●● そ
の先にあるもの ●●
君と生きて行きたい。
この先も。
一一一 生まれて初めて、誰かにそんな感情を抱いた。
それは同時に、君と言う女性が誰よりも「特別」な存在になった瞬間だった。
この心の中で・・・。
朝が目が覚めると、無意識に手を伸ばしてしまう。
隣に気配がない事を感じると、背中が酷くざわついて、不安な気持ちに駆られる。
「・・・エアリス!?」
まるで小さな子供のようだと思う。ただ側にいないだけで、こんなにも不安になるなんて。
朝の光が眩しい寝室を抜け出すと、クラウドは勢い良く玄関のドアを開いた。
夕べの雪で深く積もった深雪が、きらきらと太陽の光を反射させながら彼を迎え入れる。
その青い瞳に映ったのは、北の方角へと向かっている小さな足跡。
「・・・またか」
クラウドは小さく呟くと、側のコートを手に取って、雪の積もった街並へ走り出していた。
あれから二年。
約束の教会で再会を果たした二人は、生まれ育った町を旅して最終的にエアリスの故郷でもあるアイクシルロッジへの移住を決めた。
山と雪で囲まれたこの土地は、季節が冬から夏へと移り変わってもその雪が全て溶けることはない。
年中白い雪に覆われて、夏場は涼しいと表現出来ても、冬になるとその寒さは身を切られるような物だった。
白い白い白銀のような世界。自分は二度と、ここに訪れることはないだろうとクラウドは思っていた。
エアリスの生まれた場所、彼女がこの世に生を受けて、その数年間を過ごした初めての世界。
まだ父親も本当の母親も側にいて、慎ましくも幸せだった「時」。
ただ静かに暮らしたかっただけなのに、望んだのはそんな小さなことだけだったのに。
なのに、彼女の母親は古代種で。彼女もまた、その血を色濃く受け継いでいて。
誰も悪くは無いのに、その血のせいで運命に翻弄されて 一一一 。
そして 一一一 。
運命の歯車は、二人に邂逅を突き付けた。
何度も思ったことがある。
自分は彼女に出会わなければ、彼女は自分に出会わなければ、一体どんな人生を生きていたのだろうかと。
あれが運命の出会いだったとは思わない。けれども確かにあの時、お互いの中に何かを感じた事も否定できない。
自分より頭一つ小さい、鮮やかな新緑の瞳。
きょとんとしている姿に、大きな目だと思った。
そして花を買うと、今度は子供のように無邪気に笑って、この灰色のスラムで、まだそんな風に笑える人間がいるんだという事に、少しだけ驚かされた。
誰だって簡単には笑えないのに 一一一なのに、彼女は笑顔はそれほどに自然と心の中に入り込んで来たのだ。
柔らかくて、とても眩しい物だと感じた。
それは側にいる程に強くなって、いつか、そんな風に自分も笑ってみたいと思っていたのかもしれない。
もしかしたら、自分には無理だと分かっていたから、よりいっそう憧れていたんだろうか。
どんな人の心にも、あっさりと入り込んでしまう彼女の笑顔に 一一一 。
自分の心の中の、固く張り詰めていた物を壊してしまった彼女自身に 一一一 。
「・・・エアリス」
静かな声で、クラウドはその名を呼んだ。
背筋をピンッと伸ばした女性が、視線の先でゆっくりと振り返る。
「クラウド、おはよう」
いつもと同じ笑顔と、いつもと同じ声色。
目で前でハッキリと返事を返した彼女に、クラウドは心の中で安堵のため息をつく。
「何してるんだ・・・?」
「ここから見える風景、とっても綺麗なんだよ。ほらっ、クラウドもこっちに来てみて」
軽く手招きされて、クラウドは降り積もった雪を踏み締めながら近付く。
アイクシルロッジの町中から少し離れた場所にある、雪の積もった小さな丘。
そこからは、山を通り越した海の向こうが少しだけ広がって見える。
「ほらっ、クラウド」
白い指先がクラウドの前に差し出される。
