Cold heart-ed
T 始まりの夜に
この世界の果てに・・・・君は何を見たのだろうか。
それは彼女の物語だったのだろうか。
それとも・・・・
・・・俺の・・・・・・?
始まりはいつも
あの夜から――――――。
スラムとは、この世界の大都市、ミッドガルが所有する、目の上のたんこぶのようなものである。
世界を牛耳る大企業、神羅カンパニーが作り上げてきたこのミッドガルでは、日夜問わずネオンのきらびやかな明かりが絶えない。
中心には、神羅が所有する巨大な発電システムがあり、これが世界の電力の7割を支えている。
人々にとってこの都市は憧れの的だった。
いわゆる“金持ち階級”のお住まいとして、これほどまでに脚光を浴びた場所は無かった。
しかし、その都市の一角―――スラムと呼ばれ、無法者のたまり場になっている場所は“外”の人間にはあまり知られていない。
スラムには貧困層の人々も多く住んでいる。
そして、その中に彼はいた・・・・・。
「は、はあ・・・ひぃっ・・・・」
闇夜のスラムを1人の男が駆けていく。
年は中年ぐらいだろうか、体にぴっちりとしたスウェットシャツのようなものを着込み、顔を覆面のようなもので覆っている。
そしてその動きは常人を遥かにしのぐ機敏さを称える。
男はスラムの路地に走りこんだ。もちろんスラムはどこをとっても小汚い路地のようなものだが、それでも男は逃げるためにその場所へ体を滑り込ませる。
―――聞いていなかったぞ!あのやろう!!
男は脂汗をだらだらと流しながら、心の中で悪態を付いた。
男はスパイだった。
この道20年ほどして、やっと“そっちの世界”で有名になってきたのだ。
―――死んでたまるか!死んでたまるか!!
そう念じながらひたすら走る。男の傍で風景が後ろ後ろへと流れていった。
“あいつ”に追いつかれたらオシマイだ。
だいたい、あいつらは“あいつ”がいるなんて一言も教えてくれなかった。
そして、心中でなるほど、と思う。
だからあいつらは自分を雇ったのか。
“あいつ”がいるから定評のある自分を雇ったのだ。
だがしかし、
風を切る音がして、その瞬間に男の肩は“つたう様にして”走っていた壁に縫いとめられた。
「ぐッ!」
小さく押し殺したような呻きをあげて、男は自分の肩から刺さったナイフを抜き取る。
その銘柄が、やはり“あいつ”のもので、男の背筋を冷たいものが襲う。
―――まずい、逃げなければ!
そう瞬時に思い巡らし、男は壁の影に隠れて逃げようとした。
だが足を一歩出す・・・その足に鋭い痛みが走り、男は溜まらず転げまわる。
その足にも同じ銘柄のナイフが深々と刺さり、それも地面に縫い付けられているのを見て、男は死に物狂いでナイフを抜き取ろうとした。
しかしそうしている間に目の前の影がゆらりとうごめく。
男が顔を上げれば、そこには精悍な顔つきの男がいた。
風に金髪が舞う。
その瞳は闇夜に輝くコバルト・ブルー。
その男の纏うオフ・ホワイトのトレンチコートは、まるで意思を持つかのようにひらめく。
スウェットの男は軽く悲鳴を上げた。
―――もうだめだ。
「ディスクはどこだ」
金髪の男の薄い唇から低い響きが漏れる。
「お・・・お願いですから、命だけは・・!」
男は後ずさりをしながら、狼狽した。
「それは俺が決める。ディスクを出せ」
男は懐の中から、つい先ほど盗み出してきたばかりのディスクを取り出した。
金髪の男がそれを受け取り、ゆっくりとコートに収める。
「い・・・いいですか・・・・?俺は・・・その・・・・」
意味の分からないことを言いながら、男は血の流れ続ける肩をもう片方の手で押さえる。
「ああ、そうだったな」
男の瞳が驚愕に大きく見開かれる。
彼の目には黒い鉄の塊が硝子のように映った。
「・・・な・・・」
次の瞬間、金髪の男の持つ“ワルサーPPK”が火を吹いた。
銃声は二発。
男の額と胸に醜い大穴が開いた。
金髪の男は“ワルサー”をホルスターにしまった。
続いて、先ほど絶命したばかりの男の懐を探り、似たようなディスクを三枚取り出した。
先ほど男が渡したディスクが本物かどうかは、依頼先に調べてもらわないと分からない。
この男もダミー用に数枚持っていたようで、彼はそれを全部コートにしまった。
―――彼の名はクラウド・ストライフという。
恐らく右に出るものはいないであろう、そう・・・・殺し屋である。
表の世界のお偉いさんは、クラウドをどれだけ高い値段で雇うかに、ひたすら関心を傾けている。
クラウドはもちろん、より値段の高いほうに寝返る。
危険な存在だが、使いようによってはこのうえもない強力な味方だ。
彼より勝るものはいない。
彼より強力なものはいない。
彼を敵に回してはいけない。
彼こそ“キー(鍵)”なのだ。
クラウドは踵を返して来た道を戻りだした。
だがすぐに、神経を尖らせる。
