モクジ

● I  SURRENDER --- 頑張る姫君 ●









病床から完全に復帰できていないエアリスは暫く公務から解放された。

元から身体が丈夫ではないことが危惧されていたために、好きな時間に起きて、また好きなことをする時間も手にすることができた。


張り詰めたような王室のなかで極度に緊張していた身体は、疲れ果てていて、彼女の今までのハードなスケジュールのいくらかを垣間見ることができた。

その反動からエアリスはしばらく死んだように眠り続けていた。

王もエアリスのことを心配してシドに隣につくように命令したが、シド曰く「疲れているだけ」で、このまま休ませてあげることが最善の方法のように思えた。


クラウドはというと、彼女の分の公務を余計にやらなくてはいけなくなったため、なかなか彼女の見舞いにやって来ることもできず、また彼の性格もそれを阻害 していた。


急に見舞いに行けば周りのものは自分の行動に驚いて騒ぐだろうし、あのメイドも医者もなかなかに五月蝿くて気が滅入る。



「あ!クラウド様、たまにはエアリス様をご様子を見られてはいかがですか!?」

・ ・・また来た。

「あのな、その話は・・・・・・」

クラウドが言いにくそうに口をまごつかせていると、イリーナはそこにつけ込むように言う。

「エアリス様は「旦那様」が来られるのを待っていらっしゃるはずですわ!絶対に、間違いなく!」

クラウドはこのメイドのしつこさにも参ってきた。
一つ溜息を付き、それからイリーナを見やる。

「時間があったらみにいってやる」

「必ず、時間を作ってくださいよ」

アバウトな物言いにイリーナが突っ込みクラウドは改めて頷いて見せた。

「作ればいいんだろ……?」

イリーナは満足げに頷いて、王子の後姿を見守っていた。






「おう姫!薬は飲んだか?」

エアリスがベッドの中で静かに本を読んでいたとき、ドアがやや乱暴に開いて主治医のシドが入ってきた。

シドは相変わらずの無精ひげを生やしていて、マナーとかそんなものは一つもお持ち合わせていないような男だ。ただ、ハートが熱い、純情親父だ。


「倒れたときはさすがにヒヤッとしたけどよぉ、なんだ、ん?もう、でぇ丈夫か?」

ニカニカ、こちらが元気になってくるような笑顔にエアリスは頷いて見せた。

このシドという医者は口こそ悪いけれど、離しているうちに何だか心が暖かくなってくる不思議な人だ。

きっとどこまでも真っ直ぐだから、誰だって自分の壁を打ち溶かしてしまうのだろう。

そしてエアリスもまた無垢な心の持ち主で、このシドとは相性がいい。

「ええ、おかげさまで。もうすぐ復帰できそうだわ」

「そりゃあ、良かったな。でも無理するんじゃねえぞ?」

「はーい!」

父親が娘に語りかけるような雰囲気が、エアリスにはことさら懐かしく感じられた。

古き良き、親父像ここにあり。……とはよく言ったものか……。


「じゃあ、もう行くからな?気分が悪くったら呼べよ」

そう言って、シドは部屋を出て行った。

そして部屋にはまたエアリス一人。


自分を休ませてあげようとして、遠慮からだれも来てくれはしない。
モデルルームのような大きな部屋にエアリス一人いるには、あまりにも寂しかった。

そして、ふと数日前のことが頭に浮かぶ。

体調の悪さから、あまり深く考えようとはしていなかったが、頬に触れたあの感触が、何故だかあまやかに記憶に残る。

王子の綺麗な顔が目の前にきて、少し戸惑ったような表情をしていて、ゆっくりと顔が近づいて・・・それから・・・・・・・・・・。


「きゃーー!恥ずかしィーーーー!」

エアリスはがばっと両手の平で頬を押さえて、ベッドに沈み込んだ。

スプリングが勢いよく波打って、エアリスの身体が縦にがくがくと揺れる。
しかし、それでは飽き足らず、エアリスは気恥ずかしさをベッドを拳で叩いて発散させた。


―――ああ、本当に、どうしよう……。

エアリスは身体を反転させて、高い天井を見つめた。

―――わたし、舞い上がってる……。


次は会うときはどうやって挨拶すればいいのだろうか……?

