『忘れてしまったなら、思い出さないほうがいいんだ』





きっと







きっと










「あんたなんか死んじゃえばいいのよ!」

そう言い放ったティファの声は、怒りと悲しみがせめぎあって、なん とも言えず、悲痛な色をしていた。


友の血に濡れた右手で繋ぎとめるかのように、エアリスのピンクのワ ンピースを握る。

関節が白くなるほどその手には力がこもっていた。



「だから・・・・だから、エアリスは、あんたなんかに・・・・!」

肩をわなわなと震わせて、下唇を噛み締めて、嗚咽するかのように引 きつった顔で・・・。


ただ、クラウドを見据えて。



剥きだしの憎悪を露に。





「この・・・・・人殺しーーーーーーッ!!」


そうわめき立てた。


瞬間、クラウドの肩がびくり、と震えて、ややあって元に戻る。ザッ クスは気遣わしげにティファの肩に手を置いた。

「ティファ」

その声にとがめるようなニュアンスを織り交ぜつつ。


だが、



「いやよ!離して!」



ティファは何も受け入れないかのようにザックスの手を振りほどい た。

そして、すっくと立ち上がると、あっと言う間にクラウドとの差を詰 める。

一瞬、怯えたようにクラウドが半歩後退する。

その微妙な気の流れを裂き砕くかのうに、ティファは握りこんだ拳を 思い切りクラウドの眉間に叩き込んでいた。


鈍い音がして、クラウドが壁にしたたかに背中を打つ。

驚いたような表情のままゆっくりと額に手をやってみれば、ティファ のグローブによって割れた額から、血が溢れ出しているのが分かった。



どくどくどくどくどく。



どくどくどくどく




クラウドの鍛え上げられた戦闘反射は、自分が攻撃されたことを、冷 静に受け止めていた。

それはつまり、自らの命を狙われていることに等しい。彼にとって は。


だから、手が勝手に動いた。


自分を攻撃したティファを狙わんと。




気づいたら獣のようにどす黒い表情を浮かべるティファの顔が目の前 にあった。


エアリスを刺したときと同じ様に、そう、まるでスローモーションの ように二人の影が肉迫する。




自分はティファを殺そうとしてる――――――――――。



それに気づいたときは、もう身体は止まらなかった。


「―---------――――――――――っ!!」










―――自分には、鋭利なナイフの切っ先が彼女のふくよかな胸に吸い 込まれているように思えた。


しかし、その彼女は驚いたような表情はしているものの、絶命した様 子も苦痛に呻く様子も無い。


ようやく、クラウドが己の肉体を制御できるようになったとき、彼は 弾かれたようにティファから間合いを取っていた。


持っているナイフに血は滴りおちてはいない。


血走った瞳でティファを見やれば、ザックスがティファに向かって差 し伸べた腕を下ろしているところだった。



ザックスはあの一瞬の間にクラウドのナイフを受け止めていた。

関して、クラウドのナイフはティファの胸を突き破ることは無かった のだ。

クラウドがザックスを見やれば、彼はいたって平然とその場に立って いた。


そして、ゆっくりとティファを振りかぶり優しく「どうしたんだ」と 問いかける。


何もどうしたも、こうしたもなかろうに、ザックスはあたりまえのよ うに目の前の少女に向かって問うた。


酔狂とも思えるやり取りを前にクラウドは微動だにせず、ただ乾いた 喉を嚥下して潤すばかりだった。


やがて、永遠とも思えるような時を固まったかのように過ごしていた ティファが、ザックスの問いかけに釣られるように口を開いた。



