再会は、突然に 後
クラウドはエアリスの体を抱きしめた。
少女のものではない丸みを帯びた優美な体のライン。憂いを含んだ美しい顔。真っ白な肌、ほつれる巻毛。
すっかり大人になった少女が目の前にいる。
あれほど求めて止まなかった彼女が。
ロマンスを期待していなかったと言うと嘘になる。露骨な期待ではなく、彼女と再び親しい関係になる、という漠然とした望みがあった。
それは、昔のようなお友達の関係、という意味ではないのだろう、と客観的に思う。
きっと彼女は自分との約束を覚えて待っていてくれるはずだと信じていた。
少しも疑わなかった。
なのに肝心の彼女は記憶を失い、もし約束を覚えている彼女だったなら考えもしないようなことを言う。
―――たかが子供の約束と。
また会うこと、それが何よりも一番尊いものだったのに。
活躍している自分を見ていてくれると思っていたのに。そうだと信じて名を挙げようと躍起になったのに。
なのに彼女は全て忘れて、あまつさえ彼を恐れる。
なにかが切れた気がした。
そんな彼女に会う必要は無いと。
ならばもうどうでも良くなって、彼女を傷つける本能のようなものが先行した。
衝撃を与えたぐらいで記憶が元に戻るなど期待してはいない。たんなる口実に過ぎない。
これが終わったらさっさと帰って二度と会う必要もなくなるだろう。そう考えていた。
だが腕の中で愛らしく震える彼女を見ていると、とてもじゃないがこれっきりなどできない。
やはり思い出してもらいたい。約束を。
情事の後、エアリスはクラウドの腕の中で僅かに震えながらぐったりしていた。
息が荒い。頭の中も真っ白だ。
だが呼吸が落ち着いてくるにしたがって、頭がしっかりとしてきた。
そうしてあられもない姿で感じるままに声をあげていた自分を思い出す。
ぐったりと倒れこんだのは自分を辱めた男の腕。ソファーに座った彼の腕を枕にして、丁度顔を見上げるような形で彼の膝の上に横になっている。
体の上には安楽椅子の上にあった毛布がかけられていた。
どうしよう、とエアリスは思った。
体全体がずきずきして脱力して彼の胸に持たれかかったまま、ぴくりとも動かない。
それどころか、このまま眠ってしまいそうだった。
男の綺麗な顔をぼんやりと見上げていると、ゆっくりとキスが降ってきた。
唇を上下に挟んで、極遅く左右に擦られる。
そのふっくらした感触が心地よくて、エアリスは眠りに落ちそうになった
。
だが慌しいドアの鍵を開ける音が聞こえて、エアリスは眠りから引き戻された。
―――ティファちゃん!今日は帰ってこないはずなのに、なんで!?
「おねーちゃん!免許書どこ行ったか知ってる!?持って行き忘れちゃった!今お昼休みの最中なの、はやく戻らなきゃ!」
そうしてバタバタとリビングに近づいてくる足音が大きくなる。
いつもの癖でエアリスは免許書の在り処をひねり出す。
リビングのドアが開いた途端、エアリスは言った。
「免許書は小物入れの中だよ」
「ありがと!お姉ちゃん!」
入ってきたティファが、ソファーの二人に目もくれず、横の小物入れに直行する。
「えーと、あった!じゃあ行って来ます!お姉ちゃん、この辺りで家に押し入られた強姦未遂事件があったそうだから気をつけて……・って」
ティファの手からぽろりと免許書が零れ落ちる。
それを拾おうともせず、ティファはソファーの二人を凝視する。
ソファーの上には憧れの大スターと最愛の姉。
姉はあられもない格好で男の腕の中に横たわり、床には脱ぎ捨てられた二人の服が散らかっている。弾け飛んだボタンと涙で腫れ上がった瞳が、姉の受けた仕打
ちを如実に語っていた。
「い…………いやあああああああああああああああああッ(@□@)!!!!!!」
ティファが絶叫する。
「む…虫!害虫!獣!けだもの!狼!!ピラニア!ハイエナ!ハゲワシ!コクローチ!(英語でゴキブリ)」