「ごきげんよう」?「この前はどうも」?「いいお天気ですね」?

どれもこれも夫婦にしては硬すぎるような気がする。
なまじ普通の夫婦ではないばかりに、相手への対応がどこかぎこちなくなってしまう。

ああ、どうすればいいのだろう……?


―――その時ふと、誰かが来る音がして、エアリスは胸を弾ませた。

だがその足音は、自分の部屋のドアの前で止まり、そのまま静止している。
そして意を決するかのように数秒の空白の後、やおらドアがゆっくりと開いた。

話し相手が来たとばかりに期待に胸を弾ませていたエアリスは、入ってきたのがクラウドと分かった途端、気が萎んでしまう。


「エアリス、その……大丈夫か……?」

クラウドが僅かに気づかいの音をにじませて言ってきた。

エアリスは上擦る声がばれないように、小さくうんと答えて見せると、すぐにまた俯く。

「そうか、それならいいんだ……」

意を決して来た割にはクラウドも逃げ腰だった。

クラウドは自分の不甲斐無さに少々腹が立ちながらも、かけてあげる言葉も諸動作も思いつかなかった。

どうして良いか分からず、ズボンの折り目の辺りで落ち着きなく動き回っている指を、ぎゅっと封じ込める。


―――俺は一体何のために来たんだ……?

