Cold heart−ed]W 許しの光

Cold heart−ed]W

許しの光







心の奥底にうずもれた記憶は一体いくつある・・・・・・?

今朝の夢、昨日の夢、一昨日の夢、

ねじまがった記憶は一体いくつある・・・・・・?


いったいぜんたい、どれだけのほつれを繕い、歪みを正せば真の記憶に行き着くのだろうか。


封印された過去。それは記憶・・・?

本当に正しいのか、誰にも分からない。


だが誰一人として、己の記憶を疑いはしない。










夢を見た。


ほんの少し、うたた寝をしている間に。


クラウドは確かに夢を見ていた。

体がふわふわして覚束無い。それどころか、視界全体に薄いミルクのもやがかかったようで、不快でしょうがない。

目の前には穏やかでたおやかな森の木々が広がり、上から差す太陽の光がミルクのもやをオレンジに染めた。

木々は彼の両側にぼうぼうと生えていたが、それでも道を作るかのようにどこか整頓されている。


道を作るために誰かが木を切った道筋なのだろうと、クラウドはおぼろげに思った。



クラウドは、目の前に伸びる道をぽつぽつと歩き出した。

道には砂利が敷いてあって踏み歩くたびにじゃりじゃりと耳障りな音がした。


暫く歩くと、道が二手に分かれていた。
どうすればいいものかと思考を巡らせていたとき、どこか聞きなれた声が彼の耳に届く。


誰の声だったかと、考えながらクラウドはその声がした方向に身体を向けた。
声は道の左側からでも、右側からでもなく、道のはずれから聞こえる。

その声が妙に気になって、クラウドは道なき道に向かって足を踏み出した。


“しだ”の葉や背の低い植物の鋭い葉が彼の腕に切り傷をつける。

クラウドは舌打ちをした。


・・・・・ここは、いつも傷が付くからあいつが嫌がってたな。

そんな風に思って、“あいつ”が誰だったか、はっきりと思い出せない自分に気づく。


えっと、誰だったか。

よく泣いて、よく転んで、よく自分のあとをつけてきて……。


誰だったものか……。



そのとき、また聞き覚えのある声がした。

「クラウド!」


確かに自分を呼んでいる。

何処だ……。


「はーやーくー!」


せかすな。

今行く。


クラウドは小走りなって辺りを見回した。

だが、それらしき姿は見えない。


「どこにいるんだ?」

問いかけても返事が来ない。


「いるんだったら返事しろ」

もう一度、姿の見えない人物に向かって問いかけてみる。


「こっちだよ」

返事があった。

遊んでいる・・?



だが……


「……!助けてッ!」

「!」



クラウドは思わず、駆け出した。

その人が何処にいるかも分からなかったが、思いの向くままに足を滑らせる。

彼の思考を超えたところで、自身の足は次第に回転の速度を増していく。
彼の視界の隅に、突風のように木々が後ろへ流れていくのが見えた。
耳に風がぴゅうぴゅうとうるさい。


だが構わず、彼は林を駆け抜けた。


大きく広い砂利道に出たが、やはりその声の人物は現れず、見えもしない。


しかし、何か獣の尾のようなものが、擦って行った跡が砂利道に薄っすらと残っていた。

よくよく見てみると、とても軽い―――子供だろう―――ものが砂を蹴飛ばしながら走っていった跡も残っている。

逃げた跡である。


考えるより先にクラウドはその後の進む方向に向かって走り出した。


―――大丈夫だろうか。“あいつ”は足が遅いから、もう・・・・


自分の中に沸き起こってきた不吉な考えに、彼はそんなはずはないと自ら返す。


だが、そのとき再び声がした。



「いやーーーーーーーーーっ!!」


―――近い、いや、すぐそこだ!


