Cold heart−ed]W

Cold heart−ed]W




「エアリス、起きられるか?」

「ん・・・・・・」




―――幸せな夜は終わった。


残酷な現実はすぐそこに、目の前にあるとは知らずに・・・・・・。








「ふ・・・ふえ・・・腰とお尻が痛いよぉ」

「それを二人の前で言うと死ぬほどからかわれるぞ」

なるほど、それは嫌だ。
エアリスは痛む腰を押さえて必死に歩く。

クラウドはそんな彼女を気遣って、そっと腰に手を回した。
食堂についたエアリスは必死に椅子によりすがり、腰を下ろす。

「ふわー。やっと休めるよ・・・」

「あら、エアリス。疲れてるの?」

ティファがエアリスに紅茶の入ったマグカップを渡しながら聞く。

「うん・・・ちょっとね」

「ふーん」

何か意味ありげにクラウドはちらりと見る。その視線を感じて、クラウドは余計なお世話とばかりにティファを睨み返した。

「ま、いいわ。深く追求しないで置いてあげる。それより、何時に出発する?」

「あと小一時間で出発する。ザックスは?」

いつも早起きのザックスが今日はいない。
ティファは頭をひねる。

「さあね。どっかで筋トレでもしてるんじゃない?」









ザックスは軽い足音を立てて砂浜に降り立った。

以前にも来たことのあるこの島。
そこで今の自分の愛刀、バスターソードを手に入れた。

やはり、“創生地”に近づくほど、この刃の力は増す。
全ての始まりの場所は母親の胎内のようには優しくは無い。
残酷な始まりは同じく残酷な現実を自分たちに与えるようだ。
ザックスは笑う。

「来てやったぜ。セフィロス。俺たちの始まりの場所だ・・・。前に言ったとおりだ、守れなかった全てに誓うさ・・・。セフィロス・・・違うな、ジェノバ」

ザックスは歩を進めた。
島を覆う木々にその姿は紛れ込む。

ここが始まりの場所。
世界はここを核に広がっていった。
今では“人”が見つけることのできない神聖な場所。

太古の昔、セトラと自らを呼んだ民族の・・・・・・。

ザックスは前後左右も分からない森の中を迷わずに進む。

「・・・まさかジェノバと結びつくのがあんただとはね・・・。これも運命かな?」

一人漏らす問いかけに、森の木々がざわめきながら彼の意思に干渉する。
否、“彼”が自分に干渉してきているのか。
ここは始まりの場所だから。

“何をしに来た”

ザックスはせせら笑う。
彼もまた自分の言葉を精神に乗せ、“声”と干渉する。

“運命を見に来た”

“運命か。それが正しいのかも知れない。全てあの者の図ったとおりにことが進んでいる”

“俺たちの力じゃ結局適わないのさ。・・・まあ悪あがきもいいかと思っている”

《あの者》が望んだ通りの図式に載せられ、この場所にやってきた。
最後くらいは反乱を起こしてもいいだろう。

“《あの者》が目覚めるのももはや時間の問題だ”

“分かってるさ。止められることなんか考えちゃいない。俺が考えているのは、いつ、どんな形で《あの者》が目覚めるかだ。人間らしい感情が残っていれば、 もしくは・・・”

そう考えたところでザックスは自嘲する。
あまりいい考えじゃない。
偶然は起こって欲しいときには起こらない。

ザックスは“声”との干渉を切った。

踵を返し“ハイウィンド”へと戻る。

食堂に入ると、ティファが不意に微笑んだ。

「どこに行ってたの?」

ザックスは彼女に柔らかな微笑を返した。

「ああ、筋トレだ」










「歩きにくいね」

エアリスが足にまとわりつくシダに不満をこぼす。
なんであんなにクラウドたちは軽やかに歩けるんだろう。
三人とも同じスピードで。自分だけ遅くて。
しかもみんな何かに急かされているみたいに後ろを振り向かない。
おかげで島に降り立ったときより、ずっと三人の背中が向こうに在る。
それが仲間はずれにされたみたいで、エアリスは頬を膨らませた。

「オブってやろうか」

クラウドがさっきの一言でやっと後方にいる自分に気づいてくれた。

「ううん。それよりも、もっとゆっくり歩いて」

「みんな、セフィロスが気になっているんだ。無理ないさ」

そう言って、クラウドはエアリスを片手で軽々と担いだ。
エアリスは恥ずかしくてクラウドの肩の上で暴れるが、すぐに疲れて大人しくなった。

「あら、エアリスいいわねー。わたしもザックスにやってもらおうかしら」

ティファがおぶわれたエアリスを見てザックスを小突いた。
瞬間、ザックスの顔色が変わる。

「無茶いうなって。お前なんか担いだら肩が外れて・・・・うぐっ」

「失礼ね!」

ティファの全腕力が注ぎ込まれたパンチは見ているだけでも痛そうだった。
クラウドは深々とため息をつく。

「ティファ、どうでもいいが、肝心なときに動ける程度にしておけ」

「あら分かってるわよ!大丈夫、こんぐらいで死ぬような玉じゃないから」

ザックスが痛む腹を押さえて嘆く。

「ああ、そうですよ。いーーつもパンチングボールの代わりにされてましたからね。こんぐらいでは死にませんよーっと」

「なんか言った?」

ティファに睨まれて、ザックスは押し黙る。
これ以上殴られるのはごめんだ。

「なんでもないです!」

「よろしい」

そんな他愛も無い話をしながら歩き続けること数時間、エアリスは正直退屈し始めていた。

「まだつかないのー?」

「もうすぐだ。見え始めるさ」

ザックスにそう言われてエアリスはよくよく目を凝らした。
この島は星のざわめきがよく聞こえる気がする。
言葉には聞こえないけれど、都会に居たときよりずっと。

星は自分に何を伝えたいのか。
星を守ること、それは分かっている。
だけどそれだけでは何故か釈然としない。
なんと言うのか、胸に何かつっかえたかのような・・・・・・。

