Cold heart-ed]Y
偽りの温もり
「これ・・は・・・」
クラウドは息を呑んだ。
霧を抜けると、そこはあれほどの吹雪が嘘のように、しんと静まり返っていた。
霧を隔てて別世界が広がっているのかようだった。
吹雪に煽られていた場所は、静かで・・・それでいでどこか美しさを感じさせた。
しかしこちら側は、それとは打って変わってただ禍々しいだけだった。
あの優しかった子守唄も聞こえない。
見上げた空は鈍い灰雲色で、立ち込めた雲が、空の頂をぐっと低くしている。
あたりには、黒雲母を思わせる黒い尖った鉱物が所々突出し、地面には土が無く、露出した硬い岩に覆われていた。
そして目の前に、天まで届かんばかりに、その天辺を鋭角に延ばした神殿が聳えている。
だが、その神殿の周りを障壁のように突出した巨大な鉱石が囲み生えていた。
クラウドはエアリスを、ザックスはティファを抱きかかえながら、荒廃した地面に一歩を踏みだした。
じゃり、と砂を踏む音が、いやに耳に付いた。
ザックスに先導されながら、クラウドは神殿の周囲をよく見た。
崩れかけ、しかし何かに突き動かされるように、孤高にそびえている。
その周囲を、地面から這ったツタのように、鉱石が張り付き、まるで神殿に侵食していっているように見えた。
ザックスに促され、クラウドは崩れた鉱石の隙間からエアリスの体を通した。
エアリスは、霧の層を抜けたとたんに力尽きて失神していた。
続いて自分も狭い隙間に体をねじ込んだ。
鉱石でできた障壁を抜けると、ただっぴろい前庭が見えた。
前庭の中央に神殿は位置し、自分の真横―――前庭と鉱石の障壁のちょうど境に、豪壮な石台が配置されていた。
円状に広がった前庭を追って見ると、遥か向こうに同じような石台が見えた。
そのさらに向こう側にも石台があり、反対方向を見ても、同じ石台が間隔を空けて設置されている。
どうやら前庭に沿って円状に石台が設置されているようだった。
更に、その石台にはそれぞれ違った像が乗せられていた。
自分の真横にある石台には、死神を彷彿とさせる髑髏が目の前にある何かの命を今にも吸い取ろうとするかのように手を差し出す、不気味なクリスタルの像が乗
せてあった。
「悪魔崇拝か・・・?いやまさかな」
エアリスに言ったつもりだったが、あいにく彼女はまだ目を覚ましていなかった。
だが何か大事なものをエアリスに見せていないようで、クラウドは軽くエアリスを揺さぶってみた。
すると、硬く閉ざされていたエアリスの瞼がゆっくりと持ち上がった。
その視線はクラウドよりも後ろ、その像のところまで流れるように移動し、そして止まった。
「エア・・・」
クラウドはエアリスの名前を呼んだ。
しかし、エアリスは像に向かってそのほっそりとした手を伸ばした。
「ハーデス・・・死と混沌を・・・司る・・・守護神」
エアリスの瞳は、彼らの右手側、さらに遠くにある像に向けられる。
それは、たっぷりとした長い髭を蓄え、その手に杖を握った老人を象ったものだった。
「ラムゥ・・・雷と・・・正義の・・・守護神・・・」
エアリスが唇を震わせながら紡ぐ言葉を、クラウドはじっと聴いていた。
その言葉一つ一つが、まるでエアリスのものではないかのように重厚に響く。
どうやら、一つ一つの像は、それぞれ何か別の力を象徴しているらしい。
クラウドは手を伸ばして“ハーデス”という名の死神の像に触れようとした。
だが―――
「・・・うぅっ・・・!」
触れたところに鋭い痛みが走り、像がスパークして右腕を電流のような衝撃が走った。
青いプラズマを迸らせながら、それと同色の光がクリスタルの内部に収束する。
あっと言う間にクリスタルの造型の中が、青い光で満たされ、クラウドはたじろいだ。
間髪おかずに次の変化が起こった。
前庭を囲むクリスタルの像が、次々に青く発光し始めたのだ。
「なんだ・・・これは・・・」
浅はかに触るべきではなかった。
自身を罵りながら、クラウドは次の変化にも反応できるように、跳躍して像との距離をとる。
だが、それ以上は何も起こらず、クラウドは息をついた。
「エアリス・・・何が起こったんだ?」
腕の中にいるエアリスに問うと、彼女は深く息を吐き何度が瞬きをした後、クリスタルの像を振り返った。
「・・・封印が・・・解け始めて・・・主の帰りを待って・・・。そう、星・・・言ってるの。わかる、聴こえるの、ここ・・・星・・・私に、話しかけ
て・・・」
「すまない、もう話さなくていい」
そういうと、エアリスはそっとまぶたを閉じた。
彼女はもう起き上がる力が残されていないようだった。
クラウドはエアリスの体を抱きなおして、ずいぶんと先へ行ってしまったザックスのあとを追った。