もはや今更な自問自答が頭の中で何度も何度もアナウンスされる。

ちらりとエアリスを見やると、彼女もまたシーツを指でせわしく弄っていた。
顔色はまだ完全には良くない。

クラウドは自分が見舞いに来たのだという大義に頼ってエアリスに近づいた。

エアリスがはっと顔を上げ、二人の視線が複雑に絡み合う…また離れる……。
これが何度か続き、クラウドは何とかエアリスのサイドまで足を運ぶことに成功した。

我ながら、棒のような足が良くやったと思う。

だがしかし、近づいたところで彼にはすることが無かった。
近づいてしまった距離では、静寂を守ることもまたそれと同様に難しかったのだ。

彼は考えなくエアリスに近づいてしまったことに後悔の念を抱きながら、エアリスを見た。


エアリスがその視線に気づきまた顔を上げる。

再び交錯することになった視線は、お互いの心の中を本人に代わって代弁するのに十分だった。



相手が戸惑っていることが良く分かる。

そう、何か一言でも……。

この前のプリンみたいに、何か話すきっかけがあればまた……。

それとも、少しぐらいは・・・・・・



『あの・・・【おい・・・】』

そう思った二人の声が不協和音を奏でる。


隣り合った音同士が奏でる、耳障りな音。
それはまるで、二人の関係を表したかのようだった。

素直になれない王子に今一歩を踏み込めない姫。
平行になって交わらない直線のように、隣り合ってしまった音のように、決して退けているわけではないのに・・・。


なんで…………。



「……ユフィがまた厨房を壊したそうだ」

急に、凍りついた静寂の間をクラウドが駆けた。

エアリスが弾かれたように顔を向け、彼を見上げる。

「あんたに、何か持っていこうとして、壊した」

気を抜けば彷徨いそうになる瞳を押さえつけ、クラウドは一言一言を区切ってゆっくりと話す。

乾いた喉ではそのように話すのが精一杯だった。

「・・・・・・」


この後に続く言葉が見つけられないのは、もう自分にはどうしようもなく、歯がゆさをクラウドは感じた。


―――こんな話、したってしょうがない。

クラウドは胸のうちで、こんな話し様のない話題を持ち出した自分を恨む。

ああ見ろ。なまじこんな話をしたばかりに、会話はぷっつりと途切れている。
虚しさを感じるほどに。


……いっそこの場から逃げてしまいたかった。

彼は何か大失態をしたかのような、異様な惨めさに襲われつつ、この場から逃げ出す方法さえ考えてしまっていた。


その時、ふと右手の甲に、柔らかな温もりが燈る。

我に返って振り向けば、自分の手の甲にはエアリスの真っ白な奢手が置かれていた。

クラウドは呆然としながらエアリスを見た。

そのエアリスは不思議と笑っていた。


その柔らかな笑みは決してクラウドの不甲斐無さに対する嘲笑ではなく、あくまで自然体だった。

「有難うございます、クラウド様。……お優しいのですね」


―――ああ、笑った。


そう言って笑うエアリスに、何故だか救われた気がした。


自分の事を優しいと言う彼女のほうがもっと優しい。

そう思った。


やっと、エアリスが城の皆に好かれるわけが分かった様な気がした。

その笑みは汚れを知らぬ彼女の心そのもので、偽りの蔓延る世界の中で輝いて見えるのだろう。



……いつの間にか、クラウドの手はエアリスの奢手の上に置かれていた。


いささか熱すぎて、自分の手とは思えない。
しかし彼の意思には関係なく、手は動いた。

彼女の手の甲に置かれていた手が、もともと重さがなかったかのように。ゆっくりと持ち上がる。


エアリスは時間が止まったかのように微動だにせず、クラウドの熱い手のひらが自分の頬に翳されるのを、黙って見つめていた。


不器用な手がやがて滑るようにエアリスの頬をゆっくりと包み込んでいく。


エアリスが哀苦しそうに微笑んだ。
その笑みが余りにも切なく感じ取れて、クラウドの胸はきりりと痛んだ。


……別に、頬の手を差し伸べて何かしようとしたわけではない。

クラウドはただ、触れてみたかった。
消えてしまいそうなほどの彼女が、今ここにいることの確証が得たかった。

触れた先は確かに温かく、クラウドの胸を安堵させる。

その瞬間、差しだされた腕は糸が切れたかのようにエアリスの頬から零れ落ちた。

ベッドのシーツの上に、行き場をなくした手が置かれる。


エアリスはその諸動作を憎みも、同情もしない瞳で見つめていた。

意を悟れない瞳に、クラウドはまるで自分は吸い込まれているような不思議な引力を感じる。何だろうか、自分の考えが筒抜けているような、そんな気持ちに。


……自分の周りに何の障壁を持たぬ彼女は、また同じ様に容易く自分の心を見透かしているように思えた。

それが恐ろしく、美しくも感じられる。


こうして彼女の前にいると、己の体裁を保ち、表向きの態度を崩さずまた分からせないでいることがどれだけ簡単だったのだろうと思う。

そうすれば、誰の気持ちも分からないで済むし、自分の考えも公表する必要もなくなる。

内なる自分を回りに知らせずにいれば、誰と関わりあうことも、誰のために心を痛めることも無い。


自分とは関係の無い世の虚ろと思い込むことができる。


クラウドは何回もその考え方に助けられてきた。
面倒くさい物事に首を突っ込むことも無かったし、誰彼構わず愛想を振り向く必要も無くなった。


その結果、無口で冷たい王子とのレッテルを貼られてきたがそれでも良かった。

それが自分なのだと思って、無意識にそして意図的にバリアを張り、誰も自分に近づくことができないようにしていた。


結局、自分は逃げてきただけだったのだろうか……?


だがしかし、彼女は違う。


誰のことも思考から切り離す道は選ばなかった。

何で自分とは違って、無理矢理結婚された相手に優しくできるのだろう。

社交辞令で凝り固まった態度さえとらない。
諦めて、自分の役目として、傍にいるだけではないのだろうか。

何故そうしないのだろう?


