛がする。

そのせいで何か思い出しかけていたのに綺麗さっぱり忘れてしまった。

まあいいか。それより鏡だ。





鏡、かがみ・・・。

やはりない。

だいたいなんでここまで鏡が気になるのだろう。
鏡なんて大して珍しいものじゃないし、そもそも自分は使わない。髪を整える以外には。
自分の顔を見ようなんて、それなりのことがない限り思いはしなかったが、今はそれが気になる。

とりあえず、顔が見たい。

自身でも説明の付かない、まるで本能のような欲求が彼を突き動かしていた。


この家で金属やガラスで出来ていて、尚且つ物を映すもの。
フォークとナイフはダメだった。スコールには危ないと言うのでどちらもセラミック製にしたのだ。

化粧品などのビン、顔が映っている気はするが、判別が付かないほどぐにゃりと曲がっている。そもそもビンと言うのはあまりモノを映さないようだ。

他には・・・・・・




そのとき、クラウドはふと思いついた。





―――俺の・・・バスター・ソード・・・・・・。






あれは・・・・そうだ。あれで仲間と戦っていたとき、ひらめく刀身にはっきりと自分の顔が映っていた。

あれだ。この家に何がなかろうが、バスター・ソードだけは自分が存在を証明できる。

自分“だけ”の唯一のもの。


友の形見、バスター・ソード。
幾つもの戦いをあれと凌いできた。

魔洸炉爆破したとき、エアリスと始めて会ったとき、ティファと話したとき、バレットと争ったとき、レッドとともに宝条と戦ったとき、ユフィを追いかけたと き、ヴィンセントを眠りから覚ましたとき、ケットが強引に占ったとき、シドが念願のロケットに乗ったとき・・・

セフィロスと星の運命をかけて戦ったとき・・・。


エアリスを・・・・・・・


エアリスを・・・・・・

エアリス?彼女はここに・・・・・・


「ッうう・・・・っ」

意識が飛ぶほどの頭痛が走る。
溜まらずに頭を抱えてくず折れた。


くそ・・・何か思い出しそうだったのに、一番大事なこと、思い出しそうだったのに。

まずい、何もかも忘れそうだ。ほんとうにナニモカモ



俺はソルジャーで・・・俺はただの兵士で・・・俺は父親で・・・俺は・・・俺は・・・・・?


イッタイ ナンダッタダロウ?






「ただいま!」

玄関からエアリスの声がした。

頭痛がさっと引く。
よかった、混乱しかけていたが、ちゃんと覚えてる。

自分のすべきこと、エアリスにバスター・ソードの場所を聞くこと。


バスターソード。自分の存在を証明するもの。
なぜか彼にはそう感じられた。







「エアリス!」

「あ、ただいまクラウド。ご飯食べた?」

のほほんとした笑みで問われると、自分の目的を忘れそうになる。
忘れてはいけない。

「まだ食べてない。それよりエアリス、俺のバスター・ソードは?バスター・ソードはどこにある?」

少々語気が強めになってしまったから、エアリスがビックと体を振るわせた。

「バスター・ソード?」

言葉の語尾が上がるのは、《知らない》という意思表示だ。
だがクラウドはそんなこと信じられるわけがなかった。

だって彼女はいつもその剣を間近で見てきたのだから。彼女を守っていた頃は、仲間で一番このバスターソードを知っているのはほかでもないエアリスなのだ。


「何を隠している。エアリス、あんたおかしい。この家には物が映るものが何一つない。バスター・ソードのことをあんたが知らないわけもない」

「なに・・・言ってるの。クラウド、変だよ・・・この前から・・・・知らないことばっかり・・・」

「エアリス」

「クラウド、わたしたちは夫婦よ。隠し事なんてないわ。それに、ほら・・・・」



バスター・ソードなんてないわ

わたしたちは、スラムじゃない・・・この家の近くの町で出会った

クラウドはソルジャーなんかじゃない、何でも屋

わたしは町のお花屋さん

出会って、親しくなって、愛し合って、それでこの子が生まれた・・・・



エアリスの傍にいつの間にかスコールが立っていた。




あなたは戦わなかったわ

これからもずっと剣なんて持たない

この家にそんなものはないでしょ

ずっとずっと家族三人で・・・・・




「ね、そうでしょ?」


エアリスの唇が近づく。


スローモーションのようだ。

吐息を間近で感じる。

触れ合っていないのに、すでにエアリスの唇の柔らかさを感じる。

エアリスの口付けは・・・・全てがワカラナクナル



捕らわれ虫のように動けない。

エアリスの大きな瞳が近づいてくる。

宝石のような碧で、きらきらしていて、透き通っていて・・・・

まるでガラスのように、自分を映す・・・・・・


写った自分は二十代半ばの青年で・・・

まだ少年のような顔つきと・・・

北欧系の抜けるような白い肌。

髪は金色で・・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・



「・・・・・・・ッッ!!!」


クラウドはエアリスを突き飛ばした。

エアリスが驚いたように目を瞬かせる。

「クラ・・・・ど?」

クラウドは黙る。
声一つ漏らさない。

頭の中を記憶が駆け巡る。

激しい頭痛に打ちのめされそうだ。記憶が戻っていくに従って比例するかのように痛みが酷くなる。

だがそれよりも、真実を掴みかけた今が勝った。


「エアリス・・・・・」

クラウドが重い口を開いた。

「俺に何をした・・・?」

「クラウド」

「俺に何をしたんだ!?」

「クラウド!」

エアリスが泣きそうな顔になる。

近づいてクラウドの頬に手を伸ばそうとする、その手をクラウドは振り払った。

「あんたに触られると頭がおかしくなる。なぜだ?何をした?」

エアリスは応えない。


「だが分かった気がする。この家に鏡が無い理由。あんたがバスター・ソードを出し惜しみしたことではっきりと」

「クラウド・・・違うわ・・・」

「あんたは俺に記憶を取り戻させたくなかった。所持品に関心のなかった俺は部屋の変化には大して反応しない。だが体は違う。実際は年を取った俺。どれだけ 自分が老いぼれたかは俺自身がよく知っている」