「エアリス、見えるだろう?」

ザックスに呼びかけられて、エアリスは俯いていた顔を上げた。

「え・・・なんで・・・・・」

ティファが驚き入った声を上げる。
遥か前方に垣間見える巨大なクレーター。
そこに埋もれるように、都市が一つ佇んでいた。

「“forgotten city”―忘れられた都―ってところかな。今日はあそこまで行けないさ。暗くなったら足を止めよう。あそこまで行くのは明日だな」

エアリスはザックスの言葉も耳に入らず、吸いつけられたように死んだ都を見続けた。
静かな、静かな・・・忘れられた都。

その中央にある、神殿のような建築物がひときわ目立つ。
その光景に、理解できないほど心が震えた。

「怖い・・・・・・」

「エアリス?」

クラウドが怪訝そうな表情を浮かべて自分を覗き込んできた。
エアリスは揺れる瞳でクラウドを捉える。

「怖い・・・私の心、怖がってる・・・」

「疲れているのか。別に寝ていてもいいぞ」

「ううん、大丈夫。・・・でも見ていたい、不思議・・・怖いのに、穏やかな気持ちにもなるの」

クラウドはわけが分からないとでも言うかのように、肩をすくめた。

エアリスの不思議な言動に自分が頭を悩ませても、しょうがない。また星の声とやらが聞こえてもいるのだろう。
しかしなぜだろう、自分も胸騒ぎがする。
セフィロスのことを考えすぎているのだろうか。

“ハイウィンド”で起きたこと。忘れようも無い。
自分に語りかけてきた声。いったい誰・・・?なんのために?

自分に向けた質問に答えは出ぬまま、日が暮れ始めた。







「ね、ちょっとあれ見てくるね」

エアリスは毛布から這い出し、番をしているクラウドに言った。
クラウドは当然いい顔をしない。

「あんた一人で行くのか?俺が番をしている意味が無い」

「でもね、気になるの。あれ、見たい」

意志の強い瞳に負けて、クラウドはもたれていた木から腰を上げた。

「俺も行く」

「いいの?せっかくの見張りさんなのに」

それでは意味がないとエアリスは小首をかしげる。
だがクラウドは呆れたようにまた肩をすくめた。

「あいつらに番がいるか?せいぜい保険程度だ」

エアリスはけらけら笑って見せた。
確かに、彼らなら獰猛な獣が出てきたところで、一発でねじ伏せてしまうに違いない。

だが―――

「それにここ、生き物いないもんね」

「なに?」

生命の波動を感じない。
死んでしまっている、なにもかも。

「虫も居ないって言うのか?」

「うん、どんなちっちゃな虫もいない。あるのは、植物だけ」

「微生物も居ないのになぜ土ができる?植物だって・・・。何かの間違いじゃないのか」

エアリスは悲しげに首を横に振った。
しん、と静まった空気。
ライフストリームが伝える命・・・何も感じないのだ。

「・・・星の意思がここを死の場所にしたんじゃない。誰か望んだの?深い絶望・・・怒り・・・ライフストリームに流れている。私たちは私たちであっ て・・・」

ゆっくりとエアリスがクラウドを振り返る。
翡翠の瞳はまるでガラスのようだ。
声は一オクターブ低い。
まるで自分が知らない人のようだ。

「・・・私たちではない」

「エアリス?」

「星が歌っている・・・」

クラウドは思わずエアリスの肩を強く揺さぶった。
このままだとエアリスがどこかに消えてしまいそうだった。

「―――クラウド、どうしたの?」

すぐにエアリスの瞳に光が戻った。
その声色は間違いなくエアリスのもので、思わずクラウドは安堵のため息をつく。

「いや、なんでもない・・あんたが変なことを言い出しただけだ・・・」

「変なこと・・・?」

エアリスは覚えていないのだろうか。それとも不思議なことを言った自覚が無いだけなのだろうか。だがそれを問い詰めるのはなぜだか怖くて、クラウドはそれ 以上聞くことはできなかった。

「変なこと・・・変な気持ち・・・わたし、あれ見たときから、ずっと変な気持ちなの」

エアリスは胸を押さえる。
心臓はとくとくと穏やかなリズムで鼓動する。

「誰かが歌ってる・・・優しい声。子守唄みたいな。あれに近づくほど、大きくなる」

クラウドはそっとエアリスの肩を抱き寄せた。
本当に、消えてしまいそうだった。

「ここからじゃ、木が邪魔でよく見えないね。もう少しだけ、行ってみていい?」

エアリスはするりとクラウドの腕をすり抜けた。
気づいたら、エアリスはずっと向こうにいて、クラウドはあわてて後を追いかける。

視界がやがて開けた。エアリスもまたそこにいた。
クラウドは遥か遠くを静かに見据えるエアリスの横にそっと立った。

「歌が聞こえる・・・」

エアリスが不可思議な言葉をまた紡ぎだす。
だけどそれはエアリスの声だった。

「静かな・・・命の無い・・・わたしたちは、ここにいる。生きている、だけど、死んでる・・・」

エアリスがようやくクラウドに向かって分かる言葉で話しかけてきた。

「不思議、だね。わたしたちは生きているのに、それでここにいるのに、この島は死んでるの。わたし達と言う“生”が確かにここにあるのに、この島はそれを 認めない。自分が死んだままでいることを望んでいるのかな・・・」

