モクジ

● I  SURRENDER --- 間抜けな姫君 ●

金色の月明かりが雲を刺す。

分け入って入ってきた光が白亜の城の片隅を突き、妖しげな光がさんざんと降り注ぐ。

城の中も城壁の外も眼下の町も、もう夜遅いというのにてんやわんやと忙しく動き回っている。

王宮の一室で、開け放った窓のふちに腰掛けて、金糸の髪と蒼の瞳を持つ青年は煩そうにそれらを見つめていた。

名をクラウドと言って、この国の正当な王位継承者である。















「王子様、こちらの部屋の箪笥はこれでよろしいでしょうか?」

「お花は何色がよろしいですか?」

「正装の用意が整いました」

「発表草案をご用意しましたが・・・・・・」



「・・・それでいい」



金糸の王子は今朝から、いや例のものが見つかったその日から酷く機嫌が悪かった。

顔を合わせればどいつもこいつも、「おめでとうございます」。口を開けば「式の用意は」だ。

そんなもの、どうだって良い。そもそも、結婚なんてまっぴらだ。

なのに行く先々でその話が持ち上げるのだから、彼の心は憤りっぱなしだった。

「勝手にやってろ!」

クラウドは悪態をついた。

日一日と結婚式が近づいてくるにつれ、苛立ちは収まるどころか、その勢いを強めていては心を焼く。

そもそも、好きでもない奴と結婚して何が楽しい?

だいたい、女ってものはすぐ泣くし、五月蝿いし、手はかかるし・・・。

自分がそんな奴の面倒をこれから見なければいけないどころか、あまつさえ夫婦になるだなんて・・・!

無茶苦茶だ!

クラウドは壁をこつこつと叩いた。

その、嫁とやらが来るまでもう一時間をきった。

正装に着替えて出迎えなくてはいけない。そしたらノンストップで結婚・・・。

考えただけで吐き気がする・・・・・・。


クラウドは荒んだ目つきで外を睨みつけた。




とある場所にある、大変栄えた国―――アイシクルランド。

国全体がまるで一枚のキャンバスに描いたかのように美しい国だ。
肥沃な土地には溢れんばかりに作物が実り、後方にそびえる白雪残る山々は美しいのと共に、敵国の侵入を防いでくれる。

城下町は栄えに栄え、人々が楽しく暮らしている・・・。そんな国だ。


ところで、この国には一つ、面白い決まりごとがある。

王家には、必ず男児一名しか生まれないのだ。

つまり、妃は必ず一般市民の中から選ばないといけないのである。

そして、そのようなことが起きるのも、ひとえにこの美しい国を守るための手段の一つなのである。

この国には、王子が成人する時期になると、必ず一人、特別な力を持った少女が現れるのだ。

その少女は王子の妃となり、神殿で祈り、祭司の役割を果たすことになる。

それから齎されるお告げによって国民は日々、安泰した生活を享受することが出来るようになるのだ。

そして、その一人を決める役目は神殿の仕官達が努める。

厳粛な信託の元、その一人は決められるのである。

今までに一度たりとも間違えたことは無い。

そして―――――――






「来たか・・・・・・」

城壁の前に、王家の紋章の印が目立つ一台の馬車が止まった。

くそったれの花嫁が到着したのだ。

クラウドは無言で正装のマントをばさり、と羽織った。

黒く見えるほど蒼い下地には美しく金の刺繍が施され、腰には吊り紐をし、漆黒の柄の凛々しい剣をかける。

誰もが憧れるであろう、優美な王子の正装。

でも、クラウドは重いだけで、実用性の無い高いだけの服だと思っている。
こんな最悪なときにしか着ない服だからだ。



結婚式は明日全国民の前で行われる。

逃げられない・・・・・・・。


クラウドは諦めたようにふ、と溜息をつくと正門の前まで迎えに降りていった。






クラウドが騎士の間と呼ばれるいわゆる正面玄関に着いた時には、もう既に馬車は到着していて、迎えの者達が緊張した面持ちで新たな姫を待っていた。

クラウドが門番の兵士に頷いて見せると、正門がぎぃ、と古めかしい音を立てて開く。

目の前には立派な一台の馬車が止まっていた。

クラウドは道を作るようにして敷かれた赤い絨毯の上をなぞる様にして馬車に近づいていく。

騎者がドアをスライドさせる。

クラウドは片足を足台に置き、カーテンをめくり、自分の妻となる少女の姿を見とめた。



―――中の豪壮な装飾には似合わない、霞んで消えそうなぐらいの貧相な身なりの少女がそこにいた。

裾が汚れたスカートとブラウス。それに見るからに安物の、チェックの擦り切れたショール。

クラウドは暫し呆然とした。

なんだ、こいつは・・・?