「いやーーーーーおねーーーーーチャ――――ン!!!!」
それだけ言って、ティファは気絶してしまった。
「エアリスは…ずっと塞ぎ込んでいるけど、大丈夫だろうか」
ガストは愛娘がもう一週間も部屋に閉じこもっていることが、心配でしょうがなかった。
あの日――――
妻と取れたての野菜で豪華なディナー(二人収穫祭)を楽しんでいたとき、急にチャイムの音がして、ガストは正直無粋な来客に気を悪くした。
ちょっと不機嫌な顔で表に出ると、意外なことに目の前にいたのは彼が目の中にいれても痛くないほど溺愛している娘達だった。
「おお、娘達!丁度いいところに来た。今、今日取れた野菜でご馳走を食べようとしていた所なんだ。さぁさぁ、入って…」
だが下の娘は上の娘を庇うように立ったまま、地面を見つめている。
「ティファ…?」
「ごめん、パパ。わたし明日も仕事だからすぐ変える」
ティファは気遣わしげにエアリスを見やった。
「お姉ちゃん、置いてあげてくれる?理由は…聞かないで」
本当に何があったのだろうか。
ティファは頑として説明しようとしなかったし、エアリスに聞くのはいけないのだと、雰囲気から分かる。
ガストも妻のイファルナもエアリスを元気付けようとして、大好きな農園に連れていったり、花でいっぱいの庭の世話をさせようとしたのだが、効果は無い。
あれほど好きだった庭いじりもしないし、読書もしない。
ただ部屋に閉じこもり、ベッドで伏し、出てくるのは食事のときとトイレや風呂ぐらいだ。
たまに出てくるときでも話をしない。
「辛いことがあったのね。立ち直るなら、エアリスが自分で頑張らなくちゃ」
イファルナは夫の肩に頭をもたれる。
やつれていく娘が痛々しい。
でも何もできない。
ガストは溜息をついた。
「今度の夏祭りのミスコンにエアリスを出してくれと町長から頼まれたんですが…この調子では無理ですね…」
イファルナも溜息をつく。
「気分転換になると思ったんだけど…エアリスは人も怖いみたい」
そう、エアリスは人を怖がる。特に、男性を。
ガストもイファルナも一つの答えに達しかけていた。
だがそれを肯定するのが二人とも怖くて、エアリスに聞くことができない。
恐らくは、二人の思っていることが起きたのだろうから。
イファルナがそっと涙をふいた。
エアリスはベッドの上で静かに目を閉じていた。
こうしていると、ふわふわして怖いものが無くなるようだ。
不安とか、恐怖とか、忘れていくみたい。
でもそれはその時だけだった。
目を開けると恐ろしい光景がフラッシュバックしてくる。
エアリスは湧き上がってくる恐怖に従っておののいた。
怖かった。
あんなことが自分に起きたなんて信じたくない。
でも現実は容赦無く彼女を襲い、どす黒い影が彼女を覆って心臓が燃えたぎそうなほどに怖くなる。
手の中で青い乳白色の石が柔らかな灯りを燈す。
それがあの男の瞳と重なって、エアリスは小石を握る。
思い出すのは、怒りに燃えた瞳。
それでもすぐに悲しい瞳にとって変わる。
泣きそうな、子供が今にも泣きそうな…そんな瞳。
今だから分かる。
彼は傷ついていた。
―――別れ際に……青い守り石を渡した!
なんでわたしのこと知っているの?
あれは確かにわたしのこと。
エアリス、と確かに自分の名を呼んだ。
じゃあなんでわたしは知らないの?
―――子供の約束?
あの人にとってその約束は我を忘れるぐらい大事なものだったの?
なんで、なんで?
あんな人知らないのに……。
なんであの人はわたし、知ってるの?
どこかで会った?
それは無い。記憶に無いものは無い。
エアリスは握り締めていた守り石をそっと覗く。
淡い光が本当に綺麗。
海のようでいて、もっともっと優しい光。
―――エアリスに、持っていてホシイカラ
「!」
見知らぬ声が頭の中に響いて、エアリスはくらくらした。
雑踏の中で、声をかけられた気がした…そんな感じ。
誰?