その手に自分の手を重ねると、なんとも言えない温もりが伝わって来た。
「・・・帰りたいのか? ミッドガルに、ティファやバレット達のいる所に・・・」
並んで冬の海を見つめながら、エアリスが見つめている方向がミッドガルのある方向だと気が付いたクラウドは、暫く黙って彼女の横顔を見つめた後、そう質問
していた。
少しだけ驚いたような、それでも出会った頃と変わらない新緑の瞳がクラウドに向けられる。
何かを言おうとするエアリスの唇から白い吐息が溢れ落ち、それは空に舞って儚く消えた。
「俺より・・・あいつの方が、あんたを幸せにしてやれたのかもしれない」
「えっ」
「だけど・・・」
クラウドは触れ合っている指先に力を込めた。
「だけど、俺が俺でいる為には、俺が生きて行く為には・・・あんたが必要だったんだ」
「・・・クラ、ウド?」
「きっと、これからも色んなことがあるだろう。俺達は生きているんだ。だから、困難や試練が山のように立ちはだかって来るのかもれしれない。けど、約束す
るよ 一一一 あの時みたいに」
クラウドは真っ直ぐにエアリスは見つめた。
「今度は、何があってもあんたを守る。この手を離したりしない、絶対に。一一一約束だ」
それは誓いかもしれない。
果たせなかった、あの頃の後悔。だからこそ、二度と同じ過ちは繰り返したく無い。
目の前にいながら、一番大切な人を失うことなど、もう二度と・・・。
「俺にはもう、何も・・・」
この人以外、大切な物など存在しない 一一一 。
白い息を吐きながら、切なそうな眼差しでミッドガルの存在する方角を見つめるクラウドに、エアリスは優しく微笑みかけた。
「ずっと一緒に居ようね、この先も・・・。二人で、これからもずっと・・・」
「エアリス・・・」
「大丈夫だよ。もう、目の前から消え去ってしまったりしないから、だって・・・」
エアリスは同じようにしっかりとクラウドの手を握り返した。
「私は貴方に辿り着いたもの・・・」
長い時と時間をかけて、ようやく巡り合えた。
これ以上大切な物があるだろうか?
ずっと望んだたった一つの物を、ようやくこの手にする事が出来たのだ。
遠く失ってしまった家族の温もり。抱きしめてくれるはずの両親。得ることの出来なかった無償の愛情。
同じ傷を抱えながら、それでも二人で生きて行きたいと思う、この先もずっと。
それは 一一一 。
「エアリス・・・」
引き寄せられて、エアリスはその胸の中に抱き締められた。
ずっと恋焦がれていた温もりに包まれて、不意に涙が零れおちてしまいそうになる。
愛しいと言う感情が、胸の奥に沸き上がって行く。
同じ寂しさや独りになる孤独を知っているから、お互いにしか存在しない物で分け与える事が出来る。
二人で、温かい場所を作り出す事が出来る。
「・・・クラウド」
しっかりと抱きしめ合った朝の光の中で、エアリスの薬指の指輪だけが、雪の結晶のように光り輝いていた。
「 一一一 妊娠?」
聞かされた言葉に目を丸くしたのはクラウド。
嬉しそうに、それでもどこか照れた風にはにかんだのはエアリス。
二人は向かい合うようにして見つめあっていて、仕事から帰って来たクラウドは、脱いだコートをそのままに、エアリスを黙って見つめていた。
「一応、予定日は来年の春なんだけど・・・って、クラウド? ねっ、聞いてる??」
立ち止まったまま、微動だにしないクラウドをエアリスは下から覗き込んだ。
クラウドの目は相変わらず大きく見開いたままで。
「・・・子供、好きじゃなかった・・・?」
一気に不安そうになったエアリスに、ようやくクラウドも我に返る。
「えっ、いや、あっ、違う!子供が好きじゃないとかそんなんじゃなくて・・・その、ちょっと・・・」
「ちょっと? なぁに?」
