天使達の失墜 第一話

廃棄されるヒトビト






2138年 八月二十二日

度重なる環境破壊、地球温暖化、大気汚染・・・。
極度に上がった気温の影響を受けて海面が上昇する中、建設中だった巨大宇宙ステーション三基が制御能力を失い、地球を襲った。

地表は抉られ、南極の氷は融解し、多くの命は失われた。
少数の生き残った人々も住む場所をなくし追われる。行き届かない人道支援もさることながら、遺体の不始末や極端な不衛生により疫病が蔓延するなど、二次災 害が後を絶たなかった。

この事件により、事実上、世界の機能は麻痺した。



2139年 二月十八日

政府は“世界地球環境保全理事会”(WEPC)からの正式な通達により、被害の拡大を阻止することを宣言。

同年 六月十四日

“WEPC”は具体的な被害状況を一般公開。
地表の70%が水没。地球の人口の半分以上が死滅。

同年 九月三十日

事態は更に深刻になる。少ない土地、食料、更には清潔な空気、水を求めて国家間の言い争いは絶えない。“WEPC”解体。デモやテロが相次ぐ。
国際的な紛争が相次き、国内でも治安はますます悪くなる。まさに“血みどろの”世界。
死者特定不可。

2150年 八月二十二日

存命国が“世界共通平和条約”に調印。
12年前の悲劇を二度と繰り返さないと誓う。
同時に“世界国家統合条約”締結。
存命国は一つの国家として一つの政府の元、手を取り合うと表明。

2150年 十一月三日

第一代大統領が選出。
“地球環境保管委員会”結成。

2152年 四月五日

エネルギー資源の枯渇した地球、浄化能力を失った大地、そして最悪の環境汚染。人々の免疫力は落ち、死者は日々増加の一途を辿る。
相次ぐ奇形児の報告を受けて“地球環境保全委員会”は“次子遺伝子改造”を全面的に認め、奨励。後にこれは同名の法となる。

2155年 六月十一日

人口が右肩上がりを見せる。
しかし同時に遺伝子改造による、遺伝子欠陥のある子供が生まれるようになる。
その割合は十人に一人。LSP(レス・ピープル)として識別。
政府は親族からの希望があった場合にのみ、LSPを処分することを認める。
だがしかし、大抵は莫大な国家予算をかけて家庭に資金援助、または保護することになる。


―――これは健常者である住民への負担を耐え難いほどに大きくさせた。
LSPへの援助資金が国家予算を破産させるほどまでに大きく膨れ上がったからである。

抗議デモ、ストライキ。世界的に続発。



2204年

政府は憲法の一部を改正。
人権の見方を“LSP”には当てはまらないとし、LSPの一斉処分を検討。
だが、旧来の人権保守派と激しく激突。長年の激闘の末、しかし結果的に勝利を収めたのは前者であった。






そして2240年 七月二十四日――――――――――――




セゾンシティ、大学キャンパス内。理科一類講義室・・・・・。



真っ白いペンキで塗りたくられた無骨な教室内に、待望のチャイムの音が鳴り響く。

教室の前方の壁に埋め込まれた横長のパネルが、独特の電気音を立てて切れた。
二百年と少し前なら“黒板”とか“ホワイトボード”とか呼ばれたものと同じ類のものだ。多少姿かたちは変わったとはいえ、生徒たちをウンザリさせるところ は、今も昔も変わらない。


がたがたと椅子の音を立てながら席を立つ生徒たちに混じって、一人の金髪の青年が自分のパネルの電源を切った。

ここではバックも教科書も財布も要らない。
目の前にあるパネルの前に座れば、勝手にコンピューターが使用者を識別して、必要なデータを引っ張り出してくれる。


ここは、いや・・・世界中は一つのネットワークに管理され毎日を過ごしている。
旧世代ならばありえなかったことだが、今や誰もなんとも思わないし、それが普通だ。便利だし、一つのネットワークを共有しているからといって、従来のよう に個人データが盗まれることもない。



・ ・・他の生徒が手ぶらで教室を出て行く中、金髪の青年は自前のPCを片手に教室を出た。

彼はこのPCがいたく気に入っていた。あの気に食わない“やつ”から手渡されたものだが、それだけにどこにも売られていない・・・いわゆる特注品で、性能 は折り紙つきだ。