前庭を抜けると、そこにはいばらのように『茂った』鉱石が、神殿全体を覆い、更にその周辺を埋め尽くし、何者をも進入を拒む体裁が見て取れた。
数十メートルにわたって、漆黒の鉱石は『茂り』、ところどころ棘のようなものが生成されている。
更に近寄って棘に触れてみると、予想を裏切らずに硬く鋭く、簡単に肉を断ち切ってしまいそうだった。
「・・・この前来たとき、ぶった切ってやったのに・・・」
ザックスの呟きを聴いて、クラウドは彼の背中に背負われた巨大な剣―――バスター・ソード(覇滅剣)を目に留めた。
ザックスのこの剣は確か、以前ここにトレジャーハントしに来たときに手に入れたとか言っていたか・・・。
ならば、多少なりともこの不可解な神殿の構造は頭に入っているのだろう。
「めんどくせーな・・・っと!」
ザックスは大きくバスター・ソードを振りかぶり、更に横なぎにして、棘鉱石を払い始めた。
甲高い金属音が鳴り響き、しかし屈強なバスター・ソードはこれしきのことでは折れそうにも無かった。
時折、バスター・ソードに破砕された鉱石がこちら側へと飛んできた。
クラウドは徐にその一かけを手にとって、指で圧力を加えてみた。
すると、驚いたことに、あれほど硬かった鉱石がぐにゃりと歪み、指が中に食い込んだ。
「・・・っ」
クラウドが驚いてそれを取り落とす。
落ちた鉱石は更に液状化して、黒い染みを薄灰色の岩石面に残した。
いや、違う。黒くない―――むしろこれは・・・血だ。
クラウドは頭痛をもよおす頭を手で押さえた。
なんなんだ、一体。
仰ぎ見れば、ザックスがかなり奥のほうまで鉱石を『伐採』していた。
クラウドも後を追う。
作られた道には、伐採された鉱石の欠片が大量に積もっていた。
クラウドは恐る恐る足を踏み出した。
一歩歩を進めるごとに、足の下で硬いもの同士が擦れあう音が聞こえた。
ぱりぱりと、欠片が割れる音もする。
だが次第にその音が薄れ、逆にぐにゃりとした感触がブーツの底から伝わって、クラウドの背筋は粟立った。
「くそっ・・・!」
大量に積もった欠片が全て液状化し始め、足を取られてうまく進めない。
振り返って自分が来た道を見ると、遠くのほうから段々と液状化が進行しているのが見て取れた。
いけない。
クラウドは足場の悪さに舌打ちした後、エアリスを抱えなおして、ザックスのほうへと走り出した。
彼を追いかけるかのように、血の川が迫ってくる。
クラウドは飛びつくようにザックスの前へと飛び出た。
「うわ・・・なんだよクラウド?」
「う・・・後ろだ、ザックス!」
「え?・・・・・・げえ!!」
ザックスは文字通り飛び跳ねて、ティファの体をクラウドにもたれさせると、両腕で握ったバスター・ソードで猛然と道を開拓しだした。
初めは地面を染める程度だった『血』は、新たな鉱石を飲み込んでは量(かさ)を増し、まるで命を吹き込まれたかのように躍動しては、彼らに迫ってきた。
「間に合わねぇ・・・、くそっ!!」
ザックスが毒づいたときには、血の川はまるで彼らを飲み込もうとして、大口を開けている蛇のような造型を象って、彼らのすぐ真後ろまで来ていた。
クラウドが衝撃からティファとエアリスを守ろうとして、二人を腕に抱え込んだ―――その時だった。
意識を根こそぎ奪いそうなほどの衝撃が直上から雨のように降り注ぎ、クラウドとザックスは咄嗟に地面に這い蹲った。
続いて頭上を強烈な熱風が吹き荒れ、空間が歪んだかと思うと、赤い熱線が突如現れて轟音と共に、血の大蛇を飲み込んだ。
地面がぱっと明るくなり、体の上を熱い風が舐めていく。
「うう・・・っ」
クラウドはティファとエアリスの上に覆い被さりながら、苦悶の呻きをこぼす。
何かにつかまっていないと、風に体を持っていかれそうで、クラウドは必死に爪の立たない地面に張り付いた。
目を瞑っていなければ、熱風に眼球を焼かれそうだ。
暫くして、ふいに熱風が過ぎ去った。
クラウドは目を閉じたまま、他の感覚を研ぎ澄まして危険が去ったのを感じた。
ゆっくりと、まぶたを開け、体を起こす。
見れば、ザックスもちょうど同じように安全を確かめて立ったところだった。
「わりい。ティファまでかばってもらって」
「いや、別にかまわない。それよりもさっきのは何だったんだ?」
疑問に満ちた眼差しを彼に向けると、ザックスは肩をすくめて、視線を倒れているエアリスに向けた。
「エアリスが?気絶しているが・・・」
だが、気絶しているとはいえ、こんな芸当ができるのはエアリス以外いなさそうに思えた。
しかし、ザックスだって真偽のほどは分かるはずも無い。
クラウドも肩をすくめてザックスを見やった。