だがしかし、出てきた言葉はまるで場違いのような、何の前置きもな い言葉だった。




「ぱぱ」




ティファは呆然とその言葉をもう一度だけ繰り返す。「パパは何処な の」とも・・・。



そして、やがてゆっくりと瞼を閉じた。


ザックスが慈しむ様に手の平でティファの瞼を覆う。





「大丈夫だティファ。ここにいる」

ザックスはそう優しく語りかけた。






「もどっておいで」







――――――――――――――――――――・・・・・・・・








―――エアリスは少し呻いた。

頭がくらくらする。


吐き気もする。


瞼が重い。





何とか力を振り絞って瞼を開くと、いやにピントのぼやけた船室の調 度品の数々が目に付いた。


ひさしぶりに見るような明かりが眩しくて、思わず顔を背けたくな る。


しかし、体が思ったように動かず驚く。



指の先っぽをぴくぴくと動かすと不快な痺れが走る。



そうこしている間にピントのほうはだいぶ正常になってきて、今時分 の居る部屋がティファの船室だということが分かった。



だいぶ回復してきた五感を最大限に使って、今の自分の状況を知ろう とする。



自分はベッドに寝ているようだ。

服は・・・・・・・・着ていない。


でも、肩から胸に変えてぐるぐるに巻きつけられた包帯が今やその代 わりをしていた。


ベッドの脇にある備え置きのテーブルにはグラスが置いてあって、中 には水が入っていた。

グラスの表面に水滴が付いている。


それを見たら自分がとても喉が渇いていることが分かった。



それを口に含みたくて、手を伸ばす。



だが、その瞬間、引き裂かれるような痛みが肩に走った。




「ああっ!」




悲痛な声を漏らすと、「エアリス!」と自分の名前を呼ぶ声がして最 初からいたのだろう、ティファが小走りで寄って来た。


ティファはてきぱきと優しくエアリスの肩をホールドして座らせた。


そして、手を伸ばしてコップを取るとエアリスの口まで運んで中の水 を飲ませる。


「だめよ、エアリス。とりあえず、私が傷口は縫ったけれど、まだ 治ってはいないわ」

「ティファが・・・・・・?」

「ええ、そうよ。意外でしょ?」


そう言ってティファはにっこりと笑った。

ティファは小さい頃からスラムで暮らしてきているため、命取りにも なる傷の処理には誰よりも長けていた。


そして、今回もエアリスの命を救うことになる。


だがしかし、すぐに応急処置をしたものの、エアリスが失った血液の 量は半端ではなかった。


加えて、ティファは輸血は好まないタイプである。

一番懸念すべき脱水症状は塩水を上手く利用することで輸血に頼らな くても済む場合が多い。



もちろん、この船には輸血用の血液のストックなどありはしないのだ が。




「だから、ね、動いちゃダメよ」


エアリスはこくりと頷いた。



ティファはまるで姉のような優しい微笑を浮かべている。


自分の勘違いだったのだろうか?


―――あの、憎しみのこもった声で、黒髪を振りまいて叫ぶティファ の姿を見たような気がしたのは。



だと良いと、エアリスは思った。


あんなティファはティファらしくない。



クラウドに罵声を浴びせるなんて・・・・・・・・・・・・。





「・・・・・・・・・・っ!」




クラウドのことが頭に上った途端、エアリスは苦悶に呻いた。

自分の思考にクラウドの存在が嫌に重い。


そういえば、クラウドはどこにいるのだろう?


一体どうしているのだ・・・・・??