教室を出た彼は、そのまま真っ直ぐ食堂へ向かう。
やたらと強い日差しは、彼の色素の薄い瞳にはきつすぎた。青よりも蒼。彼の瞳は明かりの中ではアイス・ブルーに、闇の中ではコバルト・ブルーに輝いた。

この瞳は特別な蒼。この瞳を持つ者はこの世界にたった一つの家系だけ。
それも“次子遺伝子改造法”が制定されたときから――――




彼が通った後には、女子生徒の色恋の眼差しが後を絶たなかった。
その理由は簡単である。
彼がとても美しい容姿の持ち主だからである。

それは彼自身も承知していた。そうなるべくしてできた顔立ちなのだ。
世界で一番美しい。自分自身と対等にはれるのはあの気に食わない“やつ”だけだ。そういう風にできているのだ。



だからもう、そのような切望の眼差しも気にすることは無くなった。


「クラウドくーんッ!ごはん一緒に食べましょー!」

ふいに、複数の黄色いかしましい声が聞こえて、クラウドと呼ばれた青年は振り返った。

だがやがて、すぐに何事も無かったかのように歩き出す。
こういった類は相手にするだけ時間の無駄だ。周囲にはヒドイだとか、冷血人間だとか言われたが、毎回毎回こんな目に合う自分の気持ちも理解して欲しい。

それともやはり、こういう風に考えるのも、高くとまっていると思われるのだろうか。


そんな事を考えながら食堂に一歩足を踏み入れたとき、背後からどすん、と重い衝撃を受けた。

視界に黒髪が舞う。

クラウドが口を開くその前に、黒髪の持ち主は快活に話し出した。


「こんにちは、クラウド。少しは愛想よくしたらどうなの?そんなふうに眉間にしわ寄せてばっかりだと、不細工になっちゃうわよ!」

「余計なお世話だ、ティファ」

ティファの快活さとは正反対に、クラウドの眉間のしわは更に深くなる。
しかしティファはそれを気にする様子も無く、クラウドの腕に自分のそれを絡めた。

クラウドが一瞬絡んだ腕を解こうとするが、思い返しのか大人しくなる。

―――ティファには何言っても無駄だ。


その様子にはティファはにんまりと笑った。

自分とクラウドは特別な関係。少なくとも、そこらへんでクラウドに憧れの眼差しを傾けている子達とは、違う。

ティファには、自分ほどクラウドに釣り合う女の子がいるわけが無いという自負があった。


―――大会社の令嬢。それがティファの立場だった。

美しく艶やかな黒髪。ほんのりアジアの血が入って神秘的な美しい顔立ち。
モデルばりのスタイルを誇るボディ。もちろんクラウドに続き成績優秀、頭脳明晰。

ティファのそれもなるべくしてなったものだったが、ティファは自分の容姿をとても気に入っていた。

どうせ生まれるのならば、美しく生まれついたほうが良いに決まっている。
しかも将来は父の会社を継ぐとなれば、なんで自分とクラウドが婚約者ではないのか、不思議なくらいだった。


「あんまり引っ付くな、ティファ」

「ええ!いいじゃない、別にィ」

そう言ってティファは更にクラウドに密着した。ふくよかな胸を薄布越しに押し当てたりしているのだが、クラウドはたいした反応も見せなかった。


周りから見れば、「クラウドの隣はティファ」が決まりだった。誰から見ても、ティファ以上にクラウドに釣り合う人間がいるとは思えない。

二人は付き合っているのものだと思っている者もたくさんいた。


しかし、ティファにはその気があるとはいえ、クラウドはティファをそのような目で見たことは一度も無かった。



―――二人は隣に座ってランチをとった。

ティファはいつもクラウドと同じものをとる。
一昨日はラーメン、昨日はオムライス、今日は鮭の塩焼き定食。鮭って嫌いなのよね、と愚痴を零しながらそれでも同じものを食べる。明日はきっとスパゲッ ティ・ナポリタン、オニオンスープ付を隣で食べるのだろう。


これこそ、もう慣れだ。
最初のほうこそ違和感があったが、今ではわざとティファの嫌いなものを三日連続で食べてみたりして、反応を見る余裕もできた。


そのとき、聞き慣れた陽気な声が食堂を大音量で駆け抜けた。
クラウドは溜息を付く。また五月蝿いのが来た。


「おーい!クラウドォー、ティファー!」

長身にハリネズミのような黒髪が印象的な、クラウドの親友ザックス。
その彼の登場に、ティファは小さく舌打ちをした。

―――クラウドと二人っきりが良かったのに、ザックスのばか!