彼女が動かなければ、自分は永遠に彼女を見ようとはしなかったに違いない。
これが他の女であれば、自分は決して今この場にいて彼女に会おうとは思わなかった。


自分は妻となる彼女さえも考えから切り離そうと躍起になっていたのに、彼女は自分に近づいてきた。


知らず知らずのうちに、壁を溶かして今、入ってきようとしている……。



不思議な女(ひと)だ――――――――――――――。



「ありがとう」

噛み締めるようにそう言って、クラウドはエアリスを抱き寄せた。

エアリスは彼の為すままに、引き寄せられるままに、広い肩口に顔を埋めた。

心臓は不思議なほどに平然と脈打ち、ゆっくりとしたリズムを刻んでいる。
その鼓動が何だか酷くお互いの胸を甘く締めた。



……何が『ありがとう』なのだろう。

自分に近づいてきてくれたことに……?

こうして優しく触れていてくれることに……?

今ここにいてくれることに……?

―――その全てに……?



――――――エアリスがクラウドの腰に手を回した。
それはどちらかといえば親愛のそれに近かったが、今はそれが二人の全てだった。


二人の胸のうちに確かな好意が芽生え、やがてそれは大きく花開く……。

クラウドは腕の中にいる強い存在を見つめなおした。
それは華奢で今にも折れそうでありながら、美しく咲き誇っている。


クラウドはもう一度『ありがとう』とエアリスに言った。










「信じられない」

イリーナは今朝の朝食の当番制責任者だった。
朝早く起きて王子と姫のための朝食の準備を何から何まで監督していた。

身体の弱い姫のために、スープは口当たりの柔らかい消化の良いものした。

朝から晩まで公務漬けの王子のために、できるだけさっぱりとして、尚且つスタミナのつくものを用意した。

でも今まで一回たりとも、二人の食器を同じ部屋に用意したことは無かった。
夫婦ならそうするべきだし、何もおかしなことではないのだが、クラウド王子がそれを拒んできたために、今二人がひとつのテーブルを囲んでいるこの光景がイ リーナの目には信じ難く思えた。


「何が起こったの……?」

今、王子が給仕からパンを受け取って姫の皿にのせてやった。

宮廷の男ならする当然のマナーかもしれないが、今まで規律の一つも破ったことの無いこの王子は、頑なにそれを無視してきた。


イリーナはそれを異質なものを見るかのような様子で凝視していた。

……と、彼女の肩に男のそれとわかる手が乗せられ、イリーナはそちらを向き直った。

「レノ……」

「よおイリーナ、面玉飛び出そうな顔してるぞ、と」

彼、レノは実はこっそりイリーナと婚約していたりする。

初めて王室のメイドになった新米イリーナの面倒を見てくれたのが、この「我関せず」をモットーとしているかのようなレノだった。

こう見えて、いったん親しくなれば話しやすく親しみやすく、面倒見がいいので部下からも慕われている。


初めは「レノ先輩」と呼んで、彼の後に付いて行動していたイリーナも、いつしかレノ呼ばわりするようになり、腐れ縁で結婚間直まできてしまった。


しかし二人とも忙しくてなかなか段取りを整えられないのが悩みでもあったりする。


「レノ、信じられる?あの王子が……あの王子がよ?姫様と朝食を……」

イリーナが困惑しきった瞳を向けると、レノは猫科の動物を思わせるしなやかな身体を仰々しく振って答えた。

「案外、不思議じゃねえぞ、と」

「どういうこと?」

イリーナが話しに飛びついてくると、レノは薄く笑い、そして言う。

「王子も男だってこと」

イリーナは訳がわからない、とでも言いたげに肩をすくめて見せた。

そしてレノはイリーナを意に介さず踵を返して仕事に行ってしまった。


レノは中央階段を下へと降りながら、一人皮肉とも取れる笑みをこぼす。


―――あの王子は顔には出さないが、そうとう姫に惹かれているようだ。

無理も無いだろう。

年頃の王子に年頃の姫。
しかも姫様はとびっきりに美人ときている。

最近は着実に器量の程を上げてきているようだし、理想の縁を象り始めている。


「完璧」な女はつまらない、とかいう話をよく聞くがそれは間違いだ。

つまらない女はそれ自体が欠点であって完璧ではない。
完璧な女はそれこそ芯からひきつけられる様な魅力があって、絶対に飽きることもない。

その極限の理想を得たとき、誰か姫のことをつまらない、と感じるだろうか?