なんて汚らしい格好をしているのだろう。
仮にも王子の自分の前にこのような姿で来るとは、恥さらしもいいところだ。

城のメイドのほうが、幾分ましな格好をしている。

クラウドは、この娘には好感の欠片も抱けなかった。

この分では、容姿のほうも期待できそうにない。
頭のほうも悪そうだ。

祈れるだけの、王家史上、最悪の花嫁・・・・・・・。


下を向いて俯いていた少女の手をクラウドがとった。
こうしてリードしてあげなければならないのが、しきたりだ。

俯いていた少女が顔をそっと上げる。

クラウドは見たくない気持ちが先行しつつも、ちらりと、目を傾けた。


「・・・・・・・・」

目が合った少女はクラウドの正装を一瞥すると、恥ずかしそうに顔を隠した。

しかし、クラウドの瞳は彼女の横顔に吸いつけられたままだった。


・ ・・醜い・・・・・・?・・・とんでもない。


それどころか


・ ・・美しい。


雪のように真っ白な肌。淡い栗色の髪。透き通るような、翡翠の瞳。
赤い唇。不安に揺れた顔はどこまでも美しかった。

そのみすぼらしい身なりを一瞬でも忘れさせるほど・・・。



クラウドが彼女の手を引く。

少女はそっと立ち上がり、クラウドの後に従った。

繊細な足取りは女らしく、か細かった。

クラウドは彼女を優しくリードしてあげながら、正面の階段を手をとって登らせた。

が、

「きゃっ!」

派手な音を立てて、少女が階段から転がり落ちた。

その様子にクラウドは愚か、向かえの者たちまでもが目を丸くしている。

なぜここで転ぶ!?

しかも転がり落ちたばかりの少女は、膝を擦り剥いたらしく痛そうにしている。
唯でさえみすぼらしいスカートとブラウスには泥がこびり付いて、見るに絶えない姿だった。


侍従たちは彼女の姿を見て明らかに顔をしかめた。
クラウドは自分がそうしたと同じ様な恥ずかしさで、一番近くにいたメイドに彼女を押し付けた。

困惑しきったようなメイドをクラウドは鋭い瞳で睨みつけ、有無を言わせない。


こいつは、やっぱり、だめだ。


「風呂に入れてやれ」

クラウドはそれっきり彼女のほうに目をやる事無く、早足で廊下を渡っていく。

思い出しただけでも、腹立たしい。
どじな女にましな奴がいるわけない。

そんな奴の筆頭みたいな奴が、俺の妻・・・?