しかしザックスはそのティファの様子に気付かず、大またでクラウドの元へとたどり着いた。

その手にはコロッケパンと焼きそばパンが握られている。
無論、足りるわけが無い。


「頼むクラウド!その鮭を半分くれーーー!」

「は?あんた金は?」

クラウドが呆れて返すと、ザックスは少し神妙な態度をとった。

「オレか?オレはだな・・・・・愛する女の子たちとの楽しい・・・・・」

「要するに、女の子とのデートに使っちゃったのね、女たらし!」

ティファの糾弾に、ザックスは大仰に肩をすくめて見せた。

「おおこわ!じゃあティファちゃん、どう?今夜」

わざとらしく“ちゃん”などとつけるあたりが気に食わない。
ティファは顔をしかめた。

自分とザックスは幼馴染だ。何となくクラウドの前では、自分とザックスが話している所を見せたくなかった。


「まあ、いいや。クラウド、今日は午前授業だろ?一緒に合コンイかねーか?可愛い子がいるんだよ」

ザックスが目を爛々と輝かせて話す。
ザックスは一にも二にも女が好きだ。食費が無くなるくらい、毎日合コンに明け暮れている。

だが、クラウドもティファも、ザックスが本気になったことは見たことが無い。
どうせ、今回の“可愛い子”もちょっと遊んでみたいだけなのだろう。深く付き合うつもりはさらさら無いに違いない。

それでも女の子はザックスに近づいてくる。
それもそのはず、ザックスもクラウドとは対照的な整った顔立ちをしていた。

クラウドの中性的な顔立ちとは異なり、自分を強くアピールする、そんなカリスマ性溢れる顔だった。

もちろん、体つきもいい。


「お断りだね」

クラウドは冷たく言い放った。
そんなことにうつつを抜かしている暇があるなら、寝ていたい。

ザックスとは唯一打ち解けた親友とも呼べる仲だが、どうもそりが合わない部分が多い。いや全面的において合わない。

この極度の女好きが無ければ、本当に気さくないい奴なのだが・・・・・。


「なんだ、つまんねーの。まあいいか。それよりも・・・・・鮭くれーーーーッ!」

「“つけ”といてやる」

「また増えたわね。“つけ”」








閑静な住宅街に、エンジンの音が鳴り響く。
大型のバイクに跨って、クラウドは帰途に着いてた。

“ハーディ・デイトナ”。バイク好きの人だったら喉から手が出るほどに欲しがるであろう、幻のバイクだ。

モンスターバイクと呼ぶにふさわしいそれは、乗るものを選ぶ。

一流の反射神経を持っていなければ、制御しきれず命を落とすのは必死だ。



―――クラウドの進む先・・前方に工場と呼ぶには小さい建物が見えた。

クラウドはこの建物が嫌いだった。
好きな奴はいないであろう。


・ ・・十数年前に廃校した高校の敷地の利用をめぐって、議論が行われたのはつい数年前までのことだった。

“LSP”の処理場。住宅街から一歩はずれたところにある、無骨な建物。
地域の住民からは大反対が起きたが、近隣には迷惑をかけないことを条件に、とうとう建てられることになった。