「ねえ、ティファ、クラウドは・・・・・?」



エアリスは怯えたようにティファに問うた。

それを受けてティファはエアリスをなだめるように微笑み変えた。

そして言う。





「大丈夫よエアリス、心配しなくていいわ」

「でも・・・・・!」


なおも追いすがろうとするエアリスに向かってティファはぞっとする ような微笑を浮かべた。



「大丈夫よエアリス。本当に大丈夫よ」




「彼だって、いつかは償わなくてはいけないんだから」




「・・・・・・・・・・・ッ!!」


エアリスは目を見開いて、ティファを見つめた。

「償う」とは一体どういうことなのだろうか

彼はどうなったのだろうか


そもそも、ティファはなんてことを言うのだろうか



それでは、まるで まるで・・・・・・・・・





「ね、・・・クラウドはどこにいるの?」


ティファの禍々しいまでの笑みがエアリスの不安をいっそう掻き立て る。

恍惚としていて、超然としていて、それはどこか恐ろしく、どこか悲 しく。


「気にしなくてもいの。ほら、早く寝なよ」

そう言って、ティファはエアリスの身体を支えて優しくベッドへ寝か せた。

抗いたい、クラウドの事を聞きたい気持ちが先走る。だがしかし、 「いや」と拒絶の声を上げようとした途端、肩に鈍痛が走った。

エアリスは仕方が無く、ベッドに横になった。



ティファは満足そうに頷くと、表面だけの笑顔を浮かべて、優しい声 色で語りかけてきた。


「私、エアリスは、クラウドと一緒にいるべきじゃないと思うわ。ね え、やっぱり戻りましょ・・・?こんな所にいたらダメよ」

ティファが本心で言っているのがエアリスには分かった。


ティファはもうこんな危険な「冒険」も、狂人じみたクラウドを乗せ たこの船も、いやだと言っているのだ。


その瞳がやりきれない苦しみに満ちているのが、見ていて辛かった。




だがしかし、彼女は知らないのだ。

そもそもの事の始まりを。その全ての元凶がなんであるかを。

だから、こんな事が言えるのだと、エアリスはおぼろげに思った。


彼女が何と言おうとて、自分にはどうしてもしなくてはいけないこと があるのだ。

それは夢に見た老人との会話のみではない、自分が両親から聞いてき た伝承。

いや、まさにそれは真実。

確固たる、覆されるとの無い歴史なのだ。



ならば、自分は為さなければいけないことがある。
そうではないだろうか・・・・?



その答えが行くべき先にある。


なら、どんな困難に会おうとそこへ向かうのが自分の務めではないの か。




エアリスはゆっくりと、それでいて毅然とした態度で首を横に振っ た。

瞬間、ティファが俯いたかと思うと、勢いよく立ち上がる。


「何よ!クラウドなんか信じたって裏切られるんだから!」

先ほどまで優しい音をしていた声が荒々しく悲痛なものへと変わっ た。

エアリスは悲しげにティファへと手を伸ばす。

「止めて!」

しかしティファはそのエアリスの手をぴしゃりと薙ぎ払った。

そしてやりすぎたことに気づき慌てて「ごめん」と誤る。


そのまま踵を返してティファは部屋を出て行こうとした。

だが、ドアを閉める直前にぼそり、と宙に向かって呟いた。



「殺されたって仕方が無いんだから・・・・・・」


だれも、その呟きを聞いた者はいなかった。

















「クラウド飯食うか・・・?」

暗い暗い倉庫のドアの前で、ザックスは夕食の乗ったトレーを片手 に、中にいる人物に向かって話しかけた。


返事は・・・・・無い。


「入るぞ」



そう言って、足音も無く体を滑り込ませた。


部屋の余りの暗さにザックスは瞬間、クラウドがどこにいるか分から なかった。

一歩足を踏み出して、ようやくその姿を見とめる。






クラウドは静かに、ベッドに座っていた。


窓は閉まっていたが、その先のものを見通すかのようにじっと一点を 見つめていた。


瞳はまるで硝子玉のように虚ろだった。


「飯、おいとくぞ」

ザックスは無造作にトレーをテーブルに置いた。

フォークがガチャンと金属音をたてる。


だがしかし、クラウドは微動だにしなかった。


それを見て、ザックスは溜息を一つ付いた。そして、クラウドの隣に 腰を下ろす。


「なーに、見てんだ?」

おどけた調子で問えば、クラウドは静かに首を横に振った。


何も聞くな、と言う意思表現だろうか?