「・・・・・チガウ」

「俺が自分の姿を見ると、記憶を取り戻すと・・・あんたは知っていた」

「チガウワ・・・」

エアリスの声が不明瞭に耳に届く。

「バスター・ソードもだ。俺の一番の持ち物。姿以上に記憶を取り戻す可能性のある唯一のもの。だから・・・隠した」

「違ぅうっ!」

エアリスが叫んだ。だがそれがクラウドのココロに届くことはない。
エアリスの言葉に我を忘れることは二度とない。


「違うわ、違う違う!」




それだけしか言えない人形のように、エアリスは同じ言葉を繰り返す。
まるで駄々をこねた子供のようだ。


そうしてクラウドはそれに気付いた自分に驚く。

昔はエアリスがいつも自分の一歩先を歩いていた。
彼女のほうが年上。何を考えているのかさっぱり分からない。

いつも人を子供扱いして、お姉さん気取りで。



だが、今は。


彼女のときは止まった。

自分のトキは流れ続ける。

人は人との交流と、また生き続けることにより成長する。

彼女は・・・止まったままだ。



―――いつも強い人だと思っていた。

頼っていた。


だが今は。



寂しくて、うずくまるただの少女だ。

なんで昔は分からなかったんだろう。
こんなに彼女が心細いと。

強い人だと勝手に自分のイメージをなすり付けてきたと。



―――俺は、年を取った。



「エアリス、俺たちには子供はいない。分かってるんだろう?」

振り向いた先で、スコールが、息子を象っていたものが霞となって消える。
最後まで無表情だ。

エアリスが彼の息子をイメージしたのだろうか。


「そして、俺たちは結ばれなかった」

「!!」

エアリスが涙をためた瞳で自分を見あげた。
彼の言葉が信じられない、とでも言いたげに。


「なん・・・・で・・・」

「エアリス」

「・・・・・・」





「楽しかった。もしかしたらこんな未来も会ったかもしれないと。あんたがいて、子供がいて、家族で笑い会える未来が欲しかった。だが今は違うんだ。幻はい らない」

エアリスが震える声で言った。

「でも・・・クラウドがうん、って言ってくれれば、ずっとこの世界で生きていける。わたしと、スコールと、クラウド。永遠に・・・」

クラウドは頷いた。
目を細めてエアリスを見る。

なんて子供じみた彼女。
なんて危うい彼女。

ひとりぼっちの彼女。

寂しくて打ち震える小さな少女。

昔は気付かなかった。



「嘘は要らない。こんな未来がなくても、俺たちは一緒だ」

ふと自分の手を見ると、もとの皺が刻まれた無骨な手が見えた。

元通りだ、もうすぐ。


クラウドはエアリスを抱き締めた。


「何十年も待たせて、ごめん。でもいつか会いに行くから。だから・・・もう少し待っていられるな?」

エアリスの頬を涙が滑り落ちる。

「今ある生を手放すことは無意味だと分かった。だから今はお別れだ。だが・・・俺が死んだら、誰よりも早く、あんたに会いに行く」

エアリスが声を上げて泣き始めた。
ごめんなさい。そう言いたいかのように。





「寂しいのは、俺も一緒だ」







それだけ願っても彼女は返ってこなかった。

どれだけ望んでも彼女を得ることは出来なかった。

どれだけ祈っても、彼女との未来はない。



だが、偽りはいらない。



偽りの上に、幸せな未来などないと、この年になってようやく言える。


彼女の目は若さで曇ったのだ。




寂しい、寂しい・・・・

若いから、その重圧に耐え切れなかった。


だれも彼女を断罪することは出来ない。



だから、いつか・・・・




「こんな素晴らしい生活を営もう」



エアリスがいて、子供がいて、自分がいる。












次第に周りの風景がぼやけていった。

また暫くお別れだ。


かわいそうなエアリス。

一人ぼっちのエアリス。







目が覚めたとき、そこにはいつもの自分の部屋があった。

無機質な部屋。
彼女の温もりなどもちろんない。


だが・・・・エアリスがそこにいて・・・・

スコールが笑って


そんな残像がちらついたような気がした。


心が温かくなる。




かわいそうなエアリス。

星の宿命を1人で背負って

誰にも言うことができず

命を奪われて

今は一人ぼっち

でも大丈夫






「俺たちはいつも一緒だ、そうだろう?」




エアリスが微笑んだ気がした。








FIN






AC無視ですな。エアリスにはザックスがおります!仲間がおります!ですがこれを書いたときはまだACが発売されていませんでした。言い訳・・・。


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