その制約どおり、知らぬ間にLSPは運び入れられ、知らぬ間に“処分”されていく。

静かなことはいいこととは言え、知らぬ間にひっそりと“処分”なされているのは薄気味悪い。

一説によると、夜のうちに地下のラインを通って運び込まれているとか。しかし真偽は確かではない。確かなことは、この処理場がしっかり運営しているという ことだけだ。


大地の嘆きか、この処理場の周りだけ、草木が生えない・・・・・。



クラウドは処理場のフェンスを眺めていた。

内から見る外の光景はどんな風に見えるのだろうか。最後に見る景色とは一体どういったものなのだろうか。

初夏の日差しの中、視界が曇っていた・・・・・・・・。



「・・・・・・・・・・ッ!!」


クラウドは激しい急ブレーキをかけた。
耳障りなブレーキ音が轟き、土ぼこりが舞う。

目の前に女性がうずくまっていた。それに気付いたときは間に合うか間に合わないかの距離。

バイクは暴れながら横にスライドし・・・・・女性の一b手前で止まった。

クラウドは大きく安堵の溜息を付いた。
“ハーディ・デイトナ”に乗って、こんなにあせったのは初めてだと思った。

しかし、すぐにそんな場合ではないと気付く。慌てて近寄れば、女性は自分の過ぎ去った危機に気付きもしない様子で、しゃがんで熱心に地面を見ていた。

クラウドは口をぽかん、と開けたまま、つられて女性の見ている地面を覗き込んだ。


―――そこには一生懸命に餌を運ぶ・・・・・・・ありの行列があった・・・。


何拍かの休止のあと、クラウドは勢いよく横にしゃがみこむ女性を振り返った。


亜麻色の髪を持つ女性は未だ熱心にありの観察をしている。
集中しすぎて、クラウドの存在に気付かない様子だ。

たまりかねて、クラウドは声をかけた。

「おい・・・・・」

未だ、気付かない。

肩を揺さぶってみた。


今度は反応は・・・・・あった。


「うーーー・・・・・」


小さく呻いて女性はクラウドを仰ぎ見た。

その顔はまだあどけない少女のもので、子供にしかない純真な無垢さを感じた。

クラウドは目を奪われかける。
亜麻色の巻き毛。白い肌に、宝石のような翡翠の眼。発色の良い、ピンクの唇。

とても美しい容貌だった。ティファと同等か、いやそれ以上。


彼女は上のほうの人間だとクラウドは確信した。
“次子遺伝子改造法”。これにより、遺伝子改造は認められた。
免疫力の強化。および奇形防止。これはどれだけ家計の苦しい家庭でも、政府からの援助で受けることができる。

だがそれ以上のこと・・・・・容姿や身体能力・・・・これはごく限られた上のほうの人間しか受けることはできない。

財政状況による、身分の固定化。


つまり、“なるべくして、なった”美しい姿なのだ。
極まれに、天性の持ち主もいるようだが・・・・・。


「大丈夫か?」

クラウドはいつまでもほうけたままの彼女に、遠慮がちに声をかけた。
ぼおっとしすぎて、どこか怪我でもしたのではないかと心配になる。

しかし、返ってきた反応はクラウドを更に驚かせた。


「うーーーあーーーー・・・・」

彼女の唇から紡ぎだされたのは、まったく意味の無い音の序列。
それはまるで、まだ言葉の喋れない赤子のようなうめきだった。


―――“レス・ピープル”だ!