ここは、生を認めない。
自分たちが確かにここにいるのに、この島に命の流れを感じない。

「・・・死んでいる期間が長すぎたから、ぼけてるだけじゃないのか?」

なんとか絞りだしたクラウドの言葉に、エアリスはにっこりと笑って見せた。

「だったら、いいね」

「・・・寒いな、帰ろう」

冷えてきた。エアリスが風邪を引いてしまう。
なぜだろう、本島でさえ、もうすぐ海水浴だってできる季節なのに。
息が白い・・・

雪が・・・

「・・・雪が降っている!」

クラウドは呆然と空を見上げた。
漆黒の空から、雪がふわふわ降ってくる。

「嘘だろ・・・南の島で、雪が降るのか・・・?昼間は、暑かったのに」

エアリスがぴったりとクラウドに寄り添ってきた。
クラウドはエアリスに自分の黒いコートをかけてやった。

「やっぱり、死んじゃってるんだね。もっと、都が死んじゃう。埋もれちゃう。ねえ、見て」

クラウドは促されるままにエアリスの指さす方向を見た。
前方の巨大なクレーター。
クラウドは息を呑む。

「ブリザードだ」

クレーターの上空だけ、すさまじい猛吹雪に襲われていた。
白い風が巻き起こり、中の様子は何も見えない。

「白い大きな柱、あそこだけ立っているみたい」

「ああ・・・」

「死んじゃう・・・隠そうとでもしてるのかな・・・」

クラウドはエアリスを支えて寝場所に戻った。
雪が止んでいた。
一歩一歩足を踏み出すごとに、雪は収まってきていた。
気温もまた南国のそれのように上昇した。

「不思議、だね」

「都に近づくほど、気温が下がっているのか?だとしたら・・・明日はかなりきついな。それどころか、本当に凍るかもしれない」

こんなに離れた場所でもあれほど寒かったのだ。
都の辺りは凄まじい寒さだろう。
進めないかもしれない。
死んでしまう。

「だいじょぶ、だよ」

エアリスが静かに息を吐いて、毛布の中にもぐりこむ。

「この島、わたしたちの生を認めないけど、嫌っているわけじゃない。星は来て欲しかったから・・・きっと入れてくれるよ」

クラウドはエアリスが歩きながら引きずったコートの裾(エアリスには大きすぎた)をはたきながらそれを聞いていた。
気づくとエアリスはもう眠っていた。

クラウドは焚き火の傍に腰を下ろしながら、遥か彼方を見つめた。

ティファの体が、細かく震えていることには気づかなかった。








「ティファ!」

「体が冷たい・・・エアリス、何か温かいものを!」

朝、ティファの異常にいち早く気づいたのはザックスだった。

エアリスがやっと目を覚ましたとき、ティファはわずかに痙攣しながら細かく息をしているだけだった。ただ、それだけだった。

見開かれた瞳を恐々覗くと、瞳孔が針の先っぽほど小さくなっていた。
暗褐色のビー玉みたいな目だった。
体は昨日降った雪のように冷たく、死んでいるように見えた。

「ティ・・・ティファ、あったかいスープだよ。飲んで」

スプーンでスープを一サジすくい、ティファの口へと持っていく。
半開きになった口にスープを流し込むと、少しも飲み込まれずに、さらさらと口の端をこぼれた。

「ティファ、死んじゃうの?」

エアリスは真っ赤にはれた瞳でクラウドを見た。
だがクラウドも黙るしかない。

「ね、“ハイウィンド”に戻って、お医者様に診せに行こう?」

エアリスはなおもクラウドに言い縋った。

「この様子じゃ持たねーよ。先へ進むぞ」

「ザックス!」

ザックスの残酷にも聞こえる言葉に、エアリスはティファを抱きしめていやいやをした。

「し・・・、死んじゃうよ。ティファが死んじゃうよ!何でそんな酷いこと言うの?」

エアリスはザックスの視線からティファを隠しながら、必死の思いでケアルを詠唱した。
手のひらから生まれた暖かな緑色の光がティファに吸い込まれるも、まったく効果は無かった。エアリスはそれでも諦めたくなくて、クラウドを仰ぎ見る。

「クラウド・・・」

「・・・ザックスの言うとおりだ。この様子だと医者に見せる前に死ぬ。だったら前に進んだほうがいい。セフィロスのこともある」

「・・・ッ!」

ぱん、と乾いた音がした。
クラウドは歯を食いしばる。

「く、クラウドは!・・・わたしが・・・ティファみたいになったら、助からないからって・・・放っていくの!?」

平手で打ち据えられた頬から血が出てきた。爪があたっていた。

エアリスは涙をぼろぼろ流しながら喚きたてた。
それしか、ティファにしてあげられることが無くて、悲しいのと悔しいので涙が止まらなかった。

「だれも置いていくなんて言ってないさ。一か八かだけどな、薬が置いてあるかもしれない」

荷物を整えながら、ザックスは呟く。
エアリスはティファの頭を自分の上着の上に乗せて、ザックスに詰め寄った。

「薬、あるの?」

「だから、わかんないって。でも一応都だろ。あんなふうに氷漬けにされていたら、まだ使える薬もあるんじゃないのか?ティファはこの島に来ていきなりこん な風になったんだ。こんな閉鎖的な島なんだ。昔からある病気なのかもしれない。だったら薬だってあるかもしれないだろ」

「そ・・・だね。ごめん、騒いで・・・」

エアリスはしょんぼりとティファの横に腰掛けた。
やっぱり、自分なんかより、クラウドやザックスのほうがずっと良く事を考えている。
自分は早とちりして、クラウドもザックスも、目的のために仲間を切り捨てるひどい人なんだって、勝手に怒っていた。