―――気配がする。
そう、例えるなら穴の開くような視線。
彼は直感的に思った。
これは敵ではない。
たんなる偶然でこれを見てしまった一般人だ、と。
そうでなければ、このように気配を隠さずにいることなどあるだろうか。
しかし・・・彼にとっては一般人であろうと無かろうと、有害であろうと無害であろうと、見られたからには生かすわけにはいかなかった。
鍛えられた神経で、すぐにその人物のいる場所を察知し、彼はゆっくりと歩を進める。
この場所から“ワルサー”を撃っても壁の死角にいるであろう、その人物に当たる可能性は少ない。
また武器も持たない者に弾を使うのも、勿体無い気がする。
ならば、と、彼は懐からナイフを取り出した。
―――この一本で十分である。
近づくたびに、その人物の気配が大きく膨れ上がり、恐怖の念を彼に伝えた。
この気は、死ぬ間際の“的”か追い詰められた際の“的”にそっくりである。
逃げようともしない。足がすくんでいるのだろう。まあ、逃げても大して変わりは無いが。
彼はゆっくりと“それ”がいるであろう、手前の角に来た。
たいして警戒することも無く、また、覗き込むことも無く、角を曲がった。
曲がった瞬間、少し驚いた。
「―――――――・・・・」
その人物があまりにも近くにいたため、ぶつかりそうになったからだ。
目の前にいたのは、童女のような雰囲気をたたえた少女だった。
長い栗色の見事な巻き毛。
ぱっちりとした大きな碧の瞳、
子供のような赤みのさしたふっくらした頬。
月の光を浴びて輝く、陶磁器のような肌。
真っ赤なかわいらしい唇。
背丈は低く、ほっそりとしていて、驚ききった顔は青ざめていた。
クラウドは一瞬だけそれらに目を奪われたが、すぐに平静を取り戻した。
何事も無かったようにナイフをそっと少女の首筋にあてがう。
少女は逃げようともしない。ただ、瞬きもせずこちらの顔を見つめるばかりで―――だが、その体が急に力を失ってこちら側に倒れこんできた。
クラウドは特に受け止める気もなかったが、そのたおやかな体が偶然にも自分の胸元に倒れてきて、腕の中に納まったときは少しだけ驚いた。
少女はあまりの恐怖に耐えかねて完全に気絶していた。
少女の体が軽くてあまりにも頼りないことや、その体温が温かいことにも正直―――彼は死人ばかりと付き合うので―――驚いた。
だがしかし、彼は少しそれらをぼんやりと脳裏に納めた後、やはり何事も無かったようにナイフを構えた。
白くて滑らかな首にその冷たい刃が添えられる。
クラウドにとって、死に逝くものは、もはや死人と変わらない単なる一固体に過ぎなかった。
これから死ぬものに何の情も感じない。
彼はいつだってそうだった。
―――すっと刃が彼女の肌に吸い込まれたような感じがした。
まるで、肌が弾力を持ってナイフの刃を受け止めたような・・・・・。
だが彼は知っている、いや、知りすぎている。
だれだってそうなのだ。肌は一瞬だけ刃を受け止めたようなそぶりを見せるが、長くは続かない。いずれ何事も無かったように血が噴出すだけだ。
「ん・・・・・」
少女はクラウドの腕の中で小さく寝返りを打った。
まるで、死から逃げるように。首筋に当てられたナイフとはまるで反対の方向に。
“こっち側”に首を傾ければ、よかったのにとクラウドは思った。
そうすれば、少なくとも自分がこれ以上ナイフを押し当てる事無く、彼女自身の手によって絶命しただろうに。
「――――――!」
そう考えて自身の思考に驚く。
これでは、まるで・・・。
殺したくないみたいじゃないか・・・・・・。
「コッチに来たか、と」
「いえ、そちらはまだ探していません」
「早く探しだすんだな、と。じゃないと俺達の首が飛ぶぜ?」
―――「!」
誰か来た。
クラウドは辺りを見回し、気配を捉え、声の主達がすぐそばにいることに気付いた。
彼女を殺し、すぐさま闇に隠れるのには、まあ何とか時間があるかもしれない。だが、気絶しているとはいえ断末魔の悲鳴―――たとえ蚊が泣くような悲鳴で
あったとしても―――をあげられては何かと不便だ。
と、いうのもクラウドはこの声に聞き覚えがある。
恐らく神羅カンパニーの、クラウドの一番のお得意さんである大企業の“タークス”という部隊の1人だった気がするのだ。
タークスは精鋭部隊。
もしもう一人の声の主もタークスならば、クラウドもそれら二人を相手にするのは難しいかもしれない。
なにせ、“タークス”は汚い仕事が多い(人殺しだってする)くせに“治安維持部門”の直轄なわけだから、人殺しの場面を抑えられて何もしてこないわけは無
いだろう。
クラウドはすぐに少女の体を抱えなおした。
それで、反動もつけずに軽くジャンプをすると、廃屋の5bはあろう、壁を飛び越えた。
そして彼はそのまま夜の闇に少女と共に溶け込んでいった。
続く