クラウドは驚きに、足を半歩後退させた。
その美しい容貌もあいまってか、彼女が遺伝子欠陥があるようには、さらさら見えない。


クラウドは咄嗟に“処理場”のフェンスをぐるりと見渡した。

ほんの数十b先のフェンスのドアが半開きになって、風に揺れていた。
ドアは揺れるたびに、耳障りなギシギシという不吉な音をたてる。

クラウドは顔をしかめた。


きっと、運よく監視の目をすり抜けて、ふらふらと外に出てきてしまったのだろう。
でなければ、こんなところでのんびりと、ありなど見ているわけが無い。


―――何が迷惑をかけないだ。

クラウドは内心舌打ちをした。
LSPが抜け出すぐらいの管理体制の甘さはどうだ。
おおよそ、タカをくくっていた職員の連中が鍵でもかけ忘れたのだろう。

抗議の電話でも一本かけてやろうか・・・・・。


クラウドがそんなことを考えていた時、急に頬に冷たいものが触れた感触がした。

気付けば、目の前にいつの間にか女性が立ち、自分の顔をペタペタと遠慮なく触っている。

冷え性なのか、触られたところがヒンヤリと冷たい。


・ ・・・・自分の瞳の色が気に入ったのだろうか、無垢な瞳をきらきらさせて、自分の顔をじっと見ていた。

あながち、悪き気分ではなかった。きっと、彼女から受ける印象が生まれたばかりの幼児に感じるものと似通っていたためだろう。

一つまみの好奇も、疑心も悪意も慢心も虚偽も・・・・・・そんな汚らわしいものは一切感じない、真っ直ぐな瞳。

赤ん坊のような屈託の無い微笑みを向けられて、思わず張り詰めた表情が緩む。


「あんまり見るな」

クラウドはそう言って、彼女の手首をやんわりと掴んで押し留めさせた。
彼女は不思議そうに目を瞬かせる。

それでもまだ顔を触りたいのか、果敢に手を伸ばしてきた。
細い指先が、顎のラインを辿り、唇をなぞり、頬を撫でて登ってくる。
やがてそれは、やはり目のところ止まり、暫く停留していたかと思うと、硬質の金糸の髪をぐしゃぐしゃとかき回した。

「うわッ・・・こら、やめろ!」

クラウドが慌てて髪を押さえて、自分と彼女を引き離す。髪形を戻すように一、二回頭を振ったのが面白かったのか、彼女は楽しそうにきゃっきゃと笑い声をあ げた。

もう一回見たかったのか、再び手を伸ばす。

しかしクラウドは、さっとその場から身を翻した。
目標を失って、彼女がよろける。

「あぶない・・・・・!」


クラウドは咄嗟に彼女の体を引き寄せ、自分の体を下に滑り込ませた。
そのまま倒れこむ。


背中に鈍い痛みを感じて、クラウドは思わず顔をしかめた。
上に彼女が載っている分、幾分衝撃が強い。

じんわりとした痛みが去った後、クラウドは恐る恐る彼女の顔を覗き込んだ。
俯いているので少し心配になって声をかけた。

「おい・・・大丈夫・・・・・ッう」


―――時すでに遅し。彼女は嬉しそうにクラウドの髪をわしゃわしゃとかき回していた。



―――そのときだった。

急に視界に現れた投網が、彼女の華奢な体を絡め取った。

「!?」

クラウドが驚きに目を見開く中、投網は自動制御で戒めを完成させていく。
その動作が遂行されていく間に、引き締められた金具が彼の腕や顔を浅く傷付けた。

目の前で捕らわれていく女性は、喚きたてながら暴れる。
彼女自身、クラウド以上に金具の痛みに晒されているようだった。


「やっと捕まえた!」

フェンスの中から、それとわかる作業服を着た男性職員が、歓声を上げながら飛び出してきた。

「あ・・・大丈夫ですか?こいつ、逃げ出しちゃって・・・・・」

手荒な手段にも、特に悪びではいない様子で、職員は飄々と言う。

捕獲用投網を使用するのなら、周りに誰もいないのを確認しから使うべきだ。
クラウドはこの職員の態度にいけ好かないものを感じた。

そもそもそちら側の不始末で、この女性は外に出てきてしまったのではないのか?

それを棚に上げて、凶悪犯や脱走獣に本来使用するはずの自動投網か。


「すいません、怪我ないならもう行きますね。もう“処分”の時間なので」

クラウドはこの言葉に更に顔をしかめた。
一般人に処分の話をするとは、この職員、無神経もいいところだ。
これから“処分”すなわち命が失われることを知って、たとえそれがLSPであっても、気分がいい人がいるはずがない。


そうしている間に、その男は大またで網の中で暴れる女性に近寄った。
もぞもぞとせわしく動くその網を一瞥して荒々しく口を開く。


「ったく・・・いらん手間をかけさせやがって・・・。お前のせいで、オレが減給になっちまたじゃねーかッ!」

「きゃん!」

そう吐き捨てた後、男はクラウドの見ている前で女性のわき腹を蹴った。
にぶい音がして、続いて子犬のような悲鳴が聞こえ、女性を戒めたままの投網がごろごろと転がる。

「!」

クラウドは絶句した。

ぎり、と奥歯を噛み締める。
知らず知らずの内に、拳が爪が手の平に食い込むほどに握られていた。


そのまま恥知らずな職員は投網のフックにロープを引っ掛けて、ズルズルと引きずっていく。


世間のLSPの見方とはこんなものだったか。
クラウドはその乱暴な職員の行動を前にして、一人尋ねる。

野良犬か野良猫か、そんな扱いを受けてきたか。
いや、もっと悪い。


市内を歩けばどこもかしこも“レス・ピープル”お断りの文字。
それが普通。そもそも“一斉処分”が検討され実施されてから、レス・ピープルを見ることさえ少なくなった。

皆がみんな、税金を食いつぶす邪魔なものだと思い、そう教えられ・・・・・・。
ごく普通に・・・・・。

だから家族の一員のようにレス・ピープルを扱う家庭はそれこそ、変人のように見られて・・・・。
それさえもあたりえのように。考えたことすらも無く。


この職員を恥知らずだと、そう感じた自分こそ変人なのだろうか。


あれがあたりまえのレス・ピープルへの、彼女への扱い方・・・・・・?