じっと真意を確かめるように見つめて来るエアリスに、クラウドは心臓に手を当てながら素直な想いを口にした。
「・・・驚いて」
一言だけ真剣な表情で呟かれたその言葉に、余りのそのらしさに、エアリスは小さくぷっと吹き出す。
そのまま声を出さずにクスクスと笑い続ける彼女に、クラウドは少しだけ気恥ずかしさを感じながらも、そっと手を伸ばした。
「・・・体、大切にしような」
「じゃあ産んでもいいの?」
本当に今更ながらの事を聞くエアリスに、クラウドは困ったように笑い返す。本当は分かっている癖に。
「あぁ、当然だ。・・・産んで欲しい。俺に、俺達の子供を抱かせて欲しい」
「うん! じゃあ頑張ってガンガン産むからね!!」
途端に笑顔になったエアリスに、クラウドの表情が一変する。
「ガ、ガンガンって・・・一度にそんなに産める物なのか?」
「そうよ? 女は強いんだから、知らなかった??」
「いや、それは知ってるけど・・・そうか、妊娠は一度に1人とは決まってないのか・・・」
人の悪いの冗談にも気付かずに、真剣な顔をしてブツブツと呟き出したクラウドを見て、エアリスは楽しそうな笑みを浮かべると、その背中を軽く押した。
「ハイ、じゃあ早く着替えて来て。お腹減ってるでしょ?今日から私も二人分食べなくっちゃいけないんだから」
「あぁ、って、エアリス!」
奥へと続く部屋に踏み込む前に、クラウドはエアリスを振り返った。
「今度は、俺も行くから」
「えっ」
「検診、次からは俺も一緒に行く」
「本当に??」
驚いた顔になったエアリスに、クラウドはしっかりと頷き返す。
その瞳には深い気持ちが込められていて、エアリスは自然と幸せな気持ちに包まれた。
そして。
「一度に何人まで産む事になるのか、今後の事もあるしちゃんと聞いておかないと」
真剣な顔でそう語ったクラウドに、遠慮なく声を大にして大笑いしたのだった。
「子供が生まれたら・・・」
「えっ」
「生まれたら、一度ミッドガルへ戻ろうか」
「・・・クラウド」
「ティファやバレット達もきっと心配してる。・・・ここは、中々外から訪れる事の出来ない場所だから・・・」
クラウドの言葉に、エアリスは小さく微笑んで頷いた。
帰る場所は、何も一つに決めなくても構わない。
ここも、そして二人を待っていてくれる仲間達がいる場所も、立派な故郷の一つだ。
「そうしたら・・・今度は一緒に連れてくればいい、エアリスのお母さんも」
「クラウド・・・!」
パッと表情を変えたエアリスに、クラウドは軽く微笑む。
「俺達は家族になる。なら、一緒に暮らした方がいいだろう?」
「うん・・・うん、ありがとう、クラウド!」
次いで嬉しさからなのか、涙目になった彼女の頬に、幾つもの傷の残るクラウドの手が添えられる。
「俺にはもう、父親も母親もいない。エアリスにとって、たとえ血は繋がっていなくても、あの人は母親だろう? なら、一緒に暮らすべきだと俺は思う」
「うん・・・っ」
頬に添えられた手に、エアリスには静かに目を閉じた。
温かい指先が、大切に思ってくれている事を伝える。
「ねぇ、クラウド」
「ん?」
「どっちだと思う、この子。男の子かな?女の子かな?」
「そうだな・・・元気に生まれて来てくれれば、俺はそれで十分だけど・・・」
「えーっ 生まれるまで後十ヶ月もあるんだから、もっと色々考えて楽しもうよぉ!」
「エアリスならそういうと思ったよ」
クラウドは想像通りの答えに小さく笑い、そっとエアリスの腹部に手を当てた。
目には見えなくても、確かに息づいている命がここにある。
一一一 守りたい。
クラウドは心の底からそう思った。
そして、同時に、懐かしい記憶の中で微笑む青年の姿を垣間見た。
もし生まれて来るこの子が男の子だったその時、名付けたいと思う名前は一つしか思い浮かばないのかもしれない。