「ごめんね、ティファ・・・。でも、きっと良くなるよ。がんばって」

そのとき、少しだけティファが頷いたように見えて、エアリスは身を乗り出した。
でもそれっきりまたティファは動かなくなってしまった。

ザックスが荷物を抱え、それから静かにティファを抱きかかえた。

エアリスが涙をごしごし拭っていると、自分の体もふわりと浮きあがる。
クラウドが昨日と同じように自分を腕の上に乗せてくれていた。
クラウドは一言も話さない。
自分が傷つけたクラウドの頬が目の前にあって、エアリスは途端に彼の腕の中にいづらくなった。
つい、逆上して平手打ちしてしまったときに、ついでに引っ掻いてしまった傷。

心の中でごめんと謝り、そっと傷口にケアルをあてると、クラウドがぽんぽんと自分の背中を叩いてくれた。

―――やっぱり、クラウドは優しいのだ。








ティファは一人、緑のうねりの中を彷徨っていた。

誰も居ない。ザックスもクラウドもエアリスも。
一人ぼっちだ。

うねりは空気のようだった。
だが決定的に違うのは、そのうねりが沢山の精神エネルギーを乗せていることだった。
なぜそれが精神エネルギーだと思うのか、それはティファにも分からない。

だが、時々、穏やかな水面に現れた波のように、強烈なエネルギーが体の中をかけていった。その衝撃があまりにも強く、精神的な世界で、“精神”を失いそう になる。
ティファは必死にうねりに逆らおうともがいた。

自分が今まで居た世界は遥か遥か天井に広がっていた。
それが、どんどんどんどん遠くなる。
自分の体は下へ下へと沈んでいく。
もがけどもそれは変わらず、ティファは次第に疲れて身を流されるままに任せた。

その時、ティファの目に、うねりの“底”が飛び込んできた。

そこは宝石のように美しかったうねりとは違い、黒くよどんでいた。
自分は今からあそこに行くのだと、ティファは心のどこかで確信した。

いや、それよりも、このうねりこそが自分の心なのだと理解した。

いつのまにか頭の中に、知識が流れ込んでいた。
人の心は、いつでも星のエネルギーとして流れているのだと。
ここは星のエネルギーの中の一部、自分の心・・・。

そしてあのよどんだ黒い靄は・・・

忘れたい記憶・・・・・・・・・。


ティファはそっと目をつぶってあの黒いよどみに吸い込まれていった。


蘇る記憶。

幼い自分・・・

血にまみれた父・・・・・

クラウド・・・・・・


不思議なことに、思い出すことさえ拒否していた記憶は、すんなりとティファの中に入ってきた。

まるで一つの思い出であるかのように、穏やかに、ゆっくりと。

それに驚いていると、さらに黒いよどみの向こうに、真っ白な光が見えた。
ティファは妙に晴れ晴れとした心で、その光が自分を受け入れるのを待っていた。

少し、怖い。

でも、少し、懐かしい。


目の前に白い光が迫る。
すると、その光の奥から、優しい子守唄が聞こえてきた。


・ ・・誰かが、歌っている――――――

「誰なの・・・?」

網膜を焦がすほどの光にティファは包まれる。


一面真っ白な世界で、ティファはゆっくりと立ち上がった。
高さも低さも、右も左も無い。

ティファはこの世界で始めて自分の足で歩き始めた。

またどこからか、歌声が聞こえてくる。

なんて綺麗な声。
優しい声。


ティファは歌声のするほうに向かって歩き出した。
すると、歌声がぷつりと途絶え、目の前に赤ん坊を抱く一人の女性が現れた。
眩しすぎて、年の頃も、赤ん坊の顔も、良く分からない。

ただ、母親の横顔が、とても幼く見えた。

だんだんと、視界がクリアになってくる。
白かった世界が、色を取り戻し始める。

そのとき、母親が相変わらずの優しい声で、赤ん坊に話しかけ始めた。

「ティーファー・・・。・・・いいこ、いいこ・・・」

「っあなたは!」

ティファは、そのとき初めて母親に会った。

黒いよどみの中の白い光は・・・・・・

優しくて、残酷だった。








「ここから、降りるぞ」

間近で見たクレーターは、畏怖の念を起こすほど大きかった。
直径9キロ。
深さ430メートルにも及ぶその穴は、巨人がスプーンで地面をくり採ったかのようだった。

その底には、雪に彩られた都が眠っている。

「水色、だね」

エアリスが消え入りそうなほどの声で呟く。
中央にある神殿を囲むようにして建設された都は、どれも特徴的な水色に、静かに輝いていた。

構造は上から見ても特徴的だった。
酷く直線的で、どれも似たような形の建物。遠くからでは分からないが、やはりこちらも何か大きな力によって、酷く痛んでいるように見えた。
十字に都をまたがる大通りは、都を四つに区分していた。
その大通りは全て中心にある神殿のような建築物に繋がっている。

その神殿は他の何ものにも増して大きく、勇壮に聳え立っていた。
ここに住んでいた民族の最高の聖地だったのだろう。


やはりクラウドに抱えられるようにして、エアリスはクレーターの最深部へと降り立った。
その後ろからザックスがティファの亡骸のような体をいたわりながら、切り立った斜面を滑り落ちてくる。