無垢な彼女への、あれが適当な扱いかた・・・・・・?


彼女は何も知らず殺されるのか?



そんなの・・・・・・ッ!



「待ってくれ!」

気付いたときには、すでに彼女を連れ去る職員を呼び止めていた。

職員は不審そうな目でこちらをみやる。

クラウドは視線を落として、引きずられる彼女を見た。
金具の痛みに軋むような表情を浮かべている。しかし、クラウドを視界に捕らえてその表情に赤子のような笑みが灯る。

それはまるで、母親にあやされて、お気に入りのおもちゃを手にした赤ん坊のような微笑だった。


「どうしたんですか?」

淡々とした、冷酷にさえ聞こえる男の声にクラウドは視線を戻した。

いかにも面倒くさそうなこの男に苛立ちがつのる。
その手を離せと、今にも怒鳴り散らしてやりたいぐらいだった。

しかし、気を落ち着かせクラウドは一息吐く。
そして真っ直ぐにその職員を見やり、威圧感さえ感じさせるほど低い声で言った。


「その子を離せ。俺が引き取る」


男は驚いて、手にしていた綱を取り落とした。
そのありえない、とでも言いたげな仕草にさえ苛立つ。

もう一度、強い語調で言う。

「聞こえないのか?その子を離せ」

男は暫くほうけたまま、口を開けていたが、やがて気を取り直したように再び軽薄な態度を滲ませた。

「それはいけませんよ。こいつは処分するよう持ち主から頼まれているんです」

その男はどうしても亜麻色の髪を持つその女性を、どうしても処分したいようだった。

減給を根に持っているのか。しかしそれぐらいの理由では話にならない。

「それはおかしいな。所有権を放棄されたのなら、俺がそいつを引き取っても文句は出ないはずだ」

しかし男はなおも食い下がろうとする。
抗議の声を上げようと、口を開いた瞬間クラウドは男の胸ぐらを掴んだ。


「命令だ。もう一度言う。その子を離せ」

男の顔に一瞬、怒りの色が浮かぶ。

なぜ、自分がこんなガキに命令されなければいけない?お門違いもいいところだ。
そう思ったに違いない。

果敢にもクラウドの顔を睨み返してきた。

しかし、すぐにその表情から怒りと嘲りの色が消える。
大きく目を見開いたその男の顔に表れたのは、まぎれもない恐怖だった。


「す・・・・すすすすいません!今離します!」

男は狼狽して後ずさりした。
そしてすぐに投網の解除を始める。

コード解除のコール音が鳴り響き、ぱさりと網が地に落ちる。

そこからのそのそと翡翠の瞳の女性が這い出てきた。
クラウドはすぐさま、その女性を抱き上げる。

「そうだ。こいつの名前は?」

顔を青ざめたままの職員に問えば、男は焦った様子で脇に抱えたPCに目を通した。
パネルに個人情報が打ち出される。

「えーと・・・・、あ、出ました!エアリスです。エアリス!」

「もういい、いけ」

去り際に目配せをして、震えながら突っ立ている男に冷たく言い放った。
男は酔狂な悲鳴を上げて、走って元いた場所―――フェンスの中へと戻っていく。



――気に食わないとは言え、この瞳の効果は絶大だ。
恐れおののかない者などいない。


クラウドは暫し自分の両の瞳を感慨深げに押さえていたが、すぐに目を肩に担いだ女性へとやった。

相変わらず、自分に何が起こっているかも分かっていない様子で、目をぱちくりと瞬かせている。


クラウドはふと苦笑した。


「行くぞ、エアリス。まず役所に行くからな」


エアリスはタイミングよく「うー」と唸った。







続く