「あ・・・おい、さっきので鉱石が消えている!」
ザックスの肩越しに見ると、あれほど繁茂していた鉱石が、彼らの道を作り出すかのように消え去っていた。
幅2メートルほどの道が、神殿の前まで帯のように続いている。
「また、変なことが起きる前に行こうぜ」
ザックスが再びティファを左肩に担ぎ、右手にバスター・ソードを持って進みだす。
クラウドは頷くと、更に深く意識を失ったであろうエアリスの体を抱きなおした。
「クラウドーーー!ザックスーーーー!」
エアリスは一人、静かな水面が眼下に広がる不思議な祭壇の上にいた。
その場所は、光が届いていないはずなのに、きらきら光ってとても美しかった。
祭壇は湖の遥か上に土台も無いのに浮いていた。
湖の岸辺から螺旋状に延びる階段が唯一の出入り口で、目が覚めたら、その祭壇の上で横たわっているところだった。
エアリスは祭壇から思い切り体を伸ばしてクラウドとザックスの名を呼んだ。
だが自分の声が幾層にも反響しただけで、返事は返ってこない。
ふと、見下ろすと、美しい水面がまるで自分を吸い込むかのように揺れていて、エアリスは怖くなって身を乗り出すのをやめた。
落ちたら泳げない。
エアリスはどうしたらよいか分からなくなって、祭壇の隅で縮こまった。
―――この場所、見たことがある
エアリスの胸に少しだけ懐かしいものが浮かんで、彼女はそれを思い出そうと頭をひねった。
だが、夢で見たときのようなおぼろげな印象しか湧かない。
この付近一帯は、湖が不思議な光をたたえるせいか、辺り一面水色の光にゆらゆら揺れている。
水面が風も無いのに揺れるたび、一枚のスクリーンにその様子が映し出されたかのように、一緒にゆらゆら揺れるのだ。
エアリスは、辺りをぐるりと見回したが、遠くに行けば行くほど、水色が影を落として暗くなっているだけで、湖と祭壇以外何もないように見えた。
そんな幻想的だが虚無感に襲われる景色が、どこまでも果てしなく続いていた。
心細さに、体が震える。
「どこ行っちゃったの・・・?」
一人呟くその言葉も、虚空に解け消える。
寂しくて、そら恐ろしくて、エアリスは、膝を抱えて、その間に顔を埋めた。
あの吹雪の中、自分が変な術を使ったことは覚えている。
その内に余りにも苦しくなり、意識が無くなった。
術を用いるのがこれほど精神的な重圧を受けることだとは思いもしなかった。
術を使っている状態はとても特殊で、常に星と同調していなければならない。
星の圧倒的な力が身に注がれ、精神を侵食せんばかりに膨れ上がる。
その感覚を、エアリスは始めて思い知った。
「ケアルやポイゾナ・・・すっごく初歩的な魔法だったんだ・・・」
エアリスは狂いそうなほどの星との干渉を体験して初めて、今まで自分が使ってきたこの二つの技が、いかに簡単なものだったかを知った。
―――願うだけで、使える術もあるのよ。
いつか母がそう言っていた。
てっきり、望めば勝手に術が発動してくれるのだと思っていた。
だが、以前クラウドの動きを止めようとしたとき、全く発動してはくれなかった。
結局、自分に使えるのはケアルとポイゾナだけで、あとは全く使えなかった。
父が、術は相手を攻撃するときにも使えるのだと言っていた。
だけど、両親はそんな技を一つも教えてくれないまま逝ってしまった。
「パパ・・・ママ・・・」
再びエアリスは虚空に向かって呟いた。
相変わらず言葉は解け消え、周囲は水面に合わせて揺れる。
「来たんだよ、どこにいるの?」
少し強めに言葉を紡ぐと、音は残響を残しながら、やはり消えていった。
「誰か・・・」
―――エアリス
「!!」
確かに反応があった。
エアリスはがばりと立ち上がり、誰かいないか辺りを見回した。
だが誰もいない。
「誰かいるの!?」
―――ああ、いる
「どこに?」
声は低くて心地よく、いつか聞いたことがある声だった。
聴くほどに懐かしさがこみ上げ、心から溢れそうになる―――そんな声だった。
―――そこでは、会えない。階段を下りて・・・こっちだ
声は遥か下から聞こえた。
エアリスは期待に胸をときめかせながら、恐る恐るふちの無い階段を下り始めた。
ふちがないのと高いのとで、恐怖が二乗になる。
だがその低い声に促されて、エアリスは一歩一歩足を踏み出した。
―――いいこだ、さあこっちへ
「う・・・うん、今降りているから・・・」
どこまでも続く螺旋階段は、遥か下までとぐろを巻いていた。
―――足元だけ見れば怖くない
「うん!」
その低い声は、エアリスの体を満たす何かがあった。
エアリスはそのわずかな間に、その声が大好きになっていた。
ほっとする。
とても・・・。
もしかしたら、パパの声?