だがエアリスはそれを待たずに、駆け出した。

昨日、あれほど酷く見えたブリザードはいまや止み、しかし水分を含んだボタン雪が、どこか悲しげに輪舞を踊っている。

あたりはしんと鎮まり、鳥のさえずりも、風のそよぐ音も、何一つ聞こえない。
耳が、痛い。

自分の足音さえも、雪に吸収されて聞こえなかった。

エアリスは民家と思しき、こじんまりとした上へと伸びる、長方形の建物の不思議な壁に頭をもたげた。

やはりそこにも生命の鼓動を感じなかった。

―――死んでいる・・・。

相変わらずこの島は自分たちの“生”を認めていないようだった。

しかしながら、入り組んだ路地は、多少当時の人たちの生活を髣髴とさせるものがあった。
その時、どこからか子供のはしゃぐ音が聞こえ、続いてぱたぱたとした軽い足音が、静かな都市に半鐘のように響いた。

エアリスはあわてて振り返ったが、そこを見回しても誰もいなかった。

気のせい・・・か。


振り返ったそのままの足で、エアリスはクラウドの元へ帰った。

この島にいると、口数が少なくなる。
決してこの島が高尚な雰囲気に満ちているわけではないが、多言を口にするのはなぜだか背徳的なように感じる。それはきっとこの島が死の色に彩られているか らだろうと、エアリスは頭の片隅で思った。


「ティファ・・・」

エアリスは小さく呟いて、毛布に包まれたティファの手をとった。

ほんの少しのエアリスの希望を冷たくあざ笑うかのように、ティファの体は冷え切っていた。
閉じさせたはずの瞼がいつの間にかまた上がっていたのが、唯一の変化だろうか。

ティファは動かないはずなのに、なぜ瞼だけが上がったのだろうか。
理由は分からなかったが、ティファのガラス玉の瞳は、風景を網膜の隅々にまで焼き付けているかのように見えた。


開かれたままの瞼を、エアリスは再び閉じてやった。

瞼でさえぎられるその一瞬に見えた瞳が、少しだけ悲しみに翳っているように思えた。


「エアリス行くぞ」

クラウドに呼ばれて、エアリスは彼の顔を仰ぎ見た。
不安な心がかちあう。

「・・・一緒に、いてね」

「・・・ああ」

その時、エアリスが遠くに行ってしまうのではないかと危ぶんだクラウド同様、エアリスもまた、クラウドが自分を置いてどこかへ消えていってしまうような、 嫌な感覚を覚えた。

独りにしないで、孤独を味あわせないで、ずっと傍にいて。

そんな相手にすがる言葉がエアリスの脳裏にいくつも湧いては、儚げに消えていった。


この島の色に、自分も染められてしまったのだろうか。








今度はエアリスも自分の足で歩いた。
あれほどのブリザードにもかかわらず、地面は薄いシャーベットのようなさくさくとした雪の層に覆われているだけだった。

今までの悪路に比べたら、ずいぶんと歩きやすい道に思える。

空気は切れるほどに冷たく、毛布から表面に出た頬や瞼がちくちくと痛んだ。
その痛みに耐えながら歩くほどに、狭い路地の終わりに、開けた道が見えた。

「やっと大通りだな」

先頭を歩くザックスが、独り言のように漏らすのを頭の片隅で捉えながら、エアリスはまっすぐ続く大通りに足を踏み出した。

横幅も縦幅もエアリスが見たことが無いほど大きく、その道の先には死の臭いの立ち込める霧のカーテンに掠れながら、堂々とそびえる巨大な神殿が見えた。
神殿はビザンツ様式の建物のように鋭角にそびえていたが、所々崩れひしゃげているのが見て取れる。
だが、他の建物ともっとも異なっているのは、その神殿が夜の闇のように黒いことだった。
薄い水色か、はたまた鉄灰色が目立つ中にあって、おぞましいまでの深い闇色をたたえている。


―――怖い

エアリスは自分の体を構成する細胞が震え上がったのを感じた。
その震えが収まると、自分の血流をパタリと途絶えさせるほど底冷えする何かが体を支配した。



その時、言葉少なにただ黙々と足を進める一行の耳に、周囲の雰囲気にそぐわない、穏やかで羽毛のように優しい歌声が聞こえ始めた。

―――この歌!

それはエアリスが昨夜聞いた“誰かの歌声”にそっくりだった。
むしろ、同じものだった。

今度はザックスにもクラウドにも聞こえているようだった。
ザックスはその優しげな音をかみ締めるように目を瞑り、クラウドはその声の主を探して辺りを見回した。


だが彼の優れた聴覚と認知能力をもってしても、不思議な歌声がどこからやってくるのかわからない。

静かで、おっとりとした、慈愛に溢れる旋律。
それは母親がまだ生まれたばかりの子供に向かって口ずさむ、子守唄のように素朴でありながら、どこか荘厳ささえ感じさせる物だった。


歌は収まらない。

新しい生命の象徴でもあるかのような母親。

死の都に、優しい母の音(ね)。








「綺麗な、歌声だな・・・」

ザックスが感嘆の吐息を漏らした。
その一方で、クラウドは心に何かしらわだかまるものを感じた。

なぜだろう。こんなに優しい歌声を聴いていて、なぜ妙な胸騒ぎを覚えるのか・・・?