クラウドは苛立たしげに舌打ちをした。



クラウドが去っていた後の広間はしばらく静かだった。

失礼極まりない格好をした小汚い娘と、それをほったらかしていってしまった王子。

王子の役目は確かにこれで終わりだが、それでも自室へ戻っていってしまうには幾らなんでも早すぎる。

娘は酷く傷ついたようだった。

「あ・・・・あの・・・」

急に美しい声が発せられ、一同がその娘を振り返る。

困ったような顔をした娘に、そのメイドは溜息を付いた。

気持ちは分からないでもないが、王子も困ったものだ。
いずれの妻を放って行ってしまうとは。

それにこの娘も教養があるとは全く思えない。それどころかとろそうだ。

王子の一番苦手とする人種・・・。

これは先が長そうだ。

まだ若い、金髪のメイドはおろおろしている少女の腕を引っ張って、召使用の浴場まで連れて行ってやった。

おろおろしている少女の小汚い服を無理矢理剥ぎ取って、特別にバス・オイルを入れた泡立つバスタブに、頭までどぼんと押し込む。

汚い服は暖炉にくべて、薪代わり。

他の彼女専用の侍従が彼女を隅々まで洗い上げている間に、自分はクローゼットの中のドレスを引っ張り出す。

この日のために、そして王子の目に適う様に作らせたイブニング・ドレス。

薄いピンクに染めたシルク一枚で作り上げた最高級品だ。

それに皺一つ付いていないのをさ、と、目を配らせて確認すると、ネックレスやら、髪留めやらの装飾品を箱に詰めて持っていく。

あの美しい娘だったら似合うだろう。外見だけは。


戻る頃には少女は、部屋のソファーにバスローブをまとっただけの姿で座らされていた。

速攻でバスローブを脱がし、持ってきたばかりのドレスを着させる。

ちょっと痩せすぎていたが、サイズはピッタリだった。

次に艶やかではあるが伸び放題の髪を切りそろえ、高い場所で結い上げる。

肩が大きく開いたドレスからは細い肩と首が露にされ、透き通るように白い肌が美しい。

髪留めやらビーズやらで結い上げた髪を装飾し、小さなネックレスを引っ掛ける。
上品ではあるが、少女の面影を残した彼女には、可愛らしく着飾ったほうが映えた。

白い靴を履かせて、体の局部に甘いバラの香水をし完成。所要時間は三十分。

そこにはあの薄汚い格好からは想像もできないほど美しい女性がいた。

金髪のメイド、イリーナは自分の新しい主人に微笑みかけた。

「とても、綺麗ですよ。姫様」

なれない「姫」という言葉に少女は瞬時に赤くなった。

ドレスの裾をもじもじしながら弄っているのをイリーナは「皺が付くから」と言って止めさせた。

することの無くなった少女は唯下を向いて恥ずかしそうにしている。

イリーナは内気に見える姫の手をとった。

「エアリス様、クラウド様がお持ちですわ」

エアリスと呼ばれたその少女は不安げに頷いた。






「クラウド様」

イリーナは応接間のドアを三回ノックした。

「入れ」

中からぶっきら棒な声がして、イリーナは苦笑しながらドアを開けた。

壁に寄りかかり、窓の外を見ていた金髪の王子がちらりと目をこちらにやった。

「奥様が来られました」

イリーナはすっと脇によると、自分の後ろで縮こまっていた少女をどん、と部屋の中に押しやった。

半ばこけそうになりながら、なんとか少女は部屋の中に入った。

そのままドアを閉めようとするイリーナをすがるような目つきで見る。

それをイリーナは力強い瞳で王子の元へ行くよう目配せする。

少女が泣きそうな表情を浮かべた途端、無情にもドアは閉められた。


少女は仕方なく、おずおずとクラウドの近くへ寄る。
しかしクラウドは何も言わず、それが彼女を焦らせて止まない。


応接間には長い机と椅子が二つあって、その上には豪華な料理がのせられていた。

結婚前の二人には、一緒に食事を取ることと、結婚式の基本作法を覚えることが義務付けられている。

作法はこの場合、王子がじきじきに教えてあげなければならず、もし失敗しようものなら、クラウドの責任とされてしまう。

クラウドは彼女のほうを振り返った。

相変わらずの好ましい外見だった。

クラウドは彼女に椅子に座るよう指示する。
自分は彼女の向かいの席に座った。

「じゃ、椅子の座り方からやるぞ」

クラウドはぶっきら棒に言い放った。結婚式のような行事だけではなく、王家の一員になろうとでも云うのなら、それなりの行儀作法を身につけなければならな い。そもそも、城の中では四六時中高水準のマナーを守る必要がある。

それらが当然のように出来るまで、鍛えなければいけないのだ。

「いいか?半歩下がって・・・・・・」

しかもマナーというものは細かい。右斜め45度だの、右肘は脇につけたままだの、そんなことまで覚えなければいけないのだ。

それに言葉遣いだって、決まり文句は腐るほどあり、とりあえず、新米姫には覚えなければいけないことが山ほどあるのだ。


当然エアリスも、途中で何が何だか分からなくなってしまった。
素直にクラウドのやったとおりに真似してみるも、何かが違う。
一個覚えたと思ったら、一個忘れる。

足の出し方を間違える――――


「違う」

何度目かの苛立った声が応接間に響いた。

何度やっても上手くならないテーブル・マナーは脇において、明日の結婚式の段取りを練習させているのだが、どうにもこうにもしっくりこない。

これで失敗したらクラウドも恥をかくことになってしまう。


エアリスはあきらかに焦っていて必要以上に固くなりミスを連発するし、必然的にクラウドの額にも青筋が立ち始めていた。

「違う」

その言葉を聴き、エアリスがびくり、と体を振るわせた。

基準に達していないなら、そう言ってくれれば救われるのに、なのに糾弾の言葉も口にせず、ただ冷めた目つきでこちらを見てくることがエアリスには耐えがた かった。

おびえた瞳でクラウドを見やると、彼は溜息を付き、再び最初から教えてやった。

それでも上手にはならない。

そして、とうとう焦って肘で、テーブルの上の料理を落としてしまった。

「あっ!」

かしゃん、と酷く耳に障る音がして、磨き上げられた床に料理が散らばった。

エアリスはしまったというように、身を縮こまらせると、事もあろうに素手で料理を拾い始める。


―――そもそも王室では、食事中に何が起きようとも、全ては執事に任せる。これがもはやマナーでもあるのだ。

それを、落とした料理を拾うなんて、不潔な恥ずべき行為として見られる。

それは同時に執事に対しても失礼なこととなるのだ。彼らの仕事に自ら手を出すことは、彼らの仕事への誇りを侵害していることにもなりかねない。

料理をこぼしたことではなく、その料理を拾うことが、マナー違反に繋がるのである。


当然クラウドは焦って料理を拾うエアリスを顔をしかめて見やった。

なんて下品な、とでも言いたげに首を横に振る。

そして諦めたように壁の横にある、スイッチ―――執事の部屋へ繋がっている―――を押した。

暫くして、イリーナが応接間に姿を現した。

相変わらず、エアリスは落とした料理を拾うのに必死になっている。

その姿を見て、やはりイリーナも呆れざるをえなかった。

―――やはり、やってしまった。



料理を拾う手は、ソースでぐちゃぐちゃ。美しいイブニング・ドレスには染みが出来ている。

イリーナはつかつかとエアリスに近寄ると、無言でエアリスを制した。

エアリスの動きがはたと止まり、また何かしてしまったのだろうかと、不安そうな目つきで見やってくる。

イリーナは溜息を付きながら、エアリスを立たせ、その手を布巾で拭く。
後からやってきた他のメイドに床の掃除は任せ、あきれ返ったような王子に一礼すると、エアリスを引きずって執事の待機室まで連れて行った。

このままでは幾らなんでもこの娘が可哀想だ。

何にも知らない田舎娘が急に王室に呼ばれて作法を教えられる。

それが器量のよい娘さんだったら良いのだけど、このような不器用な娘では、目も当てられないほどに哀れだ。

それに、明日の結婚式までに段取りを頭に叩き込んでおかねばならないのだ!