パパがそこにいるの?
そう思うだけで、自然と覚束なかった足取りは確かになっていき、降りることが容易くなってくる。
その声は信頼が置けた。
やっと硬い地面に足が付く。
だが地面には薄い霧がかかって、自分の足元が見えない。
不安そうに声の主を探したが、やはり水色がどこまでも続くだけで、誰もいないように思えた。
「どこにいるの」
―――こっちだ
声が前方から聞こえて、エアリスはぐっと足を踏み出す。
エアリスが数歩歩くごとに、誘導してくれる声は、また遠方から聴こえ始める。
その地点に行くごとに、また遠方から・・・。
これを何度も続けていくほどに、先ほどまで自分がいた神殿が遠くなっていった。
「まだなの?」
―――もう少しだ
いよいよ祭壇は小さくなって見えなくなった。
縦も下も右も左もないような水色の世界が裾野を広げている。
とたんにエアリスは怖くなって立ち止まった。
―――どうした
「だって・・・何にもない・・・怖い」
エアリスは相手もいないのに、首を横に振った。
すると、声が後押ししてくれた。
―――大丈夫だ、もうすぐ外に出られる
エアリスは恐々とまた歩き出した。
「ねえ、誰なの?」
この低い声が、どうしても聴いたことがあるような気がしてならない。
声の主の正体が気になって、エアリスは尋ねた。
―――もうすぐわかる、さあ・・・こっちだ
どれくらい歩いただろうか。
次第に、水色の世界が薄れ、自分がごつごつとした岩肌に囲まれた―――それも随分と狭い洞窟のような場所にいるのが分かってきた。
確かに、もう少しで抜けられそうな予感がしてきた。
さらに歩くと、ただでさえ狭い洞窟が、人一人ぎりぎり通れるほどに狭まってきた。
―――ほらそこだ
エアリスは目を細めて前方を見やった。
「出口?」
狭い洞窟が、前方で急激に大きく開けているのが見えた。縦幅も、横幅も共に。
そこに、いかめしい巨大な扉が聳え立っていた。
―――さあ、そこから外へ
もうすぐ、声の主に会える!
エアリスの心が期待で満ちる。
慌ててその巨大なドアによりすがり手を触れた瞬間―――
ぱっと眩い光が散り、巨大な扉全体が淡水色に輝き始めた。
そしてそのまま、びくともしないように見えた扉が向こう側へとひとりでに開き始める。
「あ・・・」
エアリスはたじろいだ。
重厚な扉は完全に開ききり、その奥に、『何か』が広がっていると思われた。
だが・・・
そこには何もなかった。
闇と混沌が口を開けていた。
エアリスを飲み込もうとでも言うかのように。
―――こっちへ
「いやぁ・・・」
声に逆らってエアリスは後ずさりした。
どうしようもなく怖かった。
その時、闇の向こうからおぼろげな影が現れた。
エアリスはよく目を凝らす。
次第にその影は実体を持ち始め、エアリスにも分かる形になった。
「・・・っ」
エアリスの表情に歓喜が溢れる。
『それ』がそっと手をさし延ばし、エアリスはその手を取ろうと一歩踏み出した―――
だが
「エアリスだめえッ!!」
「!!」
甲高い声が辺りに響き、エアリスは思わず差し出した手を引っ込める。
すると、物凄い強風が吹き荒れて、エアリスの目のまで扉が勢いよく閉じ始める。
エアリスは驚いて尻餅をついた。
しかし、その右腕が引っ張られ、有無を言わさずに元来た方へと走らされる。
扉が完全に閉まるのを見届けるよりも早く、エアリスは洞窟へと引きずり込まれた。
それでも、腕を引っ張る力は弱まらない。
「だ・・・れ?」
エアリスは暗闇の中で時々視界に入る長い髪の毛を目に捉えた。
「ごめんね・・・もっと早く話したかったの。でも・・・でも『あの者』の干渉が強すぎて・・・今でも・・・できるだけ遠くへ!」
エアリスはその声にたしかに聴き覚えがあった。
優しく、ほっそりとしていて・・・自分に似た・・・
「ママ!」
それは彼女の母親の声だった。
長い髪をよく見れば、自分と同じ巻き毛が目に付いた。
だが母は再会の感動に浸る余裕はなさそうだった。
「ママ!でも、でも・・・さっきのは!!」
