Cold heart-ed Ⅻ  苦痛

Cold heart-ed

Ⅻ  苦痛

… 静寂があたりを支配した。





―――「え?」



沈黙の後に出た自分の声は気が抜けるほど間抜けなものだった。


クラウドが、変――――――――――?



唐突な彼女の打ち明けに、エアリスはその意味を把握することができず、問い返す。それに応えて、ティファはもう一度繰り返した。



「彼を助けて。彼は変なの」


強調するように言い回しを変える。



「ううん、異常なの」




すがるような視線がエアリスを捕らえた。

不安な心と心がぶつかり合う。


それに潰されたのはティファの心だった。




「変なの。変なのよ。絶対……おかしいわ。クラウド……そう、絶対におかしいの。だって、だって……」

ティファの声が堰を切ったように震えだす。


―――彼は普通じゃない。

異常なのだ!




下を向いていたティファがゆっくりとエアリスを見上げた。

「!」


ティファはエアリスの肩を乱暴に掴んだ。

エアリスが体を捩って反射的に逃げようと足を半歩引く。
ティファの目は血走っていた。



「わたし、見たのよ!ザックスだって知ってるけど、これだけは知らないわ!わたしが、わたしだけが見たのよ!」


救いを求める腕が宙を彷徨いエアリスの頬へとたどり着いた。



「彼が、どこから来たのか知っている?知るわけないわよね。わたしだって知らないわ。正確にはね。でもね、これだけは言えるのよ!」




エアリスはティファに殺されるような錯覚を覚えた。
今のティファは、すぐにでもエアリスの喉を引き裂きそうだった。

思わずその場から逃げたくなるのをエアリスは必死に止めた。



恐い。知りたくない――――。






「エアリスは不思議に思わなかったの?あんなに強い、強すぎるクラウドが不思議に思わなかったの?何であんなに強いのか、『人間に思えないほど』強いのか 考えなかったの!?」



そんな事を言われても、とエアリスは思った。


自分はクラウドと時を過ごした時間はティファやザックスの二人とは比べ物にならないほど短い。

まだまだ知らない面も沢山ある。


自分が見てきたのは、クラウドの普通の部分だ。

普通ではない部分があるならの話しだが。




でも、だから何だと言うのだろう。

ティファは何が言いたいのだろう?

ティファのエアリスの肩を握る腕が更に力が込められる。
そして、鼓膜を貫くような甲高い悲鳴が看板に響き渡った。




「クラウドは、怪物よ!!!」



「ティファ!!」




エアリスは静止を求める声を張り上げた。




クラウドのことをティファがそんな風に言うなんて、幾らなんでも酷い。



クラウドのことをそれ以上悪く言わないで。



知りたくない……。






―――その時、急にエアリスの肩を掴んでいたティファの手から力が抜けた。


その瞳孔が猫のようにきゅっと細められ、また弛緩する。

その瞳が何処と無く自分ではなく遠くを見つめているように思えて、エアリスは自分の後ろを向き直った。



「!」


瞬間絶句する。





―――クラウドがいた。



ティファが『それ』を恐れるかのように、唇がわなわなと震えた。
その視線の先にクラウドの何ら表情を映し出さない顔があった。

エアリスもまた、事実を拒否するかのようにクラウドに背を向けた。


自分の指先がティファのそれと同じく震えているのが分かった。



―――それは潜在的な恐怖だった。

自分と親しいものに対する何らかの狂信めいた信頼感。それが根本から崩されることを恐れる気持ち。このままずっと居たいと言う気持ち。

それが彼女等の心を塞いでいた。








「ごめんなさい、エアリス。ごめん……!」


そう言って、ティファはエアリスを突き飛ばす勢いで、身体を離すと走ってデッキを飛び出していった。


バタン、と一際大きな音を立ててドアが閉まり、沈黙が流れる。



ティファは一体何を言ったのだろう・・・・・・?