しかしすぐにエアリスは頭を振った。
良く分からない。何もかも。忘れてしまいたい…。
「しかし、写真っていっぱいあるもんですね。いつのまにか増えてしまいましたね」
ガストはアルバムにも収納されていない写真を整理しながら溜息をついた。
イファルナはその夫のわき腹を小突いた。
「あなた、なに言ってるの?あなたはどこか遊びに行くたびにフィルム四個ぐらい使ってたじゃない…」
「だって可愛い娘の写真ですよ!あ…これはエアリスが幼稚園に入学したころの写真ですね…可愛い…」
ガストはうっとりしながら写真を見つめた。
絵の中から愛らしい笑顔のエアリスがにっこりと微笑みかけてくる。
自然とガストの頬も緩む。
イファルナは一層大きな溜息をついた。
こんなんだから終わらないのだ。もう一年以上続けている写真整理は。
そのときガストが歓声を上げた。
「ああ!見てください、イファルナさん!なんとこれは小二の始業式の写真です!やっと見つけました。ずっと探していて…ってイファルナさん?」
イファルナは頭を押さえて頭痛と戦っていた。
だがその写真が目に付いて、イファルナは頭に置いた手をどけた。
その写真には、エアリスの他に、金髪の男の子も映っている。
「その子は…」
「これ?隣のクラウドですよ。エアリスに近づく悪い虫で…」
ガストはいかにも恨めしそうな表情で、写真の中の少年をにらみつけた。
イファルナは、その写真をそっと夫の手の中から抜き出す。
「クラウド君・・・あんなに有名になったのよね。エアリスは、覚えていないのかしら」
妻の言葉にぎょっとしたガストは慌てて、抗議する。
「そ、その写真、捨てちゃいましょう・・・!それがいいですよ、エアリスが・・・」
「あら、だめよ!残しておかなきゃ、こういうのは!それとも何?あなたはエアリスの大事な思い出、捨てるつもりなの!」
少年に対する純粋な敵愾心で奮起したガストだったが、妻の剣幕に一方的に押されて萎縮する。
そのとき二人の耳に、階段を下りてくる小さな足音が飛び込んできた。
勢いづいて後ろを振り返ると、エアリスがちょうどリビングの戸をあけて、中に入ってくるところだった。
「エアリス・・・おはよう」
エアリスは蒼白な顔を寂しげにゆがませて、おはよう、と呟いた。
ガストは整理していた写真を放り出し、娘のためにいそいそと朝食の準備を始だす。
「エアリス、コーヒーでも飲むかい?」
「ん、いる・・・。・・・あれ、何?」
エアリスの目は散乱した写真へと向かう。
ガストはぎょっとして口ごもった。
「お母さん、あれは・・・?」
しょうがなしにイファルナに尋ねると、イファルナは一枚の写真を大事そうに胸に抱えて、彼女に向き直った。
「・・・エアリスとティファが小さいときの写真よ。覚えてる?お父さんはいつでもどこでもカメラ持っていたこと」
エアリスはゆっくりと首を横に振った。だがふと、自分を辱めた男の悲しげな呟きが、脳裏を掠めた。
どくん、と心臓が高鳴る。
「わたし・・・が、金髪の男の子と・・・並んでいる、写真。・・・ある?」
答えは、イファルナが胸に抱えていた写真だった。
それが静かに差し出されて、エアリスは震える手で眼前へと持っていった。
小さな自分と、手を繋ぐ金髪の少年。
つんつんした特徴的な髪型、色あせてもはっきりとわかる真っ青な瞳。
照れ隠しかちょっと小難しそうな表情をとる顔。
大人になった彼は逞しく、写真の中の少年は女の子のようにか細い。
だが、確かに彼はこの写真の少年の面影を強く残していた。
「クラウド・・・・・・さん」
小さく呟くとイファルナは驚き入った顔して自分の手を握り締めてきた。
「覚えているの、エアリス!?・・・クラウド君よ、分かる?・・・今、ダンサーですごく有名なクラウド君よ!」
エアリスはそっと目を閉じた。
―――エアリス・・・俺ダンス続けるから。―――有名になって世界中どこにでもいけるぐらい有名になって、そしたらあんたが何処にいても探しに行くから
「迎えに・・・来てくれた・・・?」
別の生き物のようにその言葉を発した自分の唇を、エアリスははっと押さえつけた。
心にわだかまるものを振り払うように、エアリスは一度二度、頭を振る。
だが急に込み上げた切ない気持ちが、自然と溢れて、涙が頬を滑り落ちた。
「・・・エアリス・・・?」
気遣わしげに頬へと伸びる母の手。
誤魔化すように、エアリスは乱暴に涙を拭った。
「わたし、行かなきゃ!」
「お、おいエアリス・・・」
「あの子、お金も持たないで、どうやって帰るつもりかしら」
クラウドはベッドの上で寝返りを打った。
あの後、意識を取り戻したティファに追い出されて、それからずっと音信不通だ。
あれほど姉を大事にしている妹だ。きっとエアリスを、実家に連れて行ったんだろう。
公演間近だと言うのに、すっかり気分が滅入ってしまって、今まで積み上げてきた地位と名声を放り投げて、どっかに消えてやりたいぐらいだ。