「『あの者』はあなたを手中に収めようとしているわ、あの時と同じように!!『私たち』は『あの者』を倒す礎を作り、あなたが来るのを待っていた。・・・
でも、『あの者』はあなたを・・・あなたを殺すわ!」
エアリスは耳を疑った。
だって、あれは・・・あれは・・・
「だってあれは!」
「さっきあなたを呼び寄せたのも、永遠に『礎』を破壊するため。あなたをここへ召還したのは『あの者』なの。でも『私たち』が、干渉を妨げて、一番安全な
あの祭壇にあなたを連れて行った。でも、その後は『あの者』の干渉力が・・・!でも間に合ってよかったわ!」
母に引かれて、エアリスは水色の世界へ戻った。
辺りの空気がごうごうと鳴り響く。
相当な速さで引かれているようだった。
そうしてエアリスはようやく母の全てを見ることができた。
自分とそっくりだと思った。
よくよく見ると、母は足を動かしてはいなかった。
どうやら、また違う力を使って移動しているらしい。だから、こんなに速く動けるのだと、エアリスは頭の片隅で思った。
また、母が自分とそっくりな声で教えてくれた。
「ここは『私たち』のテリトリーなの。本来はね。だけど『あの者』がその強力な力で強引に干渉している。そんなことができるのも、『あの者』の強大な力の
せい」
だが、エアリスの耳にはほとんど母の声は入ってこなかった。
先ほど、闇の奥で自分に手を差し出した存在が、頭から離れない。
間違いない。自分は確かにあの手をさし伸ばした本人を見た。
あれが自分を殺す存在・・・?
そんなはず、あるわけない。
そんなこと・・・!!
「いいこと、エアリス!今からあなたに大事なことを教えるわ!よく聴くのよ」
母に肩を強く揺さぶられて、エアリスはようやく気を取り直した。
いつの間にか、元居た祭壇にたどり着いていた。
母が言うのは、ここが一番安全な場所らしかった。
『安全』とは一体何からの保護をさすのだろう?
だって、あれは・・・。
「あなたには分からないことがある。それはとても大切なことなの。だけどそれを思い出させることはできないわ・・・あなたが壊れてしまうから」
母の強い瞳がエアリスを捉えた。
エアリスが呆然と頷く。
分からないこと・・・忘れていること?
自分が壊れる・・・一体どういうことだろう。
だけど、とてつもなくいやな予感がして、それがどんどん膨らんできている。
エアリスは体を震わせた。
聴きたくない!
「『あの者』は復活し、またこの世界を死へと導くわ。そうならないために、『私たち』は礎を作った。究極の白魔法“ホーリー”は二度と使えないけれど、そ
れと同等の術の礎を。この神殿内に三つの石の礎がある。その内の二つが、私たち“セトラ”の基盤をなすものを表している・・・。“生”と“死”よ」
セトラとは、族長の家系の者を指す言葉だった。
遥か昔に栄えた文明では、彼らの命が最も尊いものだった。
星と意思を通わせ、魔術を巧みに操り、賢者とさえ呼ばれた人々。
その彼らが自らの基盤として尊んだものが、“生”と“死”のサイクルだった。
星より生まれ星へと帰り・・・そしてまた生まれ。
今で言う古代生命理論―――星命学の基盤となる思想である。
これらは、最も高尚な星の営みであり、このサイクルこそ、星を一つの生命体と捉えたときにその生命体の純然たる“生”の証であった。
体に通った血のごとく。
彼らの考えでは、星こそが生命界において、頂点に立った存在であり、絶対不可侵な存在であった。
神殿は彼らの最大の聖地であり、星はあがめられた。
「待ってママ!それよりさっきの・・・」
エアリスは母の話しに口を挟んだ。
彼女の心は以前、先ほどの光景に縫いとめられたままだった。
母は嗜めるようにきゅっと唇を結んでエアリスを見たが、彼女は臆せずに更に続ける。
「ママ、わたし・・・急にこんなこと言われてもわからない!分からないことって何?あの人が何で私を殺そうとするの!?」
エアリスは混乱して声が詰まった。
先ほど見た「あの人」が、いつまでも自分を呼び続ける。
母の言い方では・・・まるで・・・まるで、星を滅ぼそうとしたのは・・・!