「いいですか!あなたはこれから王族の一員となるお方なのですよ!?そして王子の妻となり、神殿の祭司となり、この国を支えるのですよ!!?行儀作法はら くだが糸の上を通るときぐらい、寸分の狂いもなくやっていただかねばいけないんです!という訳で、明日の結婚式は、完璧ぱーぺきパーフェクトにやっていた だきますからね!!!」

「・・はい」

エアリスはイリーナの気に押されて頷いた。

完全に瞳が殺気走り、語気も荒く迫ってくるイリーナは、憤怒の表情凄まじかった。

明日の夕方の刻から始まる結婚式。王家の威信を賭けているといってもいい、壮大で厳粛な儀式。

国の未来を占う儀式―――。



「ちがーーーーーーう!!」



その日、朝までイリーナの調教は続いていた。






「イリーナ、飯だぞっと」

赤毛の男が執事の寝室の扉を開けた。

燃え盛るような真紅の髪は、ぼさぼさで、無造作に束ねられていた。

その名をレノ、というまだ二十代半ばの男だ。



仕事は出来るし、使えるのだが、いかんせん不真面目なところがある。


彼はやたら面倒くさそうにドアを開けた。

どうせ、あのイリーナとトロイ新米姫のことだから、目の前にすさまじい光景が広がっていることは何となく予想できた。

きっと、イリーナは疲れきっていることだろう。


「イリーナ・・・・・・?」

反応が返ってこないので、レノはさっと辺りに目配せをする。
広い部屋の中をぐるり、と見渡すと、一番端っこにあるソファーのところに僅かながら金糸の髪が見て取れた。


起さないように気配を消してそっと近づくと、姫とその侍従は長時間の訓練に疲れてぐっすりと眠りこけているところだった。


「おいイリーナ、起きろ、と」

髪を乱して眠っているイリーナの方をつかんで軽く揺さぶる。
すると、イリーナは条件反射のように飛び起きた。


「あ、レノさん!今何時ですか!?」

今にも掴みかからんばかりの勢いで問うてくる。

「五時半だぞ、と」

「ああ、寝すぎちゃった!姫様、ひーめーさーま!起きてくださいまし!」

そう言って、先ほどのレノとは対照的に自分の主人を乱暴に振起す。

ゆっくりと、眠たそうにエアリスが顔を上げた。

「あ、おはよーございます・・・・・・」

寝ぼけ眼を擦るエアリス。
イリーナは腹立たしげに傍に置いてあった水を張った洗面器を、エアリスに差し出した。

「早く、顔を洗ってください!結婚式は十時からですよ!」

そこまでして、イリーナはレノから朝食をふんだくった。









クラウドは夜の開ける前に目を覚ましていた。

いらいらして眠れたものではない。

少し意識が遠のいたかと思うと、また直に目が冴える。

何度寝返りを打っても釈然としない気持ちがあった。


自分がエアリスという、あの少女と夫婦の契りを結ぶことへの相容れない反発心が――――。


そしてそんな自分の気持ちや希望とは関係なく、国の事情だけで事態は動いていく。

いや、最初から分かってはいるのだ。
自分がこの国の王子として生まれたならば、当然すべきその勤めの重大性を。

決して私情では覆されることのない、その掟を。


だからと言って、自分の感情を無視することなどクラウドには出来なかった。

嫌のものは嫌だと、そう言う己の感情を捨て去ることはあえてしなかった。

王族だからといって、それに縛られなければいけない理由がどこにある?

それを自分に押し付ける権利を誰が持っている・・・・・・?