胸につっかえるものを振り払おうとして、クラウドは固く瞼を瞑った。
だが逆に、瞼の裏側で、白い光が弾け、クラウドは慌てて目を開ける。


なんだ・・・


船の中でエアリスを刺し殺そうとしたり、妙な胸騒ぎを覚えたりと、自分に起こる不思議な現象に、クラウドの神経は少なからず参っていた。


気を散在していると、何か違うものに飲み込まれそうで、クラウドは意識して辺りをきょろきょろと見渡していた。

めぼしいものは何も無い。
死んでしまった都市。
優しい歌声。

ただそれだけがこの世の全てで、視界を覆う霧を抜けたら、何も無いのではないかという気がしてきた。

羽織ったコートに雪が積もる。
息が白い。
冷えた指先の感覚が乏しくなってくる。

自分でも少々苦痛に感じる外気にエアリスはやられていないだろうか。

自分の中の何か変なものに気を取られていたクラウドは、前にいたエアリスがいつの間にかいなくなっていることに気づかなかった。


「・・・っ」

驚いて後ろを振り向いて、クラウドは安堵する。
よかった、ちゃんといた。


クラウドはほっとして軽く瞼を下ろして、深呼吸した。
だがそっと瞼を開けると、視界から先頭を歩くティファを担いだザックスが消えていた。

「――――!」

それだけではなく、水色と鉄灰色だった風景が、柔らかな天然色に満ち、すれ違う人々、生活臭さを感じさせる喧騒。生き生きとした活気に満ちた香りが、嵐の ように次々と自分に迫った。

「!!!」

それらが自分の五感をリアルに刺激したかと思うと、可愛らしく咲いていた花も、客を呼び込む店主の声も、小鳥のさえずりも、全てがとぐろを巻いて消えて いった。



クラウドは唖然とした。
何か言おうと思ったが、唇は冷たく、のどは渇き、声帯はちっとも振るわない。


そうこうしている間に、すっかり冷たくなった指先にほっそりとしたものが触れたのを僅かに感じた。

急速に現実に引き戻され、クラウドは少なからず狼狽する。
左手側を振り返ってみると、エアリスが心配そうに自分を見上げていた。

「大丈夫?・・・何かへんなものでも見た?」

クラウドはどきりとした。

エアリスには分かっているのか?
いやまさか・・・。


「なんでも無いんだ・・・・・」

クラウドは伏せ目がちに歩を進めた。










暫くして、一行は一休みするために適当な民家に入った。

ザックスは近くにあったベッドのようなものにティファを横たえた。
クラウドは棚を探りながら、何か薬のようなものはないか探す。

その間に、エアリスは冷え切った手足を揉みながら、辺りの様子を見回していた。
ここは音が反響しない。
動ける人間が三人もいるのに、静かに轟く空気が音も、心も、言葉も吸い取っていくようだった。

だがあることに気づいて、エアリスは揉み解したばかりの足で、煤けた壁の窪みに近づいた。

窪みにはコルクのようで、しかし一回り大きい木製物が、僅かな隙間を置いて、縦に二つ並んでいた。

エアリスはおもむろに手を伸ばして、上部のそれを横に回した。
すると、かちりと音がして、驚いたことに部屋の明かりが灯った。


部屋の向こうから、クラウドが少しだけ驚きの声上げたのが聞こえた。
やがて、クラウドが不思議そうな顔をしてやってきた。

「エアリス、これは一体・・・」

古代文明が栄えた島に、伝記が届いているわけが無い。
ましてや、ミッドガルの発電所がセフィロスの手によって崩壊し、その周囲を死の世界へと変えた今になっては。
だが彼の頭上で、白熱灯にも似たデザインの一物から、ミッドガルで電気をつけたときほど明るい光が溢れていた。
なぜだろう。

「星の・・・エネルギーを、くみ出して・・・それで電気をつけてるみたい。見えるの。エネルギーが、地面を這って、それが壁をつたってこの家の全体に行き 届いている」

エアリスはそう言いながら、ソファーに座り、足を胸元まで寄せた。

仕組みとしては、電気のようなものなのだろう。
星のエネルギーを何かに変換して、動力源にしているのだろうか。
それはクラウドには分からなかったが、今や部屋は急速に暖まりつつあった。


「ねえ、薬、見つかった?」

エアリスは膝の間に埋めた顔をひょいと上げて、クラウドに尋ねた。
しかし、彼女の望みとは裏腹に、クラウドは首を横に振る。

「何かしらごちゃごちゃとはあるんだが、どれがどれだか・・・。当然だが、古代文字で全く読めない」

そう言って、クラウドは懐から瓶を取り出して、エアリスに渡した。

「それは、毒じゃないし、まだ飲めそうだ・・・なんて書いてあるかわかるか?」

エアリスはラベルの文字をゆっくりなぞって、自分にも分かる文字が無いかどうか探した。

残念ながら、その飲み物が何なのかは分からなかったが、少しだけイメージを捉えることができた。

「わかんないけど・・・五文字かな。最初の文字に“゜”か“‶”がついて、次が“ー”で、四文字目が小さい音・・・ゃゅょ・・・のどれか。最後は・・・ あ、わかる!“ん”だよ!」

昔、父と母に少しだけ文字を習ったことがある。
でも、十数年のときを経た今、特徴的な文字や記号しか思い出せない。

クラウドが大丈夫といったので、エアリスも少しだけ舐めてみた。
なんだかとても濃い味がして、全く持ってエアリスの好みではないが、確かに飲料として造られたものを思わせる味だった。