そんなことあるわけがない!
「エアリス!いいこだから話を聞いて。教えるわけにはいかないの!言うとおりにしてくれただけで、全部終わる―――っ」
母は最後まで言うことができなかった。
エアリスが瞬きもしないうちに、強烈な衝撃が空間を引き裂いて、母の体を打ち砕いた。
彼女の細い体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
その足や腕は千切れたように霞み、腹の一部も消えかかっているように見えた。
エアリスは悲鳴を上げた。
「ママ!」
エアリスが母に駆け寄ったのと同時に、あの低い声が空間に木霊した。
母が体をびくつかせ、エアリスは彼女を守るように立ちはだかる。
やがてあの闇のように、人の形をした影がゆらりと現れた。
次第にそれがはっきりとした形を持っていき、やはり『エアリスが知っている』人の姿へと変化する。
『その者』は皮肉気に吐き捨てた。
「理解させたいなら、その『入れ物』に記憶をぶち込んだほうが早いと思うが?」
母は気丈に『その者』を睨み返して言った。
「私の娘を入れ物扱いしないで。それにそんなやり方は、あなたのような哀れみも愛情も一欠けらもない下種以下のものがやることだわ」
「記憶のない奴など利用価値のないただの器だ」
母が奥歯をかみ締めたのが分かった。
エアリスは目の前の光景にどうしたら言いか分からず、呆然とその場に立ち続ける。
母はそんな娘の状態に心を痛めつつ、動かない体を引きずって、彼女を庇うかのように『その者』と対峙した。
エアリスはただ、目の前で起きている状況が信じられなかった。
―――この人がなぜ、ママを攻撃するの!?
「何で、ここに入ってこられたの?」
「封印の扉が一度開いたからだ。一度開いたなら、こじ開けるまで。そう意味ではそいつも役に立った」
『その者』はエアリスをあごでしゃくった。
「最低、ね。どこまでも『いつでも』、私の娘を利用することしか考えていないのね!」
『その者』は母の非難を鼻で笑った。
氷のような瞳は少しも笑っておらず、それがエアリスの体を凍りつかせる。
その目には人間らしい輝きはなかった。爬虫類のようで、いつだって獲物を探してぎょろりと巡視しているようだった。
「とにかく、こいつをマインドフィールド(精神世界)に呼び寄せたのはお前たちではない。・・・こっちの好きなようにさせて貰う」
マインドフィールド、と言うことは、母の体は精神が具現化しただけのもののようだった。
と言うことは自分も?本体はまだクラウドたちと一緒にいるのだろうか・・・。
そして目の前にいる・・・『その者』も。
不安げに母を見やると、彼女の体は少しずつ消え始めていた。
精神にダメージを受けて、消え去ろうとしている。それは、母が具現体を保つ力が無くなってきているというのではなく、彼女自身が消えようとしているとい
う、恐ろしい現実をエアリスに突きつけた。
「ママ!お願い、消えないで!星に戻れなくなっちゃう!」
戻るものがなければ、星にも戻れない。
それは、永遠の死を意味する。
だが母は歯を食いしばったかと思うと、その消えかかった両腕を広げて、『その者』からエアリスを隠そうとした。
「無意味なことを・・・。さあ、エアリスこちらへ来い」
「・・・っさせない!」
母が口の中で何かを唱え、片手を『その者』に向けて突き出した。
エアリスの目の前で、『その者』の両側の空間がゆがんだ。
母はまた何かしらの呪文を唱え、もう片方の手で複雑に印を切ったのち、叫ぶ。
「アルテマ!」
両方の歪んだ空間を橋渡しするかのように、強烈なエネルギーの帯が太い光状となって『その者』を飲み込んだ。
アルテマ(星胎壊滅)は、守護神を仲介しない術の中で、ホーリーに続く高位の魔法であった。そしてホーリーが封印の術であることを踏まえれば、このアルテ
マこそ、攻撃呪術最高位の技であると言える。
人の命とは、常に星とリンクされることで保たれている。
星の力(ライフストリーム)とは、それら生きているもの、死んでいるものの生命エネルギーの塊である。つまり、極端に言えば、生きているということは、現
実世界と精神世界の両方に座を占めていることであり、死ぬということは、精神世界でしか存在できないということであった。
アルテマ(星胎壊滅)は、直接、精神世界の生命エネルギーを打ち砕く術である。
したがって、術をかけられた当人は、跡形も無くなるはずである。
だが―――
「最高位の術も使うものが至らなければ、この程度・・・か」
「!!」
母が息を呑んだのが聞こえた。
いくら『あの者』でも、この術を受けて無傷なはずがない!