だが、その姿を確認するには目の前を覆った木々が邪魔だった。
彼は反射的に声のした方へ腕を突き出した。

彼の腕が一瞬だけ黒く染まったかと思うと、次の瞬間前方を阻害する深緑の葉たちが、一瞬で蒸発する。
瞬きをしない間に、今度は数本の丸裸にされた幹たちが木っ端微塵に砕け散り、黒い霞になったかと思うと、空気に混じって消え去った。


開けた視界の向こうに少女がうずくまっていた。
頭を両手で覆いながら縮こまる少女の前方には、奇妙な生物が立っていた。


体全体がむき出しの筋肉の繊維のようなもので覆われていた。
高さが二メートルほどあり、長い手と短い足、目と鼻と、口と鋭く突き出た顎を持っている。

どこか人間に似ている印象を受けるが、それはもはやたんなる“できそこない”だった。

立ってはいるが、もはやそれだけでも苦しそうだった。

それが今、両手をだらりと地面につけたまま、少女に近づいていく。


見ているだけでも吐き気がするグロテスクな外見。
クラウドは咄嗟に危ないと思った。


再び突き出る彼の腕。しかし今度はそれは天に向かって差しのべられていた。


彼がその行動に疑問を覚え始めるよりも先に、それは起こった。

奇妙に視界がぐにゃりと歪み、周囲の色彩が鮮明さを失う。

その生物の周囲を、触れたら切れそうなほどの強烈な光の筋が、取り囲んでいく。

やがてそれが奇妙な模様を描いたかと思うと、その模様が激しく光りだした。余りにも眩しすぎて、その生物の腰から下が白くなって見えず、少女はただの影と してしか見られなかった。

そして、すぐにその“できそこない”のはるか頭上の空間が歪んで、青い光の粒が漏れ出した。


その光の粒はやおらゆっくりと―――まるで雪のようにふわふわと舞い落ちていく。


そしてそれが足元で閃光を出す光に触れるか触れないかしたとき―――――――



ずん、と激しい衝撃波が彼を襲った。
周囲を蒼い閃光が爆風となって駆け巡り、手当たりしだいにありとあらゆるものをなぎ倒し、あるものは砕いて進んでいく。

今まで聴いたことがない風の轟音が耳を麻痺させ、方向感覚を完全に奪う。

クラウドは風に吹き飛ばされないよう足を踏ん張って、“できそこない”を見やった。

もはや蒼い閃光は白い柱となって“できそこない”を覆い、その姿を見ることはできない。


白い柱を中心とした蒼の風は、周りのものを押し出すかのように吹き荒れる。



やがてそれは、あらゆるものを巻き込んで、森を抜け、少しずつ勢いをなくし……やがて静かな風となって消えた。



クラウドはうずくまる少女に駆け寄った。

肩を掴んで揺さぶってみると、少女は恐る恐る顔を上げる。その顔がぱっと華やいだ。


「クラウド!」


少女はクラウドの腰の辺りにぎゅっと抱きついた。


年の頃は12、13だろうか。背が小さくて不思議な異国風の格好をしている。

だが、その顔がよく見えない。こちらをうれしそうに見上げているが、幾らよく見ようとしても識別できなかった。


「恐かった……。最近また増えてるの。おじいちゃまが一人でお外に行ってはいけないって言ったんだけど、わたし大丈夫だって思ったの……だか ら・・・・・・」


“言わないでね”と少女は言った。
そしてクラウドの手をぎゅっと握って、悲しそうに俯く。


「おじいちゃまも、お父さまも、お母さまもね、クラウドに“   ”って言うの。わたし、そんなのぜったいいや!お外に出られなくてもいいから、絶対い や!」

少女は今にも泣きそうだった。
顔が歪んでいるのが分かる。そしてクラウドを暫く見上げていたかと思うと、堪えきれなくなって、再び彼に抱きついた。


「クラウドほうが、おじいちゃまよりもお父さまよりも――――――もん!さっきだって、“     ”倒してくれたもん!」


なんだ、ノイズが・・・・・・・。
よく聞こえない。


段々と、ノイズが大きくなっていく。
少女の話す言葉が聞き取れなくなっていく。

なんだ、もっと大きく……。



「――――――は、クラウドとずっといたいモン」




だれだって……?



聞こえないんだ……




・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。




意識が、遠のく。



ああ、そういえば、なんで俺の名前を知ってるんだ・・・・・・?