そういった、自問自答にいつも己の胸は、正直に返してくる。

しかし、それを無視するのも、また彼だった。

クラウドはもう一度、寝返りを打った。






「今、ここにエアリス・ゲインズブールを、アイシクル王国第18皇女として、定め・・・・・・」


「わが国に、永遠に存続する幸福と栄誉があらんことを」


全ての国民が見守る中で、現アイシクル王国国王がエアリスに冠を授けた。

誰一人として微動だにしない中、エアリスは正式に王族の一員として認められたのだった。


国の安泰を証明することにもなるこの儀式は、国民の目の前で行われ、そして祝福を受ける。


中央に敷かれた赤の絨毯を通り、中央広場を後にする新たな皇子夫婦に誰もが膝間付いた。


しかし、とうの彼らの雰囲気はとてもではないが、結婚式のそれとはかけ離れていた。



エアリスは何とか式を無事に済ませた。
イリーナのおかげである。

クラウドの面目も何とか保たれたと言えなくもないだろう。
 
しかし、クラウドはそれでほっとした表情を見せることはしなかった。


口を結んだまま、城に帰るまでエアリスとは一言も口を聞かなかった。


エアリスもまた、俯いたままで彼と話す気はないようだった。



エアリスは、この終止いらいらしているかのような態度を崩さない彼に、少なからず怯えていた。

目が合えば、こちらを五月蝿そうな瞳で見やってくるのがとても恐ろしくて、意識せずとも彼から逃げているような気もする。

彷徨う視線を馬車の中から窓の外に向けてみれば、どこまでも続く城の庭の緑が眼に眩しかった。


遥か彼方にもう小さくしか見ることのできない、自分の村の風景が薄っすらと見て取れた。

だがしかし、懐かしさに浸る暇(いとま)もなく、木々の間に隠れてしまう。


彼女はもう戻れないという喪失感に襲われながら、震える手をもう片方の手の平で押さえ込んだ。


許されるのであれば、今すぐにでも階級を振り捨てて、あの懐かしの村へと戻りたい。


腰が痛くて嫌だった、小麦の収穫がしたい。

今は黄金色の波打つ畑も、夏には鮮やかに色づいて・・・・・・。


寂しい、とエアリスは思った。

こんなにも両親の元へ帰たい。

パパもママも、今頃どうしているのだろう・・・・・・?
私のことを心配してくれているに違いない。

憧れていた美しかったお城は、こんなにも冷たいところ。
しきたりで縛られる一日。

自由なんか最初からありはしない。

自分が夢見ていたお姫様生活とはあんまりにもかけ離れていた。


だが弱音を吐いてももう仕方がないのも事実で―――。


「あの・・・・・・」

エアリスは向こうのほうを見て、何事か考え事をしている自分の夫であるクラウドを見やった。

その声にこたえて、クラウドが僅かにこちらに視線を移した。
それをしっかりと受けた様子でエアリスはクラウドの形筋の張った手を柔らかく取る。

ほんのりと、かすかに温かみが手の平を伝わって感じ取られた。


一度だけ、視線を下へと向け、再びクラウドに戻す。
その彼女らしからない大胆な行動に、ほんの少しの驚きを滲ませる彼に、エアリスは微笑みかけた。

「わたし、がんばりますね」

クラウドはまるで鳩が豆鉄砲をくらった様な表情をしている。

その無邪気な笑顔がどことなく眩しく感じられたからだった。

クラウドは上擦った声で返した。

「・・・ああ」

その言葉をエアリスは嬉しそうに受けた。
クラウドは戸惑ったように自分の手をエアリスの手の平から落とす。

そのまま僅かに赤面して再び向こうを向いてしまった。


エアリスはどことなく寂しそうな表情で、また自分の手を握った。


これが自分の結婚だというのが、余りにも儚く感じられたからだった。



エアリスは昨日の行儀作法の訓練を頭の中でなぞりかえした。

もっと、落ち着いてすれば出来るかもしれない。


そう思った。


もう迷惑はかけたくなかった。









「あら、お姫様」

「こんにちは、ミセス・グラン」

エアリスはその日、城の中の図書室の受付、ミセス・グランという白髪の女性に、ドレスの裾を摘んで軽くお辞儀をして見せた。

「今日は何の御用?」

「ええ、本を数冊借りたいと思って・・・・・・」

「まあ、それはそれは・・・」

エアリスはミセス・グランに軽く会釈をして図書室の中へ入った。


一番奥の棚の、殆ど誰も読むことがないために埃を厚く被った本を数冊手に取る。

どれもこれも恐ろしいほどに厚い本で、しかも中身は死ぬほどに退屈な内容のものだった。

「これを借りられるかしら?」

「ええ、もちろん。しかしこの本を借りられた方は、長年ここで働いていますけれども、二十一年ぶりですわ」

「二十一年・・・・・・?」

エアリスは不思議そうに首をかしげた。

こんな本を借りる人が他にいただなんて信じられない。

アイシクル王国の歴史だの、王国の衰退だの、どれもこれも小難しいことばかりで、隠れたる教養にしかならないものばかりだ。

「ええ」

ミセス・グランは楽しそうに頷いた。

「クラウド様の亡きお母様、ルクレツィア王妃様が、丁度王家入りされた時にお借りになりましたわ」

「まあ!」

エアリスは純粋に驚いた。

王子の亡き母親が自分と同じ様にこの本を借りていたのだ!

利発で、とても賢い、素晴らしい王妃様と名高かったルクレツィア様が読まれた本・・・・・・。

エアリスは無意識のその本を抱きなおした。


「エアリス様も、ルクレツィア様と大変よく似ておいでですよ」

ミセス・グランはそう言って笑った。


図書室を出た後、エアリスは宮廷庭園の一つ「リバースル・グローバ」と呼ばれる美しい花々に囲まれた場所に腰を下ろした。


何故だかは分からないが、ここが一番落ち着く。

やはり、故郷と同じく花が咲き乱れているからだろうか。


エアリスは肺一杯に芳しい花の香りを吸い込んだ。身体が浄化されているような気がする。

それからエアリスは一番上にあった法律全書を手に取った。


自分もこれからは姫なのだし、クラウドは恐いけれど、もう弱音を吐いていてはいけない。

あの、イリーナという聡明そうなメイドにも、もうあまり迷惑をかけたくなかった。

城の生活は、自分が思っていたほどには優しくない。

たくさんのお手伝いの人に傅かれて、えらそうに踏ん反り返っているだけが王族ではないのだ。


全ての事において原則や規則に縛られた中で、エアリスの出来ることは唯一心不乱でそれらを身に着けることだった。


唯ひたすらに頑張ろうと思った。






エアリスは来る日もくる日も朝早く起きた。

朝一番に神殿に行って祈りを捧げる。

その勤勉さは祭司長たちにはとても好ましく思えた。
そしてその後は数々の公事をこなし、夜は姫としての教養を得るために寝る暇も惜しんで勉強をし、また朝早く起き・・・・・・