『その者』は、母を冷たく嘲弄した。
そして、本当に何の影響もなかったかのように、エアリスに手を伸ばして、その肩を取った。
「いい子だ・・・。さあ・・・」
「エアリス、逃げなさい!」
エアリスは何も信じたくなかった。
目の前にいる、化け物のような存在も。消えかかろうとしている母も。この星の命運も、自分の務めさえ・・・なにも。
彼女の目の前に、母と『あの者』がいた。
ただ、それだけの事実しかわからなかった。
必死の形相で訴えてくる母の様子も、肩を握った手に力をこめてくるその存在も、何もかもが非現実的で夢のように思えた。
茫然自失状態のエアリスを前に、『あの者』は、母をその爬虫類のような瞳で舐った。
そして言う。
「最後だ、模範演技でもしてやろう」
『あの者』の瞳が更に冷たく翳った。
そして、その狂気に満ちた表情のまま、ぐったりとした母に向かって手を差し出した。
『あの者』は、母のように呪文を口にすることも、印を切ることもしなかった。
エアリスはただ、いやいやと首を横に振るだけだった。
その時、エアリスの脳裏に、彼女の愛する男の顔が浮かんだ。
今にも母を消さんとする目の前の存在の狂気とは、相反するかのような暖かさで、自分を包んでくれる―――クラウドの物静かな面持ちが。
「消えろ」
母がアルテマの光にかき消される瞬間、エアリスは涙を散らして、男の名を叫んだ。
「クラウドーーーーーーーーーーーー!!」
クラウドは目を白黒させた。
神殿に何とか侵入し、暫く探索を続けた後、適当なところで腰を下ろして休んでいる最中だった。
急にエアリスが跳ね起きたかと思うと、突進する勢いで抱きついてきたのだ。その勢いで頭をしこたま打ってしまった。
「クラウド・・・クラウド!」
エアリスは泣きながら、クラウドの首にかじりついてくる。
ザックスが興味深そうに、覗き込んでくるのが見えたが、クラウドにはかまっている余裕がなかった。
「・・・痛ぅ・・・エアリス?」
頭を押さえながら、クラウドは抱きついてくるエアリスの顔を見た。
その表情が恐怖と悲しみで満ちているのを見て、クラウドはただ事ではないのを感じた。
「ママが・・・ママが・・・ッ!!」
エアリスが必死になって何かを訴えてくる。
その『ママ』という単語に、クラウドとザックスは顔を見合わせた。
クラウドはエアリスの肩を強く揺さぶった。
「“ママ”!?エアリスも会ったのか・・・!」
「ママが消えちゃった!ママが・・・『あの者』に!怖いよ、クラウド・・・どこにでも行かないでよぉ!」
エアリスはむせび泣く。
クラウドが確かにそこにある、という事実だけが欲しくて、エアリスは普段の彼女のものとは思えぬほど力強く、彼に抱きついた。
しかしクラウドはエアリスを急かした。
「エアリス!“ママ”にはどこで会ったんだ!?」
エアリスは狂乱めいて喚いた。
「分からないよ!知らないところ、祭壇があるところ!水色っぽくて・・・下に湖が広がって・・・」
クラウドとザックスがまた互いに目配せをした。
そして、ザックスはティファを、クラウドはエアリスを抱えて立ち上がる。
「ティファが・・・ティファがずっと“ママ”って言っているんだ。“ママ、消えないで。どこにも行かないで”って」
エアリスは、自分の悪夢を忘れて、クラウドの言葉に聞き入った。
ティファが?
なんでティファがママに会っているの?
「エアリスもう少し、詳しく教えてくれ。そこに行ったら、ティファのことが少し分かるかもしれない」
「い・・・行かないで・・・」
ティファは真っ白な空間に向かって、そう呟いた。
“ママ”は、急にどこかへ消えてしまった。
最後にティファの髪を優しく撫でたかと思うと、申し訳なさそうに微笑んで、どこかへ行ってしまった。
ティファはもちろん驚いて、必死に“ママ”の体に抱きついた。
だが、“ママ”はまるでティファが存在していないかのように、その腕をすりぬけて、事も無げに目の前から消えた。
ティファはいまや、誰もいない真っ白な空間で一人ぼっちだった。
悲しさと寂しさで、その瞳から涙が零れ落ちる。
“ママ、ママ”・・・と、ティファは消えたっきり、現れることのない母親を呼び求めた。
だが一向に反応はない。
心細い、怖い。
幼児のように震えるティファは、自分の方を抱きしめて、自分を守ろうとするかのように体を縮めた。
“ママ”は誰かに呼ばれているようだった。
―――名前も知らない誰かが“ママ”を取った!―――ティファはそう思い、名前も知らぬその誰かに、怒りが湧くのを感じた。
“ママ”は困った顔をしていた。
きっと、“ママ”は無理やり呼ばれて、いやいやそちらへ向かったのだ。
急に、もう“ママ”が帰ってこない、という恐ろしい予感がして、ティファの背筋は粟立った。
―――そんなことない、用事が終わったら、“ママ”はまた帰ってきてくれる。そして、あの優しい声で『ティファ』と呼んでくれる。
その時、真っ白な空間の向こうから、どこか懐かしい低い声が聞こえ始めた。
ティファははっとして、その声に聞き入った。
いつか、どこかで聞いたことがあるような声。
誰だっただろう?