クラウドはゆっくりと瞼を開けた。
そこには変わらない船室の無機質な壁があって、少なからず彼を失望させる。

朝起きたらそれはすべて夢で、いつものとおりスラムで仕事に行く自分を期待しては、何度となく裏切られた。


仕事上、昼間まで眠っている生活だったために、例え早く寝ようと目が覚めるのは、昼も過ぎてからだった。


一日はぼんやりとして無意味に過ぎていく。
誰とも口を聞いていないし、そもそも誰もここに来はしない。

一日に数度、ザックスが食事の乗ったトレーを持ってきては、去ってゆくぐらいだ。食べ終えた頃になって再び戻ってきては、何か話すが、クラウドには口を開 く余裕はなかった。
諦めたようにザックスは空になったトレーを持って戻っていく。



クラウドはただ、ぼぅっと外を眺めているばかりだった。

ただなんとなく、今日は晴れているなとか、雲の色が昨日より濃いなとか、どうでもいいことばかり考えていた。


時間は静かに過ぎていき、まるで自分がどこからも切り離されて、一人だけで生きているような錯覚を覚えさせる。



ザックスが鍵は閉めることはなかった。
好きなときに出て好きなときに寝ろと言う。

食堂で飯が食いたかったらそうすればいいし、だれも止めはしない・・・・・・と。

でも、ティファには俺がいいと言うまで、会うなと言った。



クラウドは白昼夢にふけるようになっていた。

自分がなんてこともない一般人で、普通にサラリーマンになっているだとか、顔のよさを活かしてモデルになってみるだとか、スポーツ選手になって有名になっ ているだとか、そんな他愛の無いことばかり空想しては、自分のおめでたい頭に溜息を付いた。



ティファのことを考えると、胸が重くなった。

そして、今までの冷徹な自分はどこに行ったんだと、自嘲する。


どうも、だんだん頭がいかれてきた。

甘ちゃんになっているぞ、クラウド。なんて自分に言ってみたり、そんな少し前なら死んでもしなかった事をやっている。



いろいろなことを考えてみた。
自分の半生とか、一体何人殺したのかと、手の指を折り足の指折りして馬鹿者みたいに数えてみたり(途中で指が足りなくなった)・・・。

考えるだけの時間なら幾らでもあった。

ティファのことは最初から思い出してみた。

小さかったとか、自分の後をよちよち追いかけてきたとか、それから考えてみると随分と大きくなったなとか、まるで自分が父親みたいな気持ちになって考えて みたりもした。

誰が彼女の父親を殺したとか、自分で尋ねてみて、俺だなんて声に出してみた。


ああ、頭がおかしくなってきた。




ザックスがやってきて、ティファはもう大丈夫だぞ、と言った。
会いに行くか、と聞かれて行かないと返す。ああ、そうかとザックスはそれだけ言って帰っていた。




仕事だった。

いつもと変わらないシゴト。

何も考えず、依頼のままに会場に行った。

もうほとんど思い出せないが、パーティー会場だったと思う。
人がいっぱいいた気がする。

仕事内容も思い出せない。とりあえず、あのステージの中央にいるのが的(まと)だなと、と思ったんだと思う。

人がいっぱいいるから、邪魔だなと思ったり、全部消さなければいけないのかと、面倒に思ったかもしれない。


放った弾丸が標的に命中した瞬間とか、そのとき聞こえたはずの悲鳴とか覚えていない。


ナイフは何本使ったかなと、頭の中でシュミレーションして計算してみた。



多分沢山持っていったんだろう。




エーと、次は・・・・・・・・



8,9歳ぐらいの女の子が出てきた。
黒髪に暗褐色の瞳。

小さい小さいティファ。


自分と同じ子供だからあんまり気にしなかった。

泣いていたか。震えていたか。あるいはそのどちらもだったか。
血が付いていたか。あれはよく覚えている。でもティファの血じゃない。
父親の血か、はたまた・・・・・・・・。



やめよう、気分が重くなってきた。






・・・・・・暇をもてあましてどうでもいい無意味なことをたくさん考えてみたりしたが、何か大事なことを忘れているようで胸の奥がもやもやする。

気分の悪さに思わずクラウドは胸をかきむしった。



「この期に及んでなんか、考え残したことがあるか・・・・・・?」












エアリスは気だるい気分で廊下を歩いていた。

怪我の治療のためだとティファに言われて、必要なとき以外、外に出ることもできず、毎日毎日ベッドの上で寝て過ごした。

時間の感覚が無くなるって、こういうことなんだと思う。
だんだんと、寝ているのか起きているのか、どうでも良くなってくるし、朝だと思って起きたら真夜中だったりする。
気持ちは当然塞ぎこんでくるし、食欲もなくなった。