そんな愚かな寝言をほざいていられる奴が果たしているだろうか……?



……でも、

とレノは思った。


完璧だけが全てじゃない。

欠点がある奴も、なかなかに可愛いもんだ。

彼はいつもカリカリしている自分の金髪の婚約者を思い出して、苦笑した。










―――城下の大広場はいつぞやの結婚式よりも華やかに賑わいでいた。

以前の催し事が厳粛な儀式だったのに対し、今はエキゾッチクな雰囲気の飾り物が辺りを華やかに飾り立てている。


三年に一回執り行われる、王国きっての感謝祭。

国民は日々の実りに感謝し、そして祭司長となった姫が齎す言葉に耳を傾ける。

そしてその後は、子供たちも大人たちも待っていた、盛大なお祭りが開かれるのだ。

好きなだけ踊ったり、好きなだけ食べたり、好きなだけ恋人と話をしたり……。楽しみ方は千差万別だ。


そんな陽気の中、エアリスはどこか緊張した面持ちで広場の裏に設置された一室で椅子に座り、目を瞑っていた。


自分が神殿で祈るようになってから、初めての公での場。

エアリスもまた、妖精を象ったかのような幻想的な美しい衣服に身を包み、時を待っていた。

緊張して足ががたがたと震えているのがよく分かる。

こんな調子で民衆の前には出られない。
きっと酷いとちりをしてしまうかのように思えた。


時計にさっと目を配らせると、その針は祭りの開始まであと十分が過ぎたことを物語っていた。

言うことはもう決まっている。
昨日の祈りの中で、わかった。

しっかりと話し、この国にいつまでも平安なときが流れる事を告げ知らせ、またそうなるように祈らなければいけない。

責任は重大だった。


嘘かもしれないが、この場で失敗した姫は解雇されるとの噂もある。

信憑性は薄いとはいえ、それほどまでに重大な役目なのだ。


綺麗に結い上げられた髪が汗を一滴落とした。



―――その時、誰もいなかった部屋にクラウドが入ってきた。

エアリスは驚いた様子で席を立つ。それをクラウドが無言で征した。

「緊張しているのか」

クラウドが遠慮がちにエアリスの傍へと足を運び、話しかける。
彼はエアリスの夫として、この特別な儀式の一様を全て見届け、彼女の傍に従わねばならない。


そして彼もまた、王子の正装を身につけていた。

「はい……とても」

エアリスは僅かに声を震わせて答えた。

エアリスもまた、クラウドには不思議な繋がりを感じ、耐えない―――無意識に誰にも言うことのなかった不安を口にする。

それをクラウドは感じ取ったのだろうか、いつもより角の取れた、案じるような瞳でエアリスを見やった。

不安を押し殺したような瞳が小刻みに揺れ、救いを求めるかのように自分に降り注ぐ。



―――彼女を真っ直ぐ見るようになって気づいたことがある。

彼女は見かけによらず、自分一人で何もかもやろうとするところがある人だ。
頑張りやと言う言葉で片付けられるかもしれないが、いかんせんそれは独りよがりな所でもある。

そしてまた、強そうに見えて儚い人でもある。

溜まったものを受け止められなくなったとき、一気に崩れてしまうような……そんな危うさを持っている。

この前彼女が倒れたのは、ひとえにもそんな彼女の性格が災いしたのだろう。


周りからは、一人で生きられる強さを持った人と受け取られがちだが、実は違う。
本当は誰かに付き添われ、そして支えられる必要のある、そんな人なのだ。



そんな彼女が自分を頼ってきてくれることが何だか無性に嬉しかった。


「もし、無事に終えられたら、何かしたいことがあるか……?」