ティファの指が食い込んだ肩が痛い。

後ろにいるはずのクラウドが、瞬きもせずこちらを見ているのが手に取るようにわかった。


背中がじりじりと焦げているようだ。



何と言えばいいのだろう……。

彼に……。




その時、ふと自分の耳を旋風がかけて行った様な気がした。

エアリスはそれを追う様に後ろを振り返った。

同時にクラウドの姿をも求める。



が、しかしそこにはクラウドの姿はもはや無かった。










がしゃん、と鉄をひっくり返したような音を立てて、クラウドは何かから逃げるかのように倉庫に入り込んだ。


―――知られた。エアリスに。

自分の事を、全部……きっとティファが何もかも言ってしまったに違いない。


あの、怯えきったような瞳。

間違いなく自分に向けられて……
知られてしまった。


クラウドは堪らず、倉庫の中に散乱しているダンボールの傍に崩れ落ちた。

力なくヘタリ、と座り込む。
放り出されたような足が換気口を蹴った。


クラウドは自らも怯えるように頭を抱え込んだ。
全てを否定するかのように。
全てを拒絶するかのように。




ああ、もう、オシマイだ。


エアリスは知らなかった。エアリスだけは知らなかったのに、知ってしまった。

エアリスにだけは教えたくなかった。教えたくなかったのに、ティファが話してしまった。



ああ、もうだめだ。


息をすればヒュッと喉が鳴った。

全身が震えている。
恐くて震えている。



……思わず逃げてしまった。

何かをエアリスに言い訳をするのでもなく、堪らなくなってその場から、エアリスの前から逃げてきてしまった。


しかしそんな自分に腹が立つよりも先に、どうしようもない焦燥感が胸のうちを駆け巡った。


クラウドはまるで発作でも起きたかのように、荒々しく肩で息をした。そうでもしなければ息が詰まって今にでも窒息してしまいそうだった。



ぱたぱたと、天井の上を走っていく、足音が聞こえる。

あれはティファの足音だろうか・・・それともエアリスの・・・・・。


……自分を探しているのだろうか?


クラウドは反射的に自分の気配を完全に消した。
そうしなければいけないような、強迫観念が彼にまとわり付いていた。


何かに怯えているかのように自分の脚を抱える。


不思議と自分の命が危機に瀕しているかのように感じた。

しかし、その理由はまだ彼にはわからなかった。




―――軽い足音がだんだんと大きくなってくる。

この地下への階段を降りているのだ。


来るな。来るな。   こっちへ来るな。

クラウドはまるで念仏でも唱えるかのように、そう心のうちで繰り返す。



……足音がぱたりと止まる。

気配で、彼はその足音の持ち主が自分のいる部屋のドアの前で止まっていることがわかった。


だが、乱れた心ではそれが誰だがを特定することはできない。

自分が狙われているかのような焦りが、心臓を高鳴らせた。


咄嗟に、クラウドはブーツから鋭利なナイフを取り出し、弾いて刃を胸の前で構えた。


それは完璧な戦闘態勢だった。

今にも誰かに襲い掛かろうとでも言うかのように、彼はナイフの先端をドアに向けた。


―――自分がそうしているとは知らないままに。










『お前は何を恐れているのだ』






分からない







『誰を恐れているのだ』







知らない







『何故恐れているのだ』






恐いから。







『何故そう思う』







自分が消えてしまいそうで







『それで』







だから、恐い。


でも、分からない。









『従えばいい』








何に?







『恐怖に』








どうして









『邪魔だから』









誰に










『お前に』










何で










『殺される』










俺が?









『愚かだからだ』










どうすれば?









『殺せ』








誰を









『あの娘をだ』









エアリス・・・・・・?