何日過ぎているのか、ティファに尋ねてみた。
まるまる一週間経ったと彼女は言う。

彼女が言うところによれば、ザックスは船の速度を極遅くしているのだそうだ。

それどころか、進まない日もあるらしい。


   不思議だと思う。ほんの少しまで早く神殿に、セフィロスに合いたい気持ちでいっぱいだったはずなのに、ちょっとした出来事でもうその気持ちが萎え始 めている。

人間って弱い。



そんな風にティファにこぼしたら、ティファは少し笑ってエアリスが回復するまで、少し休憩しているだけだと言った。






“ハイウィンド”のキッチンには美味しそうなにおいが充満していた。
よたよたと覚束無い足取りでエアリスは引き寄せられるように、食堂に入る。

食堂に人の姿は見受けられなかった。
ただ、夕食用の鍋が火にかけられ―――オートコンロである―――ニンジンやタマネギやジャガイモが無骨に煮られていた。


エアリスは調理パネルの操作に戸惑いながら、オートコンロをOFFにした。
そしてすぐに火をかけなおし、鍋の中の野菜をゆっくりとかき回し始める。オートは幾ら便利とはいえ不味い。


野菜は随分とおおぶりに切られていた。ニンジンの厚さは人差し指の第二間接ほどあるし、ジャガイモにいたっては真ん中で二つに割られているだけだった。

それを火の通りやすさを考慮せず、一度に鍋に入れてオートコンロに任せ、調理者はどこかへ行ってしまったらしい。

誰が夕食の準備をしているかは一目瞭然だった。


エアリスは大きく溜息を付いた。
そしてゆっくりと鍋の中身をかき回しながら、・・・・・・残った手を自分の肩口に持っていった。


もう傷口は痛むことはなかった。
すぐにティファが応急処置をとってくれたことと、彼女自身の持つ治癒能力が、僅かな時間の間に傷を目立たなくさせるほどにしていた。

ただ、たまに思いもよらぬ痛みが肩口を走るのは、気持ちの問題だろうか。

寝ている間に酷く痛むこともあれば、まだ血が流れているかのようなリアルな感覚を味わうこともある。

誰かに傷口をぎゅ、と掴まれているかのように感じるのだ。
痛くて痛くてしょうがない。


ティファが、一種の後遺症のようなものだと・・・・・受けたショックのせいで痛むように感じるのだと教えてくれた。


だからクラウドに会わないほうがいいと言う。


でもエアリスはクラウドに会いたくてしょうがなかった。
たとえ彼が自分を殺そうとした『異常な』男であったとしても。


あのときのクラウドは彼に似合わず、うなされる様な熱を瞳にはらんでいた。

その抉るような瞳がこちらを捉えたその時でさえ、エアリスはクラウドを恐いとは思わなかった。

ただ彼に何があったのだろうかと・・・・・・近づいて間近で声をかけたいと、そう思った。

だが踏み出した一歩よりも、彼が自分との間合いを詰めるほうが格段に早かった。


火照ったような、そんな雰囲気さえ感じさせる彼の顔が、気付くと間近にあった。

声をかけようと口を開いた瞬間だった。
意識を根こそぎ奪うような鋭い痛みが身体を突き抜けていったのは。

体のどこの部位に何の異変が起こったか、もはや特定するのは不可能だった。痛みはまるで鞭のように全身を打ち叩く。体全体に心臓がちりばめられたかのよう に、どくんどくんと波打った。