この数週間この繰り返しだった。

ベッドに横になる頃には、もう疲れ果てて死んだように眠ってしまう。


彼女は素から努力家なのだった。
どれでけ辛くとも、そのような態度を見せないエアリスは、使えの者たちの間でも「やさしい頑張りやの姫さま」としてあっという間に人気者になった。

「姫様!これ、さっき厨房で作ったプリン、食べてよ!」

かなり遠慮の欠片もない声に振り返ってみれば、調理見習いで十六歳のユフィが大手を振りながら近づいてくるところだった。

ユフィは最近城に来たばかりで、エアリスよりも新米だった。
まだ幼いし、そのためかホームシックになることもしばしばだが、エアリスを姉と思ってとても懐いていた。

エアリスはふわり、と微笑みながらユフィを迎える。

「ありがとう、ユフィ!わたしカスタードプリン大好きなの。ここ最近食べれなくて・・・・・・嬉しいわ!」

ユフィはそれを聞いて、誇らしそうにイッと笑って見せた。

「えへへ、また作って持ってきてあげるね!」

「うん、ありがとうユフィ」

ユフィはさっと元来た方へ向き直った。

彼女は忙しいため厨房へ走って戻りながら、後ろを振り返って手を振って見せた。

元気なユフィをエアリスもまた、妹のように可愛がっていた。
それにユフィは毎日のようにやってきてはエアリスに何か食べ物を「こっそり」持ってきてくれる。

エアリスの姫という立場上、あまり庶民的な食べ物は口にさせてもらえない。

しかし、このようにして彼女はこっそり好物を手に入れているのだ。


エアリスはカスタードプリンを後生大事に抱きかかえて自室で早速頂こうと思った。

その間にも何人ものお手伝いの人にもあったが彼らもまた、素敵な姫のことが好きであった。


「あら、姫様またつまみ食い?」

「クラウド様に見つからないようにな!」

「あんまり食べてると太っちゃいますよぉ」

「おーい、姫様これも食べるかい?」

など、数々のコメントをいただくのだが、エアリスはそれらに対して一つ一つ丁寧な扱いをし、クラウドのように適当にあしらったりしない。

そしてそもそも彼らもクラウドには余り話しかけたがらなかった。

クラウドはそれを気にしてはいないし、それで良いとさえ思っていた。
が、そのせいか最近どの召使もエアリスびいきだ。


何か失態をやらかしたとしても、どいつもこいつも自分ではなくエアリスの元へ行く。

そしてその失態をエアリスに話すことも、片寄っているとはいえ、決して間違ったことではないのだ。


それをエアリスは笑って咎めなく許すものだから、なんとなく面白くなかった。
かと言って、エアリスを攻める理由もまた無かった。




エアリスはクラウドに見つかることなく自分部屋に戻ることに成功した。

ほっと一息ついてベッドに腰をかける。

しかし、今日はいつもとは違い酷く気分が悪かった。
頭がずきずきと芯から痛むし、酷く吐き気がする。

不思議に思い鏡を見れば自分の顔はいつの間にか真っ青になっていた。

エアリスはすぐ食べられなかったことを心の中でユフィに謝りつつ、プリンを冷蔵庫の中へしまった。


弱弱しく、ベッドの横になる。

少し忙しくしすぎたかもしれないと思って、少し身体を休めようと瞼を閉じたが、逆に段々と気分が悪くなっていく。

シーツを握って耐えていたが、彼女はとうとう耐え切れなくなり、苦しげな喘ぎが口を突いて漏れ出した。






クラウドは公務を終えて自室へ戻る途中だった。

夕食までは少し時間があり、かと言って今日は珍しくすることもなかった。

彼の部屋は西側の一角の最端にあり、そこに行くためにはエアリスの部屋の前を通らなくてはいけなかった。


―――彼は自分の妻を愛しいとは思えなかった。
そもそもが政略結婚の類であり、周りが望んでいるのは二人が愛することではなく、子孫を残すこと、またエアリスに於いては神殿で祈ることだ。