「でも、得体の知れないもの、ティファに飲ませられないしね・・・と言うか、何も飲んでくれないもんね」

ティファの口に何か注ぎ込もうとすると、呼吸の妨げにすらなりそうな感じだった。


暫くして、ザックスが居間に戻ってきた。
エアリスがティファの様態を尋ねたが、特に変わった様子も無く、やはり薬と思しきものはないようだった。

肩を落とすエアリスに、ザックスが安心させるかのように微笑んだが、何もかもが気休めに過ぎなかった。

「この歌、まだ流れてるのな」

確かにそうだった。
歌は一行には聞き取れない言語で、何か一定のフレーズを何コーラスも続けていた。

エアリスは、その声を聞きながら、そっと目を閉じた。
その歌声は、果てしなく優しく聞こえた。

それは少女の声のようにほっそりとしていて、しかし母としての喜びと誇りが穏やかさの中に満ちていた。

絶え間なく流れる歌声を聴いていると、曇った気持ちが少しずつ晴れる気がする。

「・・・この歌、謳っている人・・・もしかしたら星かもしれないけど・・・」

エアリスが神秘的な声音で語りだしたので、クラウドとザックスの視線が集中する。
彼らが見守る中で、エアリスは神聖ささえ感じさせる美しい声で、そっと言葉をつむぐ。

「幸せそう・・・。何か大事なものがあって・・・それだけあれば幸せで・・・もうそれ以外何もいらないぐらい・・・」

「それって本当に幸せなのか?」

静かな帳を破るかのように、野疎な言葉が発せられ、エアリスは恍惚とした気分から醒める。
振り返れば、クラウドが彼女を一心に見つめていた。
真摯な瞳にあてられて、エアリスは背筋を正す。

「え・・・?」

「その・・・うまくは言えないんだが・・・。でも、何か大切なものがあって、それがそいつの全てなら、失ったときどうすればいいんだ?裏切られたり、守れ なかったりしたら・・・?」

自分がエアリスを失ったらどう思う?
それだけしか生きがいが無いのは、幸せなのではなく哀れなのではないか・・・。
ただそれだけに執着して、それさえあればいい程思い入れて。それしかない奴は脆いのではないだろうか。

そんな脆い自分と脆い幸せに縋るのは、決して幸せのかくあるべき姿のように思えない。

「どうしたんだ、クラウド。お前らしくないな」

「いや・・・エアリスの言うことを聞いていたら、そんな気分になっただけだ。すまない、変なことを言ったな、忘れてくれ」

クラウドは二人から逃れるように、ザックスの横を抜けて向かいのソファーのようなものに腰を下ろした。

エアリスはそんな彼の足跡をじっと見つめていたが、やがて自分を勇気付けるように、手に持った瓶の中身を一気に飲み干した。

「・・・っ・・・体力、100回復ってところかしら?」











「ママ・・・ずっと傍にいてね・・・」

とても暖かい世界で、ティファはいまや一人ではなかった。
“ママ”が自分の頭を膝に乗せそれで優しく撫でてくれている。

“ママ”は彼女が抱いた母親のイメージと寸分違うことなく、陽だまりのように暖かく、大海原のように広い存在だった。

「ママの声、とっても綺麗・・・ママの香り、とってもいい匂い・・・」

暖かい白い光を受けながら、“ママ”は聖母のような微笑をその顔に浮かべ、ティファのこめかみにかかった髪を優しく手繰り分けて、そこにキスをしてくれ た。

『ティーファー・・・いいこ・・・、いいこね』

ティファは甘えた仕草で“ママ”のお腹に腕を回して、頬を摺り寄せた。

こんな穏やかな気持ちになったことなんて無かった。
ぬるま湯につかったように心地よく、“ママ”の腕は、ほっそりとしていて、しかし自分を全ての危害から守ってくれる力強いものだった。

私は、“ママ”がいる限り、何も心配することは無い。
“ママ”が私を守ってくれる。
“ママ”は私のためならなんでもしてくれる。


ティファは幸福だった。
自分はこの温もりを今、享受するために生まれてきたのだ。
この優しい腕に抱かれ、穢れない世界で“ママ”と一緒に暮らすために生きてきたのだ。

辛く、不条理で、これっぽっちの希望も無い世界にいたのは、“ママ”と暮らすためのハードルに過ぎなかったのだ。

“ママ”がいてくれれば、他には何もいらない。
“ママ”と私が全て。


『ティファ、おねむなの・・・?いっぱいおっぱい飲んだもんね・・・、おやすみ・・・』

“ママ”は更に優しい声で子守唄を歌いだした。
心地よさが倍増し、今にも眠りそうになる。

しかし、ティファはもっと“ママ”と一緒の時間を過ごしたかった。
別たれていた分、悠久の時間をともに過ごしたかった。
眠ったら“ママ”がどこかに行ってしまいそうで、それだけがただただ怖かった。

「ママ、どこにもいかないで」

ティファは抱きつく腕に更に力をこめた。
“ママ”の優しい香りで肺を満たし、網膜に“ママ”の姿を焼きつけ、体内の細胞の一片一片に“ママ”の存在を染みつけさせた。

“ママ”がどこかに行ってしまったら、どうやって探せばいい?
大事な大事な“ママ”の記憶をいつまでも留めて、この身に刻みつけておけば、きっと見つけ出せる。

“ママ”が自分の頭をそっと捉えて、頬ずりしてくれた。

“ママ”の愛情にティファは心の底から喜んだ。
自分は“ママ”を愛し、“ママ”も自分を愛してくれている。
これ以上の幸せがあるだろうか。
暖かくて平穏な生活以外、何も望むものは無いではないか。

今、彼女の望みは全てかなったかのようだった。
極上の優しさ。
永遠に続く喜び。
虚偽に満ちた世界でそれだけが真実だった。

「わたし・・・ママ以外何も要らないよ・・・」











「エアリス、もう少しだ・・・歩けるか?」

クラウドが自分を気遣ってくれたので、エアリスは内心嬉しく感じたが、あまりにも疲れ果ててその思いを口にすることはできなかった。

その様子を見かねて、クラウドが自分のところまで戻ってきてくれた。
両脇の下に腕を通して、ぐいと持ち上げられる。

そのまま負ぶわれた。

「ごめ・・・なさ・・い」

口を開くことも苦痛で、エアリスは息も絶え絶えにクラウドに感謝を伝えた。
弱弱しく彼の首に腕を回して掴まるが、冷え切った腕は枯れ枝のようにまるで力が入らなかった。


一行は神殿へとまっすぐ繋がる大通りを闊歩していた。
ところがどうだろう、初めは踊るかのように静かに舞っていた雪が、彼らの侵入を激しく拒絶するかのように、猛然と吹雪き始めた。