・ ・・痛い、そう思ったときには喉から悲鳴が迸り、縦横無尽にかけいった。

立つことは適わず、寄りかかるものも無く、支えてくれるはずの腕もそこには無く、無様にくず折れた。


暫くは意識があって、体が痙攣しているのが分かった。
だが次第に頭が真っ白になり、瞼が妙に重くなり・・・・・・気付いたらティファの船室のベッドの上だった。



何があったのか知りたい、いやそれよりも、クラウドに会いたい。

クラウドに早く会って、もう大丈夫な顔を見せて、またいつものとおりに・・・・・・。



なんでもないと・・・・・。




・・・・そんなことを考えていたら、野菜は程よいぐらいに煮えていた。

味付けをし、薄口のスープを作る。それをエアリスは大きめの深手の皿になみなみとよそった。
そして小さな皿に具を除けてスープの部分だけをよそい、自分の分を用意した。

二つの大きさの異なるスープ皿を、彼女には幾分大きいトレーに乗せる。
だがそれを持ち上げたとき、急に声をかけられ心臓が飛び跳ねる。


「エアリス!」

ザックスが駆け足でこちらへと近づいてくる。
エアリスは見つかってしまったような、そんなばつの悪い気持ちになって、慌ててトレーをカウンターに戻し、自分の背中に隠した。

だがザックスはそのトレーを視界の隅で捕らえ、エアリスとの間合いをさらに詰めた。

予想外に強く腕をつかまれエアリスは小さく悲鳴を上げる。


「エアリス・・・・・・まさか、クラウドのところに持っていこうとしているんじゃないだろうな」

「まさか・・・・・・だよ」

咎められているのか、または非難されているのか、ザックスの口調は普段の彼のものとは思えないほど強かった。

それに一瞬怖気づきそうになるが、エアリスは自分が決めたことだと思い直し、ザックスに負けないよう声を大きくする。


「どいて、ザックス」

「・・・・・・」

「ご飯、届けてくるの」


ザックスは無言でエアリスを見つめていた。
彼の意思に強さに負けてはいけないと、エアリスは半ば睨むようにザックスを仰ぎ見る。

「だから、ね・・・・・通して」

だが精一杯強がって見せたはずの少女の声を、ザックスはいとも簡単に打ち消す。

「だめだ。俺が持っていく」

つかまれた腕にいやと言うほど力が込められる。
だが、エアリスはありったけの力でその手を振りほどいた。

「エアリス!」

「いやったらいや、わたしが持っていくんだから!」

そう言い切った少女の瞳を探るように見た後、ザックスは彼女の望んでいることを一拍置いて悟る。

彼女はただたんに、心からクラウドに会いたいと望んでいるのだ。それ以上もそれ以下でもない。
―――なにも、命知らずな無謀なことをしようとしているわけではない・・・・・・。

だがそれを理解しても、冷静にザックスは考える。

もし、またクラウドがエアリスに襲い掛かったら・・・・・・?
戦う術を持たない、か弱い彼女のことだ、今度こそ瞬きもしないうちに殺されてしまうかもしれない。


クラウドは最近落ち着いてはいるが、それでも・・・・・・。


「一緒に行こう、な・・・・・・・?」

ザックスはつとめてゆっくりとしたペースで、言った。
幾らクラウドが危険因子をはらんでいるとはいえ、エアリスはとてもクラウドのことを好いている。その彼女にクラウドの―――彼女の知らない―――危険性に ついて問うことは、彼にはできなかった。


だがしかし、エアリスが彼の言葉を受け入れ、首を縦に振ることはなかった。


「ザックスやティファが、クラウドのこと、気を付けようと思っているのは、しょうがないと思うよ。でも、わたし・・・・・・クラウドに会いたいの、一人 で」


エアリスは頑なにザックスの申し入れを拒む。
ザックスが何と言おうと・・・たとえ脅してさえ・・・承諾することはなかった。


ザックスは困ったように頭をかいた。
どうすればいいのか、見当も付かなかったからだ。
しかし、彼としては何することもせず、彼女を一人でクラウドに会いに行かせるわけにはいかなかった。