クラウドは内心の喜びを隠して、自分の声がなるべく落ち着いて聞こえるように細心の努力を払って言った。


彼女が必要以上に緊張しているのを見るのは、以前のそれとは異なり感に堪えないものがあった。

……今は少しでも、落ち着くべきだ。


「したいことですか……?」

エアリスが不思議そうに自分を振り返り、僅かに小首を傾げて問う。
その目がきょろきょろと宙を彷徨って、再び自分の元へと帰ってきた。

「何でも?」

「俺にできることなら」

クラウドはそれを静かに肯定する。

エアリスはまた、深く首をもたげて考え出した。
そして暫く呻ったかと思うと、ぱっと華やいだ顔をクラウドに向ける。

「じゃあ、私と一緒にお祭りに行きましょう!」

…そう言い放った。


クラウドは一瞬、何をエアリスが言ったのかわからなかった。

エアリスの答えは突拍子過ぎるといえば余りにも突拍子過ぎる。
何を言い出すかと思えば、お祭り……?

一国の姫が一国の王子を引き連れてお忍びでお祭りに行くと……?

もし見つかったら大問題だ。
父上に何と説明すればいいのやら……。

姫がお祭りに行きたいと言ったので行きました…と……そう言えば良いのか?


いや、それでなくともこれは十分王家の沽券に関わるのではないだろうか……?

「いや、それはまずい。他のにしてくれ」

どう考えても、顔が知れ渡ったばかりの―――つまり国が一番敏感になっている姫を祭りに連れ出すわけにはいかない。


お忍びの格好をしていても、民衆の目はそう容易いものではない。
ときに恐ろしいほど目敏いことがある。

例えばこういう時とか……。


それに祭司長には病気を治す不思議なパワーがあると信じている輩もいて、見つかればそんな妄信的な奴らにあっという間に取り囲まれてしまうだろう。


―――実際問題、祭司長にそのような力があるかどうかを調べたことは無い。



「だめだ。あんたを外に連れ出すわけにはいかない。屋台で何か食べたいものがあるんだったら、秘密裏にイリーナにでもレノにでも買いに行かせれば……」

―――が、クラウドはそこまで言って続く言葉を濁した。

ふと見やった瞳が、今にも泣きそうに揺れていたからだ。

クラウドは慣れていないために無意識に身体を引きかけたが、グッと持ちこたえて、話を続ける。


…感傷に流されるな―――。


「だから他のことにしろ」

何とかそこまで言い切った。
彼は自分の言葉の効果を見ようと、反射的に反らした視線をエアリスに向ける。


しかし、逡巡を断ち切ってはなった言葉は功を奏さず、エアリスは相変わらず少し寂しそうな目をこちらへ向けてきた。


クラウドは僅かに苦笑する。

本当に、女ってのはしょうがない――――――。

「わかったよ」

彼は諦めたように目を伏せた。それと打って変わってエアリスの顔は明るく輝やいた。


彼女は本当にこの感謝祭を楽しみにしていたようだ。

たかが感謝祭でここまで嬉しがって貰うとは思わなかった。


―――だがしかし……とクラウドは目の前で喜んでいる彼女を目の端に入れながら、思った。

それから堰を切ったようにはしゃぎだすエアリスに向かって、感謝祭が始まる直前に彼は言った。

「ただし―――――――花火だけだ」

……エアリスの笑顔がほんの少しだけ凍りついた。










感謝祭の主行事であるはずの「お告げ」は重大であるが、面白くも何とも無い。

人々はこの後に行われるお祭りを楽しみに、ここ数週間準備をしてきた。
歯がゆい「お告げ」が終わったあとは、この感謝祭の主人公は日々の実りから国民たちへと交代される。