不明瞭だった声が、時が経つにつれてしっかりとしてくる。
その声は、ティファに向かって話し出した。
―――ティファ
「!」
自分の名前を知っている?
しかも、その声は“ママ”と同じほど落ち着く何かがあった。
―――ティファ、いい子だ。こっちへおいで
自分に向かって、『いいこ』と言った“ママ”の声が思い出された。
それと同じほど柔らかな、声。
“ママ”とは違うけれど、優しくて、低くて・・・自分を守ってくれる声。
「ぱ・・・パパ?」
―――おかえり、ティファ
「“パパ”!!」
ティファは、先ほどまでの恐怖を忘れて勢いよく立ち上がった。
その声の出場所を探して、辺りをきょろきょろと見渡す。
その声は、“ママ”と同じ気持ちをティファに与えてくれる、すなわち、“パパ”の声だった。
「どこにいるの“パパ”!姿を見せて!」
―――こっちへ来てくれ。そうしたら会える
声に促されて、ティファは声のするほうへと走り出した。
期待に胸が膨れ、まだ会わぬ“パパ”の温もりを、胸の中で鮮明にイメージした。
ティファが声のするほうへと行くたび、声は益々遠ざかる。
絶対に逃がしたくなくて、ティファは走るスピードを速くした。
暫くして、声はそれ以上自分を呼ばなくなった。
ティファの心を、さっと恐怖の影が覆う。
見失った!?それとも・・・“パパ”が自分を置いていってしまったのか?
不思議なことに、それはティファを凍りつかせんばかりに恐れさせた。
息が詰まる。黒いものが、つぎつぎと自分に触れては、犯していく。
「“パパ”、独りぼっちにしないで!」
ティファは誰もいない空間に向かって叫んだ。
しかし、声は残響を残すこともなく、あっさりと消えていった。
それがまた、たまらず恐ろしい。
「“パパ”に会いたいの!お願い・・・お願いィ!」
ティファは懇願した。
すると、今度は変化があった。
方向感覚を完全に奪うだけの白い世界が、一部、急に渦巻いたのだ。
ティファは期待を寄せて、そちらを食い入るように見つめる。
彼女が視線を傾ける、その前で、次第に渦が人の形をとっていった。
ティファは息を呑む。
そして“ママ”を見つけたときと同じように言った。
「あなたはーーー!」
ティファの表情が歓喜で満ちた。
何で気づかなかったんだろう。こんなに近くに“パパ”がいると!
“ママ”だってすっごく近くにいた。
いつも自分の傍で、見守ってくれていていたのに、なんで気づかなかったのだろう!
ティファは嬉しさと、申し訳なさで、形容しがたい気持ちになった。
しかし、それでもやっと“パパ”を見つけた喜びが勝って、ティファは目の前の存在に向かって抱きついた。
「“パパ”・・・“パパ”・・・っ!」
“パパ”は“ママ”と同じほど優しく抱きしめ、頭を撫でてくれた。
それが、心にぽっかり空いた何かを埋めてくれた。
「“ママ”は?ねえ、どっかに行ってしまったの、知らない?」
“パパ”は精悍な顔をふと緩めて、彼女に微笑みかけてくれた。
―――ああ、もうすぐ会える。・・・ティファが手伝ってくれれば
ティファは勢い込んで頷いた。
“パパ”は自分が手伝わないなんて思っているのだろうか。
ならば、ずいぶんと信用のないことだ―――と考えて、ティファは今まで両親の存在に気づいていなかった自分を思いだして、考えを改めた。
しょうがないことだ、今まで“パパ”と“ママ”が傍にいてくれたのに、気づかなかったんだから。遠いようで、本当はこんなにも近くにいてくれたのに。
だから―――“パパ”と“ママ”の頼みごとなら、なんでもする。
そう、なんでもしよう。彼らのために。
「ええ、何でもするわ“パパ”!おしえて、何をすればいいの?」
“パパ”は満足気に頷いた。
それだけで、ティファは誇らしい気持ちになる。
「いいか、ティファ・・・」
続く