そうするには余りにも危険すぎた。


「・・・・・とりあえず、わたし一人で行くから。クラウドと話してくる」

エアリスは決然とそう言った。
ザックスはなおも食い下がる。

「だが・・・・・・ッ!」

「分かってるよ、分かってるの・・・・・。危ないって事。でもね・・・・・・」


エアリスは静かに口を開いた。


「わたしには、一番悪い選択でも・・・・・・でも、クラウドには一番良い選択なのかもしれない」


何があったのか、彼と話すこと、教えてもらうこと、それがきっと一番大切だと、エアリスは理屈の無いところで確信していた。

それが正しいのか、間違っているのか、確かめる術をエアリスは持っていない。しかし、二人で静かに話すのが、考え得る最善の策だと胸を張って言える。



「本当に一番正しいのは何なのか・・・・・・わからないよね」










窓から入ってくる月の光が夢幻想に綺麗な夜だった。

クラウドは相変わらず、どうでも良いことに思考を巡らせ、時間を過ごしていた。

何か大事なことを忘れているような気もするが、こんなふうに何するでもなくぼおっとしているのも、悪い気分ではなかった。



―――クラウドの優れた嗅覚は潮の香りを鮮明に捕らえていた。
どこか磯臭いような、しけたような香りがするものと以前から考えていたが、あらためてじっくり匂いを嗅いでみると、あながち悪いものでもない。

ただ、どうしても部屋にこもりがちな湿気を外に追い出そうと、換気扇が一際忙しく動いているため、煩くて眠れなかった。


ふと口元が寂しくなって、クラウドは溜息を付いた後、胸ポケットを探った。
あまり吸う事も無かったのだが、以前買ったまま封も開けていなかったタバコが出てきた。

おもむろに一本取り出して、口にはむ。気だるい手つきで火を点けようとした、その時だった――――――――。




潮臭さの中に確かに嗅ぎ覚えのある花の香りが混じる。

ライターを持つ手がわなわなと震え、口に挟んだタバコがベッドの上に転がり落ちた。


―――エアリス、なぜあんたがここに・・・・・・!?
ザックスと、ティファと一緒にいるはずの彼女が一人で来るはずなどない!



彼にとって正しく信じられない状況だった。
一瞬にして、穏やかな逡巡の中から激情渦巻く波の中へ放り込まれたような気分だった。今までの静かなときがまるで嘘のようだ。

・ ・・・・・この数日間、一度たりとも考えなかったのは他ならぬ彼女のことなのだから。



「クラウド、ご飯持ってきたんだ・・・・・・。入るよ」

遠慮がちなエアリスの声が聞こえ、それがクラウドを更に高ぶらせた。

ありえない、と何度も心の中で絶叫する。
何をやっているんだ。ザックスもティファも・・・・・・。

・ ・・・・入ってくるんじゃない!


だが、そんな彼の心のうちも知らずエアリスはゆっくりとドアを開けて入ってきた。

そこには何も変わらないクラウドの姿があって、緊張した彼女の心を少し解きほぐす。


―――クラウド・・・・・・!

エアリスははやる気持ちを抑えて、クラウドに向かって一歩踏み出した。
一歩が何十歩にも感じられる。そう感じてしまうほどに自分はクラウドに会いたがっていたのだとあらためて実感し、心に占めるクラウドの比率の高さを知る。


クラウド、クラウド、クラウド!

エアリスはもうクラウドに自身を傷付けられたことを忘れていた。
いや、自分から考えようとはしなかった。ただ、クラウドがそこにいる。
ほんの少し会えなかっただけで寂しかった。だから話したい。それだけだった。



しかし、クラウドはそういうわけにはいかなかった。

エアリスがそろそろと一歩踏み出してくるたびに、自分の心臓が削り取られていくかのような錯覚を覚える。

体全体が脈打つようで、そのあまりの大きさに打ちのめされそうになる。

―――近づくな、近づくな、近づくな・・・・・・!