しかし、ザックスはまるでお構いないしに話しかけた。



「エアリスは大丈夫だそうだぜ。さっき目を覚ましたってティファが 言ってた」

エアリスという言葉にクラウドの肩がびくり、と振るえた。

それを横目で見つつ、ザックスは続ける。



「よかったじゃねーか、とりあえずエアリスは無事だったんだし」

だから、気にすることは無い、とザックスは言う。



だがしかし、その一言にクラウドは大きく反応した。


「大丈夫なもんか!あんなに・・・・あんなに・・・血が・・・」


さっきからずっとエアリスのことを考えていた。

もしかしたらエアリスはいなくなってしまうかも知れない。
他ならぬ、自分のせいで。


なんて恐ろしいことだろう。彼女がこの世からいなくなる?
そんなこと・・・・・・・



彼女を刺し通したときのあの感触がリアルに手の平に残っている。

ナイフは一つ一つを手の平に伝えてきた。

皮を裂く感覚も。骨を砕く振動も。肉を刺し通す律動も。



今までなんとも思わなかったことなのに、いやにそれだけが頭の中を 往複する。


自らの手で、守りたいと思った少女を!


愛せると思った彼女を!








そもそも自分はなにをしたのだろうか。

獣のように呻きたて、我を忘れ、彼女に踊りかかった。

あの頭に響く声は一体誰なのだろうか?

彼女を殺せと自分にのたまった者は。


だからとて、彼女を殺そうとした自分が消えることは無い。その事実 はただひたすらに自分を追い詰める。


ああ、恐くて恐くて堪らない!



一体、自分は何なのだろう?


何で彼女を殺そうとしたのだろうか




―――自分を憎しんでいるティファの表情が更に苦しみを募らせた。



ああ、なんでこうも悪いことは立て続けに起こるのだろうか?



エアリスは自分に二度と微笑みかけてはくれないのだろうか





「本当は、ティファに謝りたいんだ」

クラウドは静かに口を開いた。

「あのときのこと。今でもティファを苦しめていること。全部」


クラウドは悲しげに目を瞬いた。


「ティファを苦しめているのは、彼女自身の弱さでもあるんだぜ?」

「ああ、それでも、真っ先に彼女を苦しめたのは・・・・・・俺だ」


クラウドは自嘲気味に笑う。遠い過去に思いを馳せる人は皆、こうも 寂しげなのだろうか。


拭えない過去。

それは過ち。

一つのホコロビがやがて誰かの人生そのものを八つ裂きにしてしま う。


まさにそんな瞬間。

ティファは自分のそんな所産の一部に過ぎないのかもしれない。


それでも、その現実は常に等身大の「罪」として重くのしかかる。


逃れれば、いや逃れようともがくほど、日々鮮明に。やがて禍々しく 色づくのだ。


そして、何度も何度も蘇る。





「ティファは小さかったんだ」

「ああ、そうだ。だからあまり覚えてはいない」


ティファは小さかった。

その光景に頭の中はぐちゃぐちゃになったのだ。


だから、



「だから、たまにフラッシュバックして凶暴になる」




「さっきのお前にしたように」





そう、ふとしたことで、憎しみは蘇る。

苦痛は何度でも全身を刺す。




「パパはどこ?」そう言わせて、彼女に止まないのだ。

まるで、父親を探す子供のように。



心はあのときのままで記憶されている。



でも、思い出したくなくて心の奥底に封印され、もしくは隠されて、 顔を見せることは無い。


だがしかし、ふとしたことでその心は開放される。


こころは苦しみを見せ、憎しみを映し出し、やがて本人も気づかぬう ちにまた心の奥底へと戻っていく。




ティファは、まだ逃れられない。




自分のせいで。








「そろそろ行くぜ」


ザックスはやおらゆっくりと立ち上がった。

去り際に、軽くポンとクラウドの肩を叩く。


クラウドはあのときから笑わなくなった。


そう、あの時から・・・・・。





「そろそろティファが「もと」に戻る頃だ」

「そうか」



ティファは苦しむ。


いつまでも。


自分が存在している限り。


永久に逃れられないだろう。




「エアリスは、お前に会いたがってるってよ」

「そうか」



エアリスは自分に会ってくれるのだろうか。
本当に・・・・・・?






―――自分は笑わなくなった・・・・・・?




いつから?








―――――――クラウドは笑わなくなった





ティファの親族をひとり残らず、惨殺したその日から。





















『忘れてしまったら』









      










思い出さないほうがいい・・・??

























                                 続く