結婚してから今までエアリスと食事を共にしたことはなかった。
寝室も夫婦というのに別で、彼もまたそれを望んでいた。


しかしエアリスの噂はクラウドの耳にも届いていた。

最初は何かの間違いではないかと思った。

あの不器用な娘が日々城での生活に慣れようと、努力していることを。

不思議に思って夜中に彼女の部屋が明かりがついているのを見て、こっそり覗いたこともある。

その時彼女は自分が教えた基本作法を練習しているところだった。

図書室で借りた本を片手に自分で用意した道具を使って一人で・・・・・・。


クラウドは当初、それも当然だと思っていた。

しかし、それが毎日毎日続くのを見て、少しずつ彼の彼女への評価は変わっていった。


それでも、どうしても拭い去れない苦い思いから彼はエアリスに近づくことを拒否していた。

それは恐れであるのかもしれない。

自分が変わることが恐ろしいのかもしれない。
彼女と関わることが・・・・・・自分が立てた彼女の『物差し』が根本から崩れることを、何故だか彼は拒否していた。


もう一押し、自分の心を彼女に向けるきっかけがなかった。
そしてそれを自ら拒否していた。

夫婦という肩書きが恐くて怯えていただけかもしれなかった。

それを認めたくない気持ちがずっと心の中を巣食っていて、だからこそ彼女の存在も忘れるかのように振舞っていたのだ。


いや、彼女に惹かれない男がいるはずもなかった。

愛らしい外見も、優しい声も、芯の強い内面も。

現に執事の男たちの中には彼女にかなわない思いを抱いているものが多くいる。

端的に言えば、クラウドは彼女を好きになることが恐ろしかったのだ。


どれだけ最初に抱いた印象が悪くとも、クラウドとて彼女の無垢な愛らしさには、惹かれざるを得なかった。


だからこそ、恐かったのだ。


彼はそれさえも気づかず、また認めないまま廊下を渡った。

その時、彼の耳に聞き覚えのある声が聞こえた。

苦しげな、切れたような息漏れの声。

―――エアリス?

彼は反射的にエアリスの部屋のドアを開けた。


「エアリス」

部屋の端のベッドでうつ伏せに倒れている彼女を見つけクラウドは思わず声をかけた。
しかし、反応はなくクラウドは慌てて彼女のそばに近寄った。

「エアリス、おいしっかりしろ!」

彼女は意識がないようだった。

すぐさま部屋のブザーを押して執事を呼ぶと、クラウドはエアリスの身体を抱き起こした。

呼吸が荒く、上手く酸素を取り込めていない様子だった。クラウドは呼吸をしやすいように軌道を確保するとそのままの体勢で他の者が来るのを待った。

クラウドは焦ったようにエアリスの身体を抱きなおした。

声をかけても返事がないのがもどかしかった。
エアリスは全身に汗をびっしょりとかいていて、肩は呼吸に荒く上下していた。

いつもの鮮やかに見えるほどに赤い唇が今や真っ青になって、明らかに具合が悪そうだった。


その時、ふとエアリスの瞼が開いた。

自分がクラウドに抱かれている状況に僅かに戸惑った様子だったが、それさえももう考える余裕は無く、苦しみから逃れるように弱弱しくクラウドの胸元に自分 から寄りかかってきた。

「大丈夫か・・・・・・?」

クラウドが初めて気遣いの声をかけると、エアリスは儚くも微笑んで見せた。
大丈夫だという意思表現だったのだか、エアリスは息が詰まるのを感じて咽た。

「おい!」

クラウドは無理矢理エアリスの喉をそらせて、呼吸の流れを少しでもスムーズにすることが出来るよう、首の下に手を添えてやった。

「もうちょっとで医師が来るから我慢しろ」

そう言って背中を擦ってやる。
エアリスの表情が少し和らいだ気がした。

「大丈夫だ」

安心させるように言うと、エアリスが再び瞼を閉じる。

その時、遅い様にも感じるほどに待っていた医師とイリーナが部屋のドアを開けて入ってきた。

「おい王子!エアリス姫はどうしたぃ・・・・・・!」

口は悪いが情のある医師、シドはやってくるなり王子であるクラウドに無作法な言葉を掛けた、がこの状況ではそのような事を言っている余地はなく、クラウド は身体を反転させてエアリスを見せる。