息が詰まり、クラウドは溜まらず体を折ってシーツを握り締めた。


その様子を見たエアリスがトレーを脇に置き慌てて近づいてくる。

「・・・!クラウド、大丈夫?」


間接が白くなるほど握り締められた手に、エアリスの美しい白い手の平が重ねられる。
しかし、クラウドはそれを乱暴に振り払った。

彼は激昂する。


「近づくな・・・・・・ッ!」

「きゃッ!」

手を振り払われたエアリスが後ろに倒れこんで尻餅をつく。
その彼女が立つか立たないかの間に、クラウドはナイフを取り出して彼女の首に突きつけた。


「・・・・・・ッ!」

エアリスの目が大きく見開かれる。

ひるんだ右足が半歩下がった。
クラウドがなおもナイフの切っ先をエアリスの首元に押し付ける。

「いいか、まっすぐ帰るんだ。そして・・・・・二度と戻ってくるな。さもなくば・・・・・・」

ナイフがエアリスの肌に少しだけ食い込む。ひんやりと冷たい金属の感触が背筋を粟立たせた。

クラウドの瞳が冷たく光る。


「殺すぞ・・・・・・!」


ナイフを持つ手が震えているのが分かった。切っ先がどうしようもなくぶれてしょうがない。
それが彼女を傷付けて、傷口から薄っすらと血が滲む。


エアリスの顔を、鈍く光るナイフ越しにクラウドは見た。
今にも泣き出しそうにぐにゃりと歪んでいる。

その表情がクラウドの胸を八つ裂きにさせんばかりに悲しませた。


―――頼むから、頼むから行ってくれ・・・・・・!


これ以上傷付けさせたくない!そんなあんたも見たくない!

なのに・・・・・あんたは・・・・・・どうして!


「早く行けぇッ!!」

クラウドはありったけの声量で吐き捨てた。
エアリスの体がびくりと震える。


辛かった、どうしようもなく。
泣き叫びたいほどに。


細められた視界に、エアリスの当惑しきった顔が映った。
エアリスがまた半歩、後退したのも見て取れた。


そうだ、それでいい・・・・・。そのまま行ってくれ・・・。


クラウドは心の中で何度も何度もそう言った。



―――この・・・・・人殺しーーーーーー!


ティファの言葉が頭の中に幾層にも響き渡った。
そうだ、人殺しでもなんでもいい。今更誰が殺されようと知ったことじゃないんだ。

だが・・・・・!


―――みんなの後に付いていきたいな・・・・・・


もういいから・・・・・!

だから・・・・・・ッ!



だから・・・・・・・・ッ!!





「―――クラウド・・・・・・っ!」

「―――――――――――――ッ!!」


飛び込んできたエアリスの体を、クラウドは両腕で抱きとめた。
二人分の体重を受けたベッドのスプリングが軋み、一拍置いてナイフが床の上に落ちた。

静かな部屋に甲高い金属音が響き渡る。

やがてそれが虚空に解け消えたとき、エアリスのすすり泣く声が聞こえ始めた。

クラウドの胸に一心にしがみいて泣くエアリスの髪を、クラウドはぎこちなく撫でる。


エアリスのしゃくり声がますます大きくなる。

その顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
溜まらずその華奢な体を強く抱き締め、髪を繰り返し繰り返しかき抱いた。


エアリスはなにも喋らなかったが、その震える肩が彼女の思いの全てを
代弁していた。

それだけでクラウドの胸は熱くなる。

その無言の言葉に、クラウドはただ、『ごめん』と繰り返すばかりだった。

ただ、ひたすらに謝罪の言葉を・・・・・。
だがそれに込められたのは、筆舌に尽くしがたいばかりの感謝だった。

クラウドは目の奥が熱くなるのを確かに感じていた。








「はじめてなの」

エアリスは全身を恥じらいの色に染めてそう言った。
クラウドはふと笑いかける。

「見りゃ、分かるよ」

安心させるために言ったつもりだったが、エアリスは更に真っ赤になって顔を隠してしまった。

「大丈夫だ・・・・・」

クラウドはそう低く囁いた後、エアリスの浅く切れた首の傷に口付けた。
エアリスは黙ってそれを受ける。

クラウドは神妙な表情を取った後、目を細めてエアリスを見やった。


こんなに暖かい気持ちになるのは初めてだった。
エアリスと会ってから、いろいろ知った気持ちの一つ。

もし自分がエアリスとこれからも一緒にいて、エアリスがそれを許してくれるなら――――――あるいはそのような時間が残されているのなら、こういう気持ち は更に増えていくのだろうか。
 
悪くない、とクラウドは思った。


だがそれでも、この今の一瞬を大事にしたい。
このときは一回きりで、二度と来はしないから。
だからこそ・・・・・。



「星のことも、セフィロスのことも、全部忘れて・・・今は俺だけを見ていて・・・・・・」









―――やがて夜も白々と明け始めるころ、朝もやの向こうに薄っすらと小さな島が見え始めた・・・・・・・。








続く