美しいこの国では毎日が平穏で、それでいて楽しい生活をおくれているのだが、ことにこの感謝祭だけは村や町の境を越えて人々が互いの顔を見る機会となる。

遠くてなかなか会えない兄弟や親戚、旧友などと思う存分交友することができる。

普段から慎むべきであろう酒をこのときばかりは……と樽を抱えて飲む連中も多く、いたるところに飲兵衛が陽気にハミングしていた。


その喧騒の中を庶民と何ら変わらない服装をしたクラウドとエアリスが並んで歩いていた。

慣れない馬鹿騒ぎの中、クラウドは既に疲れたような表情をしたためか、何処と無く周りから浮いて見える。


それとは対照的にエアリスは忙(せわ)しく目を沢山の屋台へと行き来させ、懐かしい「庶民の」祭りを懐かしそうに見ていた。


「あ、ねえクラウド様!わた飴ですよ、食べましょう!」

エアリスはクラウドの手を引いてわた飴屋台へと歩を進める。

この庶民の雰囲気の中では、エアリスの方がクラウドをリードする形になってしまっていた。


「おじさん、わた飴くださいな」

エアリスが王室へ入る前はこんな風だったのか、今とは違い幾分かしましい声で屋台の親父へ声をかける。

クラウドは一瞬ばれやしないかと肝が落ちる気分を味わったが、幸い親父は二人の正体に気づきはしないようだった。



―――クラウドは花火だけ見に行くという話を結局果たせなかった。

「お告げ」の終わったエアリスは心なしか堂々としたように見えて、頑なに屋台回りをするといって聞かなかったのだ。


王族が祭りに行くこと事態は何の支障も無いのだが、クラウドはそれでもなるべく早く帰ろうとしていた。


せいぜい、花火だけだ……。


「おう!幾つだい?」

親父の声にエアリスは笑顔でピースサインを作って、口を開こうとする。

クラウドはそれが数量の二であることを瞬時に察し、慌てて訂正する。

「一個だけ、くれ」

屋台の親父は少し肩をすくめて、エアリスにわた飴の棒を差し出した。


エアリスはそれを嬉々とした表情で受け取ると、クラウドに、にこりと微笑んでから一口食べた。


その顔がくしゃ、と歪んだかと思うと、次の瞬間満面の笑顔をへと変わる。

「おいしい!」

それからエアリスは懐かしの旧友に出会ったかのように、その駄菓子をしげしげと見つめた。

「本当に懐かしい……子供の頃は良くお母さんにかってもらって食べたな……あの頃と、まったく味変わって無いや」

あの頃は―――まだ母親の後を追っていた頃はまさか自分がプリンセスになるだなんて思いもしなかった。

そういう儀式が在るとは知っていたけれど、そんな運のいい少女はこの広い国中にたった一人。

誰だって自分にあたるとは思ってもいなかった。


だから、みんな好きな人と付き合って、キスしたり抱き合ったり…それで愛を交わしたり――――――。

そんなことができるのも、絶対に自分ではない、って信じていたからなんだ……。


今更ながらにそう思う。


確かに『自分に当たるかもしれないからあなたとは付き合えないわ』なんて言ったら馬鹿にされるだろうけれども、誰かを本当に好きになって、それでこのしき たりで別れなければいけなくなったら、どうするんだろう……?