理性がそれを許さないだけで。
―――彼女が見ていてくれると思っていたから、ここまで這い上がってきたのに。
肝心の彼女が居ないなら、いったいどんな意味があるというのだろうか。
この公演が終わったら、本当に引退してしまおうか。
そんなことを考えていたとき、フロントから電話が入った。
面倒くさいが無視するわけにもいかず、クラウドは気乗りのしない手つきで受話器をとった。
「はい・・・」
《あの・・・フロントにエアリス・ゲインズブールと仰る方がいらしているのですが、どういたしましょう・・・》
クラウドはがばりとベッドから起き上がった。
「今行く。待たせておいてくれ!」
エアリスは豪奢なホテルの前で、心細げにソファーに座って彼を待っていた。
この寒い中、写真以外身一つで家を飛び出してきた。
体は氷のように冷たく、冷え切った手足の指先は、自分のものではないみたいだった。
勢いでフロントに駆け込み、今に至る。
彼に会わなくてはいけない、という気持ちだけが先行して、ここまでやってきてしまった。だが自分が彼にあってどうしたいのか、何を望んでいるのか、まった
くわからなかった。
自分の浅はかさを恨みつつ、何時間にも感じられるほど長い静寂が、流れていった。
だがやがて、こちら側へ駆け寄ってくる足音が聞こえた。
思わず正面を仰ぐと、金髪の青年が息を切らしながらこちらへとやってくるところだった。
「・・・エアリス、なんであんたが・・・」
急に声をかけられて、エアリスは縮こまる。
それを見かねて、クラウドはぞっとするほど冷たいエアリスの手をとった。
「俺の部屋に行こう」
エアリスはうつむいて首を縦に振った。
「あんた、上着も着てないのに、どうして・・・」
「こ、これ・・・」
上へ上へと登っていくエレベータの中で、エアリスはずっと胸に抱えていた写真を差し出した。
クラウドの目が驚愕に大きく見開かれる。
「あんた、これは・・・・・」
クラウドの言葉をさえぎって、エアリスはむせび泣いた。
エレベータがやっと止まる。
「わからないんです!・・・でも、これ見たら会わなきゃって・・・そう思って・・・そしたら・・・体が勝手に・・・っ」
気づいたら、タクシーに飛び乗っていた。
気づいたら、ホテルの前までやってきていた。
気づいたら、彼を呼び出していた。
「・・・・・・っ」
急に抱きすくめられて、エアリスはまったく言葉が出なくなってしまった。
「・・・迎えに来た。あんたと一緒にドイツへ行こうと約束していたんだ。あの時、別れたときに・・・」
切ない音色が心を振るわせた。
エアリスは涙を止めるすべを知らなくて、必死に言葉をつむいだ。
「・・・ダンサーになって、世界のどこに・・・わたしがいてもっ、迎えに来てくれると・・・。それしかわからないんですっ!」
「もういい。・・・それだけで十分だ。もう一度、会うと・・・その約束だけで、俺はいいんだ・・・」
エアリスは涙をぼろぼろ流しながら、必死に彼の背中に小さな手を回していた。
「ごめんなさい、タクシーの代金、払っていただいて・・・」
暖かいお風呂に入れてもらい、暖かい紅茶を淹れてもらって、エアリスはぽかぽかな体で、見たことが無いほど豪奢なソファーにクラウドと座っていた。
柔らかくて、気持ちがよくて、不思議な気分だった。
「いや、かまわないさ」
無一文乗車で田舎からここまでやってきたのだ。
タクシーの乗車賃は、すごかった。
「・・・その、・・・悪かった」
「・・・?」
クラウドが唐突に発した言葉がうまく飲み込めず、エアリスは大きな瞳をしばたいた。
「・・・あんたのこと、無理やり・・」
エアリスは表情を悟られまいとうつむいた。
「・・・怖・・・くて」
「・・・・・・」
「痛・・・くて、でも不思議で・・・」
「・・・・・・」
「も・・・いいです・・・」
これ以上口を開いたら、涙がこぼれそうで、エアリスは必死に歯を食いしばった。
「・・・あんたが優しいのは、変わらないな」
「え・・・・・・」
クラウドはどこか遠くを見つめた。
今目の前居に居る彼女ではなく、遠い昔、別れを告げた幼い少女に向かってそっと言葉をつむいだ。
「やっと、会えたんだ。・・・エアリス」
しばらくの間、心地よい静寂が流れた。
だがそれを破ったのは、小さな腹の虫だった。
エアリスは、さっと顔を赤らめる。
「あ、あの・・・えと・・・」
クラウドは耐え切れず、噴き出した。
「わ・・・・笑わないでください・・・」
「悪い・・・なんか食べに行こうか」
エアリスはさらに真っ赤になって頷いた。
再会は、今ここにようやく実現したのだった。
FIN
後書き
携帯サイトでは好評だったのですが、なんだかPCではアップするのが少し迷った珍作でした・・・。
やっぱり裏と行き来するからでしょうか・・・?
続編希望を頂いているので、そのうち書く予定です!
あ、もちろん裏無しで・・・げふっ(凶切り直撃)