「おいおい!ちぃっとばかしヤバイんじゃねえか?」

そう言ってシドはエアリスの胸に聴診器をあてた。

呼吸は乱れていて、心臓の鼓動はすこぶるは速い。
肺がひゅうひゅうと嫌な音をたてている。

「おいイリーナァ!気管支拡張剤のきっついの渡せ!」

「は、はい!」

イリーナは注射器に薬を手早く入れて手渡した。

それを一気に注入する。

暫く空気が張り詰めていた。

だがしかし、やがてエアリスが規則的に呼吸しだし、その雰囲気が一気に緩む。

シドがすぐさま聴診器をあてて、それからにやりと笑って見せた。

「おう!何とか、いまん所は大丈夫そうだぜ。・・・・良かったな王子ィ!」

シドはわざわざクラウドのそう言ってみせた。

クラウドは意外に思えるほどに、心配でしょうがない、と言うような表情をしていた。

それをイリーナが失礼だと知りつつもくすり、と笑う。

「何が可笑しい?」

クラウドが僅かに顔を赤くしながら、珍しくむきになってイリーナを睨んだ。

「何でもございませんわ。クラウド様。『奥様』がご無事でよろしかったですわね!」

イリーナはわざと『奥様』を強調して言った。

「おうい!奥さんは大事にしてやれよォ!」

シドまで悪乗りする。

クラウドは二人を睨みつけながら言った。

「もういい。さっさと戻れ。またエアリスの様態が悪くなったら呼ぶ」

二人は意味ありげにニヤニヤ笑いながら戻っていった。

その時一拍開いてエアリスが意識を取り戻した。

何度かまばたきをし、不思議そうにクラウドの顔を見つめる。
やがてその顔に再び血色が戻ったのをクラウドは見て取った。

安堵にほっと肩から力が抜けた。

自分でも意外に思えるほどにいつの間にか、神経を尖らせていた。

「クラウド様・・・?」

エアリスが不思議そうに問うた。

クラウドがエアリスを抱いていた腕を緩め、そっと彼女の身体をベッドに横たえる。

だが、エアリスの手は縫いとめるようにクラウドの胸元を握ったままだった。

クラウドが離すようにとエアリスに視線をやる。

「あ、ごめんなさい・・・」

「いや、別に構わないんだが・・・・・・」

エアリスが顔を赤らめて手をぱっと離すと、クラウドもまた戸惑ったように視線を脇に反らす。

しん、と急に静寂が部屋の中を支配した。


―――話すことが無い。

クラウドはそう思った。

考えてみれば彼女と―――エアリスと言葉を交わしたことなど殆ど無かった。

それは自ら避けてきたためのことではあるが、この静寂は異様にもどかしく思えた。

つい、勢いでイリーナとシドを帰らせてしまったけれど、あれは失敗だった。

二人とも向こうを向いたまま一言も言葉を交わさない。

それがいつまでも続くように思えた瞬間、エアリスが唐突に口を開いた。


「・・・プリン、食べたことありませんか?」

・・・・急に何の話をするのだと、クラウドは目を丸くした。

プリン・・・・・・?

一体・・・?

「いや、ない」

クラウドはあっけに取られたまま素直に答えた。

彼は実際一度もプリンと言うものを食べたことが無かったのだ。

見たことはあるが食べたことはない。
そんな庶民的料理は沢山あった。

エアリスはその答えにニッコリと微笑んでみせた。

「とっても美味しいんですよ!とろぉりとしていてぷるぷるしていて甘くって」

エアリスはいつもと変わらぬ無邪気な瞳で自分を見やってくる。

クラウドはそれを決して居心地が悪い物とは思わなかった。

エアリスは胸の前で両手の平を合わせた、はしゃいだような体勢でそのまま起き上がる。

そしてベッドをたって冷蔵庫の中から包みを取り出し、クラウドの横にちょこんと座った。


まだ少し、顔色が悪かったことをクラウドは懸念していたが、エアリスはそんな様子を見せず包みをクラウドの前で開けて見せた。

「一緒に食べましょう!」

そう言って、一個取り出してクラウドにスプーンと共に差し出す。

クラウドは半ば強引に手渡されたそれをまじまじと見つめた。

それから重要なことに気づく。

「あんた、こんなものどこから持ってきたんだ?」

エアリスがぴしっと凍りついたのをクラウドは見逃さなかった。

「姫がものを勝手に食うのは無作法だと教えたはずだが・・・・・・」

だがしかし、言葉とは裏腹に、クラウドの語調は柔らかかった。

「まあ、いい。今回だけだからな」

そう言って、クラウドは初めてエアリスに笑って見せた。

そのままプリンを口にする。

「誰が作ったんだ?」

「ユフィが。あの、コック見習いの」

「ああ、たしかまだ十五、六の奴だよな・・・?あいつが料理するたびに厨房を破壊しているって噂だぞ」

クラウドは心底呆れたように言うと、残りのプリンを一気にかきこんだ。

ユフィはコック見習いのくせに厨房を顧みないなかなかいい性格の少女だ。

というと、ユフィがエアリスにプリンを作って持ってきたことは、また厨房が大変なことになったということだろう。


エアリスは苦笑してプリンを自分も口にしようとした。が、クラウドに止められる。

「あんた、食べるのは明日にしておけ。これ以上気分が悪くなったら大変だろう」

エアリスはクラウドが自分に気遣いの言葉を掛けてくれたことに驚いたが、すぐに言うことに従った。

そしてクラウドはベッドを立った。

「もう寝ろよ。あんた、熱があるみたいだぞ」

そう言われて、エアリスはやっと自分が熱のあることに気づいた。

身体を酷使しすぎたに違いない。


クラウドはそれをエアリスよりも先に気づいたのだった。

そしてクラウドはエアリスの方を向いて、僅かに躊躇った後、顔を近づけた。
その意図を理解したエアリスがそっと瞼を閉じる。

クラウドはぎこちなくエアリスの頬にキスをした。

王家の夫婦ならばする、お休みのキス。

ゆっくりとぎこちなく、触れさせた。

「具合が悪くなったらすぐに呼べよ」

クラウドがそう言うと、エアリスは嬉しそうに笑った。

「はい、すぐ呼びます」

その言葉を聴いて、クラウドは満足そうに部屋を後にした。



この時、初めて彼らはお互いを正面から見たのだった。














モクジ