自分は不思議と、誰か特定の人と付き合おうとか思わない人だった。

初恋したことならあるけれど、付き合おうとかそんなのではなくて、遠巻きに見ている程度の恋。


村の男の子に誘われても、ちょっとぐらいは興味があったけど、家の手伝いが忙しいという理由で全部お断りをしてきた。



そんな自分がもう結婚していることを考えると、今までの何倍も不思議な気がした。


そんな逡巡の中でふと空を見上げると、だいぶ暗くなってきていた。
今が何時かはよく分からないが、大体花火が始まる頃だとはわかった。

「あ、暗くなってきた。クラウド様、花火見に行きましょう?とっておきの穴場スポットがあるんです」

右手側にいるクラウドはぼんやりと頷いて見せた。









二人は城から程近い裏山のところまで戻ってきていた。

天辺には葉を広くまとった広葉樹の一種が一本だけ生えている。
二人はその根っこの傍に腰を下ろした。

クラウドが自分の上着を脱いでエアリスの敷き物にし、エアリスはそれに微笑んで返した。


やや遠くのほうに、提灯などで彩られた広場や屋台煉が見え、イルミネーションのように夜景に溶けていた。


この裏山はその光が余り届くことは無く、一線を引いたように薄暗かった。
それがまた、どこか神秘的な雰囲気を生み出している。


二人は暫く一言も言葉を交わさずに、遠くの空を眺めていた。

リンリンと、虫の鳴き声が聞こえ、暑いはずなのにどこか清々としている。
その脇を涼しげな風が駆け抜けて、エアリスのふわふわした巻き毛を弄んでは去っていった。


それをクラウドは横目で見ながら花火が始まるのを待った。

暗闇の中でも、月明かりでエアリスの白い肌は透き通っているように見えた。
その素朴な感じが、城の中で豪奢なドレスを身にまとい、優美に微笑んでいる時よりも彼女を幼く感じさせた。

しかし美しいのは変わらない―――――――。



クラウドは頭の中でこんなことを考えている自分に少しの躊躇いを覚えたが、それでも彼女の華奢な横顔から目を離すことはしなかった。


エアリスがその視線に気づき、純真な心のそのままに微笑んで見せた。

クラウドは彼女の顔をじっと見続けていたことに後ろめたさを感じつつも、その笑顔にほっとするものを見い出す。



「毎回、ここへ来ていたのか?」

暗闇の中では自分ひとりの声と言えど、やはり響き渡った。

その空間を今度は細い声が揺らした。

「はい。感謝祭がある度にいつもここでお父様と、お母様と一緒に……」

懐かしそうにその碧の瞳が瞼に隠される。

「本当に、誰も来ないんです、ここ。こんなにいい所なのに、だから……いっつもわたしたち家族の貸切だったんです」


クラウドはその様子に思いを馳せた。

嬉しそうにはしゃぎまわる彼女と、その両親が――――その幸せそうな表情を、彼女を通して見たような気がした。


今は大人に近づいて、幾分大人しくなったのだろうけれど、その前の感謝祭は飛び跳ねて喜んでいたに違いない。

この花火も今か今かと、心待ちにして……。



その時、空が火がついたようにぱっと明るくなった。

花火が始まった。



「うわぁ……綺麗……」

エアリスが瞬き一つせず、空を食い入るように見つめている。
その彼女の瞳にも硝子のように花火の色が映っていた。

感嘆の声が漏れるのを、クラウドはその脇で聞きつつ、花火ではなく明々と照らされるエアリスの顔を見つめていた。



―――子供のように華やぐその顔は夢幻想に美しく思えた。

クラウドが今まで見てきたどんな絵画も宝石も、国宝の全ても、彼女の美しさには適わないような気がした。

初めて彼女を眼に捕らえたときのあの、胸騒ぎが再び思いに返される。


あの時も、美しいと思った。

でも今はその美しさだけではなくて、彼女自身が尊く思える。


……こんな気持ちは初めてだ。



「綺麗ですね」

「ああ」


見つめ返す先に彼女の顔があった。

エアリスがゆっくりと振り返り、再びクラウドに柔らかく微笑む。


その微笑が酷く甘く胸を締め付けた。

…誘われるように、クラウドはエアリスの顎を捉えた。

そっと顔を近づけると、エアリスがさも当然のように瞼を下ろす。


――――二人はゆっくりと唇を重ねた。




柔らかな感触に身をゆだねて、何度も何度も角度を変えて口付ける。

息苦しさに互いの唇を開放すると、静かにたゆたう切なげな顔が前に浮かんだ。

堪らず、再び唇を合わせる。


―――ずっとこうしていたいと思った。

二人だけで、この静かな場所でずっと唇を合わせていられたら……。



花火のフィナーレが近づくに従って、だんだんと二人の口付けが深くなっていく。


二人は草の上に寝転がって暫しの間恋人の時を刻んだ。









「好きだ」








彼はその言葉を胸のうちでもう一度噛み締めた。





そして言う。






今も、そしてこれからも愛していくその人に。




「好きだ」





と・・・・・・・・・。













FIN





モクジ