『殺せ』







やだ









『何でだ』










大事だから










『あの娘はもうお前を恐れた』









違う。エアリスは違う。









『お前からすぐに離れる』








違う。










『今まで沢山殺して生きたのに』








違う。









『何が違う』










・ ・・・・・







『殺せ』








何で・・・・・









『さあ、殺せ』








どうして・・・・・・








やだ。。。やだ、いやだ・・・・・・・。

エアリスは大事なんだ。









「うう……ああ……」



殺すんだ。




「いや・・・だ・・・あ・・・・」





「―――!クラウド、いるの?」





殺せ・・・・・





「あああああ……うう」


「クラウド、どうしたの?」





さあ、殺せ!!!!!!






「――――――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!!!!」



次の瞬間、クラウドは頭を駆ける雑念を振り払うかのように手に握ったナイフを振りかざした。

その声はまるで本能のように彼の身体を動かす。

自我を失ったかのような、獣じみた呻きが狭い倉庫の鉄の壁に反響して、何層にも響き渡った。


そしてその刃の切っ先は、狂ったように振り下ろされ、驚愕に目を見開いた少女の肩口を真上から刺し通した。


刃は易々と華奢な少女の骨を貫いて、その血管も血肉も共に引き裂く。



少女の着ているピンクのワンピースが、黒く見えるほどに赤く染まっていった。

その美しいものしか通さないように思えた唇から、悪魔のような絶叫が生まれ、少女を血と共に覆いつくすのを、クラウドは眉毛一つ動かさずに見ていた。


呻きながら、やがてその少女の身体も支えを失い倒れ伏す。


深く刺さったナイフが彼女の体と共に手の内から零れそうになり、クラウドは思わずナイフの柄を握る手に力を込めた。


ずっ、と引きずるような音がして、肩口からナイフが抜ける。

同時に少女の―――エアリスの肩から紅い飛沫が飛び散った。

「あああああ!・・・ううっ・・・あ゛あ゛あッ」

倒れ伏したエアリスは、痛みにその顔を歪ませ、身体を痙攣させては呻いた。

「ううう……ふッ…ぅ」

痛みに対する人間の防御反応から、早くも意識は朦朧とし始める。


傷口を手の平で押さえてもその指の隙間から漏れ出る血は、まるで本流のように溢れ出し、彼女の体を囲むように広がっていった。


クラウドは呆然と、エアリスの血溜りを息もつかぬまま見つめていた。

何が起こったのか分からず、ただ自分の持っているナイフが妙に重く感じられた。



―――デジャ・ヴュ。



目の前の光景がいつの頃かの、あの古い記憶と重なる。

一つは、鉄の部屋。

手に持つのは鋭利なナイフ。
まるでスプリンクラーのように降り注ぐ血の雨。

シャワーを浴びるかのように、断頭された首を無造作に蹴りながら血の海を歩く自分。


それを幼いティファが、目を大きく見開いて見ている。
返り血で顔を汚しながら。



その光景が一つの絵のように目の前に浮かぶ。

今、絵の輪郭がぼうっと浮き出て、本体と離反した。

それはゆっくりと横にスルーして、倒れたエアリスのいるこの景色に重なり―――そして溶け消える。


その瞬間、色の無かった彼の世界が急に現実を取り戻した。


「エアリスッ!!」

慌ててしゃがみこんで、エアリスの身体を抱き起こす。


何故こうなったのか分からないままに、先に後悔が胸を駆け巡った。


―――ああ、ひどい血だ。



なんてことを……。



だがその後悔に満ちる逡巡も、遅れて来た二つの声に掻き消された。


「エアリス!いやーーーーーー!!!」

血に染まったエアリスを見たティファが、甲高い悲鳴を漏らした。
惨事を見ても動じないはずのティファが。

「クラウド、お前ッ……!」

ザックスが信じられないとでも言うように首を振った。


へたり、とすわりこんでしまったティファもまた、力なく首を振る。


そして驚きと、僅かに憎しみのこもる瞳でクラウドを見上げた。



まるで、






異物でも見るかのように。







そして、怒りで歪んだ顔で言った。













「あんたなんか、死んじゃえばいいのよ!!!」











・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






続く