風はあてつらえたように、進行方向側からまっすぐ吹いてきており、前を向いて歩くのも、できなかった。
エアリスはクラウドに守られるように、彼の背中にぴったりとくっついて歩いていたが、服の隙間から入り込んでくる風や雪に体力を奪われ、歩くことも儘なら なくなっていた。


季節はそろそろ初夏。
しかも南に位置するこの島。

当然彼らは薄着で、毛布を体に巻き、少しでも暖の取れるものを服の中にいれ、体温が沈降するのを防ごうとしていたが、気休め程度だった。

このクレーターの直径は約10キロ程。
ならば、この死の都市を横切る十字の大通りは、神殿までおよそ5キロほどだけ続くはず。

ザックスとクラウドなら、このブリザードが吹き付ける中でも、5キロほどなら何とか目的地にたどり着けただろう。

だが今ザックスは、生きている以上、死骸よりも厄介なティファを抱え、クラウドはエアリスのペースにあわせて歩かなくてはいけなかった。


クラウドは内心で舌打ちをした。
この島は―――エアリスの言葉を借りるなら、いよいよ自分たちの存在をまるごと根絶やしにしようとでも言うのだろうか。

なぜ入れてくれない。
なぜ、邪魔しようとする。

体の中にふつふつと怒りが湧き、どうしようもなくなってきた。
猛風が、雪を煙のように巻き起こし、数歩先をいくザックスの背中もろくに見えない。


「ほんとに・・・ごめんなさい」

エアリスは申し訳なかった。
足手まといの何者でもない自分の非力さが恨めしかった。

しかも、こんな・・・命に関わりそうなときに・・・なんで自分は・・・。

「そうでもない、背中に風が当たらなくて暖かい」

クラウドの不器用な優しさが冷たい体にもじんわりと広がった。

エアリスは、ほとんど雪の煙に阻まれて見えないザックスの背中を目で追った。
時たまティファの長い黒髪が、風に煽られているのが見えた。

―――ティファ・・・。

あんなに体が冷たかったのに、こんな吹雪の中で・・・!

いよいよ、ティファが死んでしまうかもしれないと言う可能性が、現実味を伴ってエアリスを襲い始めた。

怖い、そんなの。

ティファがいなくなるなんて。

私は星の守護者としての役割を担って生まれてきたのに、なぜその星に住む彼女の命一つ救えない!?
こんなに寒い中で、ティファは死のうとしている。
ザックスは懸命に彼女の体が冷えるのを防ごうとしているのだろう。

なのに、自分はクラウドに背負ってもらって、何もできないでいる。
エアリスははじめて自分が憎いと思った。

こんな自分が、セフィロス―――いや、ジェノバにあったところで、一体何ができるというのだ。

夢の中で、誰かも分からぬ老人が語った言葉を全うするために今ここにいるというのに。

仲間を救えないまま!


「いやよ・・・だめよ・・・そんな・・・」

「エアリス?」

エアリスはクラウドの背中の上で涙を流し、震えていた。
尋常ではない様子に、クラウドの背中は粟立つ。

「わたし・・・は・・・」

お父さん、お母さん、教えてください。
どうしたら救えますか。

流した涙がエアリスの頬の上でわずかに凍り始める。

星よ、わたしはここに来ました。
どうか、どうか私たちを受け入れてください。

エアリスは思った。
自分たちを拒むのは、星“だけ”でもなく、この島“だけ”でもなく、何かが―――意識体であれ非意識体であれ、全てを憎んで全てを拒んだ結果の・・・その 複合体なのだと。


わたしは、わたしは・・・このまま彼女を見捨てることなんてできない!

「わたし・・・はーーーーーッ!!」

エアリスは叫んだ。

風が彼らの存在を吹き飛ばそうとでも言うかのように、大きく轟いたその時―――


風が何かとぶつかる強烈な轟音と共に、彼らの周りを半球状の何かが覆った。
よく見ると、叩きつけるように吹雪く雪が、その半球状に展開した何かに当たっては勢いよく跳ね返っていた。

風も音はすれども、自分たちの周囲にはそよ風さえ起こっていなかった。


ザックスは自分の手に違和感を感じて、あわててグローブをはずして見てみた。
が、凍傷すんぜんだった手には何も無く、それどころか収縮した血管が一気にほぐれて、温かみを取り戻そうとしていた。


「これは・・・」

クラウドの呟きに、エアリスは切羽詰った声で懇願した。

「クラウド・・・早く!あんまり、持たないから・・・!もっと神殿に近づいたら、もっと私たちを排除してくるはず・・・だから」

「あんたの力を使って?・・・すまない、行くぞザックス、走れっ!!」


マバリアと同時にリジェネの展開。
どちらも、守護者の仲介をせずに、星にじかに干渉するため、大幅に体力を消耗する術である。

エアリスは実のところ、ケアルとポイゾナしか使ったことは無く、さらに使えもしなかった。

エアリスは一秒でも長く展開できるように精神を集中した。

どうやって自分がこれらの技を複合させて使ったかなど、わかる由もなかった。
どちらか片方でさえ、発動までの導き方を知らなかったのだから。

ほかの事を少しでも考えたら、術が解除されそうだった。

クラウドとザックスが矢のごとく駆けていく最中に、エアリスの体力はどんどん削ぎ落とされていった。


―――お願い、どうかもって!!













続く