自分に未来をくれた、生きろと己の命と引き換えにして守ってくれた戦友。
そして・・・。
同じ女性を愛した・・・。
「クラウド?」
そのまま黙り込んだクラウドに、エアリスは小首を傾げた。
無邪気な瞳の中に映っているその顔は、どこか遠い。
「・・・クラウド?」
白い手を上から重ねられて、ようやくクラウドはエアリスの声に気が付く。
「どうかしたの? 何か心配事?」
その真っ直ぐな瞳に、クラウドは目を反らさずに同じように見つめ返した。
「いや、何でもない。・・・子供の名前を考えてただけさ」
「あっ、ようやくクラウドもその気になってくれた?」
「さすがにあれだけ言われるとな」
「っで、何かいい名前浮かんだの??」
ひょいと瞳を覗き込まれて、クラウドは思わず吸い込まれそうになる。
きっとあの戦友も、この瞳をいつまでも見ていたいと願っていた事だろう。
「もし男の子だったら、いい名前があるんだ・・・」
「そうなの? どんな名前?」
「きっとエアリスも気に入る 一一一 」
クラウドは唇を近付けて、耳元で囁いた。
懐かしくて、大切な想い出の中で息づく戦友の名を。
「・・・!」
エアリスの瞳が大きく見開く。
その名前は、かつて彼女がクラウドの中に見ていた彼の人の存在だった。
似ているようで、違う。
同じ仕種なのにどこか重ならなかったクラウドとアノ人。
それは瞳の責だったのかもしれない。
可能性に満ちていたアノ人とは違い、目の前の青年の瞳は孤独に包まれていた。
" 誰も信じない "
言葉の端に存在した小さな棘には、そんな思いさえ込められていて。
今向けられているこの優しい瞳が、多くの辛い想い出を溶かす。
「 一一一 エアリス」
この声が、ずっと耳の奥で響いていた。
あの記憶の彼方で揺られている間も、ずっと。
「クラウド」
エアリスは目の前の手を取ると、それを自分の頬に当てた。
「貴方の声を、この子にも聞かせてあげたい」
「エアリス・・・」
「ずっとずっと、聞かせてあげたい」
頬から流れる一筋の涙が、クラウドの指先に触れた。
彼女と出会って、失って、再会して、別れて、そしてもう一度巡りあって、何度涙を流しただろう。
その度に、その涙を冷たくて悲しくて切ない物だと思っていた。
なのに、今は。
「・・・初めてだよ、エアリス」
「えっ」
「涙も・・・温かいんだな」
零れ落ちる雫をすくって、クラウドは小さく微笑んだ。
目の前のこの人とこれから産まれて来る小さな命を守って行きたい。
この先も。
「・・・生きていきたい」
「クラウド・・・?」
「一緒に生きて行こう、エアリス」
この手を離さないと誓ったのだから。
もう二度と、諦めないと。
「愛してる」
この世界で、たった一つ心を満たしてくれる感情。
生まれた時から、探し求めていた温もりがここにある。
ようやく辿り着いた。長い旅路を超えて。
「クラウド・・・っ」
柔らかく抱き着いて来たエアリスを、クラウドはしっかりと抱きしめ返した。
生きて行こう、この先も。
試練も苦難も乗り越えて、それでも繋いだこの手だけは離さないと誓いながら。
そうすれば、この先の未来に光を見い出す事が出来る。
いつまでも、希望の道を二人で歩いていけるから。
どれだけ長い時が流れても、変わらない想いも確かにある。
FIN
桜理さん、ありがとうございました!
二人なコドモだったらどんなファンキーな子が生まれてくるか(笑)
「遠い記憶」が切ない話だったため、こんな優しい未来、二人にとってどれだけ嬉しいものだったか量りかねますね。
ちょっと抜けているクラウドや意地悪しているエアリスの静かなやり取りが、一番欲しかったであろう日常のすばらしさ、語っていると思います。
素敵な小説をありがとうございました!